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 舞踏会当日。会場は朝廷の管理するホテルの中にあるホールだ。夜が近付く時間、馬車でホテルに到着し、昴の差し出した手に、自分の手を重ねてエスコートされながら会場に入る。

 天井からはいくつものシャンデリアが吊り下げられている。キラキラと眩い光で会場を照らしていた。赤い絨毯の敷かれた階段をゆっくりと下りていく。ヒールが包み込まれるくらいにふかふかな絨毯が終わると、広いダンスホールに出迎えられる。大きく立派なオルガンが一際目を引く。女学校にもオルガンは置いてあるが、その何倍も大きく、奏でられる音も重厚だ。

 ホールには、華やかなドレスに身を包んだ女性たちが、花のようにあちこちで彩りを添えていた。今からその中に入ると思うと、緊張してしまう。

「六花さん、緊張しているのか」
「はい。気後れしてしまって」
「大丈夫だ。今日までダンスは練習をしてきたし、そのドレスもとても似合っている」

 昴は、六花のドレスを見て微笑んだ。六花が選んだのは、桜色のドレスだった。淡い控えめな桜色のシルク生地に、ふわりとした透けている生地――シフォンと言うと教えてもらった――が重ねられていて華やかさも兼ね備えている。白いレースのロンググローブも合わせている。
 髪はアップスタイルにして、白い花の髪飾りを添えている。これらの支度はほとんど柴崎がやってくれた。とても器用だ。

「ありがとうございます。たくさん迷ってしまったので、昴様に似合うと言っていただいた色を選びました」
 褒めてもらえたことが嬉しくて、六花は笑顔で昴を見上げた。昴は一瞬、言葉に詰まるような、驚いた顔をしていた。

「あ、ああ。本当に似合っている」
 そう言った昴の耳が赤かったのは気のせいだろうか。

 六花は昴の洋装姿を見て、今日何度目かのため息をついた。もちろん、感嘆の。特注でなくてはならなかったタキシードだと、昴の背の高さがより強調されている。足の長さが着物に比べて目に見えてわかることと、肩幅もきっちりと見えるため、この広い会場の中でも目を引く存在になっている。

「昴様、タキシードもとてもお似合いです」
「そうか? 洋装は慣れていないし、似合わないと思ってきたが。恭介にも笑われていたし」
「それは、試着では大きさが合っていなかったからです。今はぴったりで素敵です」
「六花さんにそう言ってもらえると、自信が持てる。ありがとう」
 昴は、手を取って会場内をエスコートしてくれる。ドリンクも用意されていて、ダンスが始まるまで、談笑する時間もあるそうだ。

「あ、麗奈さん」
 ドリンクをもらったところで、近くに麗奈がいることに気がついた。麗奈はワインレッドのシンプルな形のドレスを着ている。シンプルながら、胸に光るネックレスは豪奢なもので麗奈によく似合っている。

「麗奈ちゃん、ここ段差に気を付けてね。はい、ドリンクをどうぞ。ドレス気を付けてね、とても綺麗なドレスで、麗奈ちゃんに相応しいものだから、汚れたらいけないよ。本当にとても綺麗だよ」

 隣にいて麗奈ににこにこと話している男性は、以前話していた婚約者のようだ。麗奈が何か言うよりも前に動いていて、聞く前にドレスのことも褒めちぎっている。麗奈がはにかみながらも嬉しそうにこくこくと頷いている。なんて珍しい光景だろう。

「えっ、あ、六花さん、いつからそこに」
 麗奈が六花に気付いて、少し慌ててそう言った。顔を赤らめて恥ずかしそうにしていて、いつもの勢いはない。

「ついさっきです。素敵な婚約者の方ですね、お似合いです」
「あ、ありがとう、ございますわ」
 さらに顔を赤くしてしまった麗奈はとても可愛かった。それを見逃さない人もやってきた。

「ごきげんよう、麗奈さん、六花さん」

 沙良が恭介の腕に手を添えながら、優雅に挨拶をした。沙良はネイビーのドレスを身に纏っていて、ぐっと大人っぽい仕上がりだ。耳元にキラキラと輝くイヤリングも上品で似合っている。恭介の洋装は何度か見たことがあったが、今日は一段と決まっている。それにしても、この二人が並んでいる様が、何とも不思議な感じがする。

