白狐に選ばれた下女、皇后となりて

 ある日の朝。小さな変化が訪れた。
 朝の光が帳の隙間から差し込んでいる。瑶光は寝台の上で目を覚ましたが、身体が重く、すぐには起き上がれなかった。
 胸の奥がむかつき、頭がぼんやりする。

(疲れはないんだけど……。なにか悪いものでも食べたかしら? まさか毒? それにしては効果が薄いわね)

 ぼやけた頭でそんなことを考えていると、白狐が瑶光の腹のあたりに鼻先を寄せた。そこに何かがあると伝えているようだ。
 瑶光が身じろぎすると、白狐は一度だけ尾を揺らし、また静かに寄り添った。

「……私のお腹に何かありましたか?」

 瑶光はそっと毛並みに触れた。白狐は目を細め、彼女の手に頬をすり寄せる。
 そのまま起き上がる気力が出るまで、瑶光はじっとしていることにした。すると、タイミング良く老女がやって来た。

「おや、めでたいことだね」
「何がですか?」
「白狐がお前の腹の中の子を祝福しているじゃないか」

 瑶光は目を見開いた。

「子……?」
「自分の気の流れが変わったろう? 気づいていないのかい?」

 瑶光は言葉を失った。確かに、身に覚えはある。
 けれど、それは――。



 太医が呼ばれたのは、その翌朝だった。瑶光の体調を侍女が報告し、皇帝の命で診察が行われた。
 帳の奥で脈を取り、腹を軽く押しながら、太医は眉をひそめた。そして静かに言った。

「妃様は、懐妊されております」

 侍女たちが息を呑み、老女は目を細めた。白狐は、瑶光の足元で静かに座っていた。

「……本当に?」

 瑶光は、まだ信じられないように呟いた。

「間違いございません。脈も、顔色も、舌の状態も、すべてが胎の兆しを示しております」

 その報せは、瞬く間に宮中に広がった。神獣に選ばれた妃が、皇帝の子を宿した――それは、ただの懐妊ではない。

 皇帝はこれを『吉兆』とし、祝宴を取り決めた。
 しかし、側妃懐妊の祝宴を取り仕切る皇后はいない。代理となるのは蔡貴妃だった。



◇◇◇

 蔡貴妃は皇帝から『柳瑶光懐妊の祝宴を取り仕切れ』と命を受けた時、血が沸騰するほどの怒りを感じていた。

「ご懐妊ですか。柳瑶光が……。おめでたいこと」

 その声は細く、鈴が鳴るようだったが、手にしていた扇の骨は折れそうなほど軋んでいた。

「白狐に選ばれ、皇帝に選ばれ、今度は子まで……」

 蔡貴妃は鏡の前に立ち、自らの姿を見つめた。そこには完璧な貴妃がいる。だれもが羨む地位、だれもが羨む名誉。だが、それらは大きく揺らぎ始めていた。


「あの……尚膳局からお伺いが来ておりますが、祝宴の献立はいかがされますか?」

 侍女の一人がが控えめに声をかけた。
 蔡貴妃はその侍女をものすごい形相で睨み付けたが、変面のように一瞬で笑みを浮かべた。

「いいえ。妃の体調を考慮して、薬膳を中心に。それと、厨房には私の侍女を一人……あなたを入れてもらうように伝えてちょうだい。その方が当日の伝達が迅速に行えますからね」
「はっ、はい! かしこまりました」

 指名された侍女は顔を真っ青にしながら頭を下げる。
 蔡貴妃は彼女を厨房へと向かわせると、もう一人の侍女に薬草庫へ行くように指示を出した。

「貴妃たる者、何事も完璧でなければね。今の私は皇后の代理ですもの」

 皆に聞こえるように呟いて、口角をあげる。しかし内心は別の思いが渦巻いていた。

(もし生まれてくる子が男だったら……?)

「許しがたいわ」

 小さく呟いた声は、獣のように低く、かすれていた。