祝宴を翌日に控えた夜、瑶光は皇帝の居所にいた。
 帳の奥にはいつもと同じ香が焚かれている。皇帝は読んでいた書を閉じて彼女を迎えいれた。

「こうして会うのは久しぶりだな。体調はどうだ?」

 皇帝の声は穏やかだった。

「おかげさまで、落ち着いております」

 瑶光は静かに頭を下げた。
 皇帝は瑶光の頭を上げさせると、まだ見た目にはさほど大きくなっていない腹をそっと撫でた。

「白狐がよくお前の腹に鼻を寄せていると聞いた」
「ええ。まるで、子を守ってくれているようです。この間も救っていただいたんですよ」

 冗談のように明るく告げると、皇帝は分かっているかのように深く頷いた。
 もう食事の件は伝わっているのだろう。

「こちらも出来る限り手を打っている。それに、白狐は一度信頼した者を必ず守る。そう不安そうな顔をしなくとも良い」
「不安などありません。私はこの子の母になるのですから。それより、玄明様が表だって動くのは良くありません。あまりご無理はなさらないでください」

 瑶光は少しだけ目を伏せた。

(強がりだけれど、嘘は言っていない。陛下に助けを望むのは間違っているわ。後宮の問題は、私が解決しなければ意味がない。私がここで認められるには、自分の力で何とかするしかない)

 皇帝はしばらく黙っていた。そして帳の外に目を向けながら言った。

「祝宴中にも必ず何か仕掛けてくるだろう。用心することだ」
「はい」
「ははは、瑶光は強いな。……いや、強くあろうとしている姿が頼もしい」

 瑶光は目を見開いた。
 皇帝の言葉は、単なる褒め言葉ではなく、信頼の証だった。

「私はこの子を守り抜きます。必ず。……私と玄明様の子ですから」

 皇帝は柔らかく微笑んだ。

「祝宴に限らず、ここでは牙を隠した者が笑顔で酒を注ぐ」
「肝に銘じます。幸い、信頼できる者を見極めるのは得意ですから」
「何かあればすぐに知らせろ。この後宮において、お前の言葉だけは真実だと、無条件で信じられる」

 瑶光はその言葉に、胸の奥が温かくなるのを感じた。
 皇帝の寵愛は、ただの恋心ではない。国を背負う者が、ともに闘う戦友へ向ける友愛と信頼に近しい。
 瑶光は皇帝の気持ちに応えると誓った。

「玄明様もどうかお気をつけて。ここでは妃ですら、笑いながら牙を剥きますよ」
「あぁ。現に、瑶光と会わぬよう手を回されていたのだ。ようやく掻い潜れたがな。……表向きは崩せない」

 皇帝の心苦しそうな表情が痛ましい。
 瑶光はにっこりと笑みを浮かべた。

「ならば、私が裏をかきましょう」

 その言葉に皇帝は目を見開いた。彼は瑶光の手を取りそっと握った。

「お前がいる限り、私は迷わない」
「私も、玄明様がいる限りここで立ち続けます」

 その夜、二人は言葉少なに過ごした。
 だが互いの沈黙の中に、確かな信頼があった。



 翌朝、祝宴の太鼓が鳴る。
 だがその音は、祝福の響きであると同時に――嵐の予兆でもあった。