皇帝と一晩過ごして以降、彼は瑶光を頻繁に呼んだ。
 宴の後の静かな時間、書を読むかたわらに座らせ、白湯を注がせるだけの日もあった。言葉は少なくとも、皇帝のの視線はいつも穏やかだった。

「最近、お前の噂が宮中に駆け巡っているらしいな」
「……理由は玄明様が一番ご存知のはず」
「ははは。だが、私のせいだけではないだろう。白狐を使役し、不思議な力を操る巫女のようだと」
「皆が面白おかしく広めた話です。それに、『陛下は怪狐使いに魅入られてしまった』と皆が心配しております。あまり頻繁に私と会うのは控えるべきかと」

 瑶光は苦言を呈した。本来ならば『陛下が下女に目をかける』なんてあってはならない。人々が瑶光へ向ける視線は厳しかった。

「ふむ、それなら心配せずともよい。すぐに解決するだろう。瑶光、お前と過ごすと心が静まるのだ。やすやすと手放すような真似はしない」
「玄明様……」

 瑶光は皇帝の気が淀んでいることに気がついていた。自分と過ごす間だけ、少しマシになることも。



 数日後、勅命が下された。柳瑶光を側妃に昇格させる――と。
 後宮はざわめいた。蔡貴妃の侍女たちは顔をしかめ、他の妃たちは眉をひそめた。
 だが、誰も声に出しては言わなかった。神獣・白狐が懐いた女。それを皇帝が選んだと示されたのだから。
 瑶光の存在は、後宮の秩序を静かに揺るがしていた。

 側妃となった瑶光には、専用の居所が与えられた。絹の帳、香の棚、侍女が三人。ありがたかったが、白狐のもとへ通えなくなることが気がかりだった。
 ところが、白狐は瑶光の部屋に居着くようになったのだ。瑶光の他に触れられる者はいないため、止めることもできない。その上、皇帝が『白狐の世話は、これまでと同じ者たちに任せよ』と命じたため、動物舎の老女が瑶光の居所へ通うことが許された。

 老女は時折瑶光のもとを訪れては、瑶光と他愛もない言葉を交わす。それは、以前と同じ静かな時間だった。

「妃になっても、あんたは変わらないねぇ。白狐も居心地がいいんだろうよ」

 老女は笑いながら言った。
 瑶光は微笑みながら、白狐を撫でた。



 数日後、瑶光のもとに蔡貴妃がやって来た。
 蔡貴妃は、表向きには祝福の言葉を述べた。

「ご昇格、誠におめでとうございます。昔からの知人と、こうして同じ立場になれて嬉しいわ」

 その声は柔らかく、笑みも完璧だった。
 だが、瑶光はその瞳の奥に冷たい光を見た。それは、獲物を見定める猛禽の目だった。

(私が妃になったことが、この人にとってどれほどの屈辱か――)

 瑶光は知っていた。だが怯えるつもりはなかった。
 もう側妃なのだ。こんなことで怯んでは、ここでは生きていけないのだから。