「お、昴ちゃんと裾の長さがあるじゃないか」
「当たり前だ」

 お互いのパートナーを紹介したり、ドレスを決めるのは迷ったという話をしたり、麗奈の婚約者から女学校での話を聞きたいと言われて話をしたり。女学校のランチとほとんど変わらないような談笑をしているのだが、周囲からの視線を感じる。麗奈も沙良も綺麗で目立つことはもちろんだが、一番に視線を集めているのは昴だった。いつもは夜叉と恐れている相手が、誰よりも洋装を着こなしているのだ、注目の的だろう。都合のいいことだとも思うけれど。

 ふと、カツカツとホールに無遠慮なヒールの音が響いた。その音がこちらに近付いてくるため、そちらに目を向けると牡丹と誠二が六花のほうへ歩いてきている。

 牡丹は真っ赤なドレスに派手な羽織を肩にかけ、首元には大ぶりなネックレス、髪には羽飾りも揺れている。舞踏会で女性が着飾ることは会場が華やかになるため、良いとされているが、牡丹の装いは少し派手すぎるかもしれない。柴崎が支度の際に、装飾品が少ないほどその人自信の魅力が出るものだ、と言っていたのだが、その意味がよくわかる。

「まあ、お姉様。逃げたのかと思ったわ。ちゃんと来たのね? ……ふーん、そんな地味なドレスだから、全然見つからなかったわ」
 六花の姿を頭からつま先までじろじろと不躾な目線で見てきた。柴崎がこんなに素敵に仕上げてくれた装いを貶さないでほしい。

「こちらの……個性的な装いの方は?」

 麗奈が表現を抑えた様子で尋ねてきたが、あまり抑えられていない。六花は、牡丹と麗奈たちを引き合わせるのは気が引けるが、紹介しないというわけにはいかない。ここは、交流の場であって、六花がそれを妨げてはいけない。

「妹の、牡丹です」
「へえ、妹さんですの。あまり、似ていませんわね」
「お姉様と似ているなんてあるはずないわ。何なの、この人たち。お姉様が何を言ったか知らないけれど、出雲家の後継者はあたしよ。お姉様と仲良くなっても何の意味もないわよ」

 牡丹は鋭い目付きで六花を睨むと、真っ赤なドレスを翻して去っていった。誠二は、何も言わずに一礼だけして牡丹を追いかけた。変わらず兄の祐一は体調が思わしくなく、今日の舞踏会も欠席とのことだ。

「……皆さま、妹が失礼いたしました」
「六花さんが謝ることではない」
 昴がそう言い、他の皆も頷いてくれていた。麗奈は、言い返せば良かったかしら、と少し不満そうだけれど。

 ホールに流れる音楽が、ダンスのための曲になった。あちこちで、男性が手を差し出してパートナーへのダンスのお誘いがなされている。

「六花さん、せっかく練習したダンス、楽しもう」
「はい」

 差し出された手を取って、フロアへ進み出る。六花は手を昴の肩に添えて、ほぼ同時に昴の手が六花の背中に添えられる。もう片方の手を握手をするようにそっと合わせる。ステップや、体の向き、気を付けることはたくさんあるけれど、何度も練習をしてきて、講師からも問題ないと言ってもらえるくらいになった。

 音楽を聴いて、昴と息を合わせてダンスができている。緊張も少しずつほぐれてきて、とても楽しい。昴も眉間の皺がなくなっていて、楽しんでいるとわかる。

 一度、体が離れて、頭上に導かれた手を中心に六花はくるりと一回転する。ドレスがふわりと広がり、桜の花が満開になったかよう。

「あっ」
 回って戻ってくるときに、少しふらついてしまった。だが、昴の腕がしっかりと六花の体を抱きとめた。

「大丈夫だ。絶対に離さないから安心してくれ」
「は、はい」

 ぐっと顔が近付いて、六花は自分の鼓動がやけに早くなるのを感じた。洋装に合わせて前髪を上げているから、昴の顔がいつもよりもよく見える。昴の目の中に、六花の顔が映っているのがわかる。そこに映る六花はどんな顔をしているのだろう、と熱に浮かされたような思考は、昴の瞬きですぐに消えて、正気を取り戻した。六花は再びダンスに集中する。ちゃんとできていたか、わからないけれど。