動物舎の朝は静かだった。ここは鶏などの家畜もおらず、白狐しかいない。
後宮の華やかな喧騒とは無縁の場所。干し草の香りと獣の息づかいだけが、空気を満たしている。
白狐と瑶光と老女の二人。宮中とは思えないほど本当に不思議な場所だった。
簡単な仕事ばかりで、数日もたてば、瑶光はすっかりとこの場所に馴染んでいた。
瑶光は、今朝からずっと白狐の檻の前にしゃがみ込んでいた。餌桶を手に檻の中をじっと見つめる。
干し草の上に丸くなっている白狐は、目を閉じたまま微動だにしない。
「……食べてないわね」
瑶光は昨日置いた餌がほとんど手つかずで残っているのを見て、眉をひそめた。
「食べないのかい?」
背後から、年老いた下女の声が聞こえた。
「はい。食欲がないのでしょうか?」
「あんたはどう思うんだい? 他になにか、気がつかないかい?」
「え?」
老女の言葉に導かれるように、瑶光は白狐をよく観察した。
毛並みは艶やかだが、呼吸が浅い。耳の動きも鈍く、目を開ける気配がない。
(……何かがおかしい)
瑶光は、檻の前に膝をついた。
白狐のまわりを取り囲む雰囲気――『気』が昨日とは違っている。目に見えない何かが、乱れているような感じがした。
「……熱があるのかも」
瑶光は呟いた。
「でも治療なんて……太医を呼んでも、きっと信じてくれないわ」
瑶光は縋るように老女を見た。けれど彼女は何も言わず、干し草を整えながら餌桶を運んでいた。
その背中は、まるで何かを見透かしているようだった。
(私が助けなきゃ!)
瑶光は立ち上がり、薬草棚へ向かった。動物舎の片隅には簡易な薬草が保管されている。
昔、母から教わった知識を頼りに、解熱作用のある薬草を選び、細かく刻んだ。
(牛なんかには効くはずだけど、白狐にも効果はあるのかしら? でも、今はこれしかない。毒にはならないはずだから大丈夫)
瑶光は餌に薬草を混ぜ、檻の前にそっと置いた。
「食べられますか? お薬です」
白狐はしばらく動かなかった。だが、やがて鼻をひくつかせ、ゆっくりと顔を上げた。
金色の瞳が、瑶光を見つめる。
その視線に、瑶光は息を呑んだ。何かが通じたような――そんな気がした。
白狐は瑶光から餌に視線を移すとそっと口をつけた。一口、二口。ゆっくりと、確かに食べている。
「……よかった」
瑶光は、胸を撫で下ろした。
白狐の毛並みが朝の光を受けてきらめいている。
「気を読んだのかい?」
ふと気がつくと、瑶光の背後に老女が立っていた。彼女の言葉は冗談のようでいて、どこか真剣だった。
「……わかりません。あれが『気』なのでしょうか? ただ、何かが違うと感じただけです」
「そうかい。なら、あんたは『感じる』子なんだね」
瑶光はその言葉の意味を測りかねたまま、白狐の瞳を見つめた。
その瞳は、まっすぐに彼女を見返していた。
後宮の華やかな喧騒とは無縁の場所。干し草の香りと獣の息づかいだけが、空気を満たしている。
白狐と瑶光と老女の二人。宮中とは思えないほど本当に不思議な場所だった。
簡単な仕事ばかりで、数日もたてば、瑶光はすっかりとこの場所に馴染んでいた。
瑶光は、今朝からずっと白狐の檻の前にしゃがみ込んでいた。餌桶を手に檻の中をじっと見つめる。
干し草の上に丸くなっている白狐は、目を閉じたまま微動だにしない。
「……食べてないわね」
瑶光は昨日置いた餌がほとんど手つかずで残っているのを見て、眉をひそめた。
「食べないのかい?」
背後から、年老いた下女の声が聞こえた。
「はい。食欲がないのでしょうか?」
「あんたはどう思うんだい? 他になにか、気がつかないかい?」
「え?」
老女の言葉に導かれるように、瑶光は白狐をよく観察した。
毛並みは艶やかだが、呼吸が浅い。耳の動きも鈍く、目を開ける気配がない。
(……何かがおかしい)
瑶光は、檻の前に膝をついた。
白狐のまわりを取り囲む雰囲気――『気』が昨日とは違っている。目に見えない何かが、乱れているような感じがした。
「……熱があるのかも」
瑶光は呟いた。
「でも治療なんて……太医を呼んでも、きっと信じてくれないわ」
瑶光は縋るように老女を見た。けれど彼女は何も言わず、干し草を整えながら餌桶を運んでいた。
その背中は、まるで何かを見透かしているようだった。
(私が助けなきゃ!)
瑶光は立ち上がり、薬草棚へ向かった。動物舎の片隅には簡易な薬草が保管されている。
昔、母から教わった知識を頼りに、解熱作用のある薬草を選び、細かく刻んだ。
(牛なんかには効くはずだけど、白狐にも効果はあるのかしら? でも、今はこれしかない。毒にはならないはずだから大丈夫)
瑶光は餌に薬草を混ぜ、檻の前にそっと置いた。
「食べられますか? お薬です」
白狐はしばらく動かなかった。だが、やがて鼻をひくつかせ、ゆっくりと顔を上げた。
金色の瞳が、瑶光を見つめる。
その視線に、瑶光は息を呑んだ。何かが通じたような――そんな気がした。
白狐は瑶光から餌に視線を移すとそっと口をつけた。一口、二口。ゆっくりと、確かに食べている。
「……よかった」
瑶光は、胸を撫で下ろした。
白狐の毛並みが朝の光を受けてきらめいている。
「気を読んだのかい?」
ふと気がつくと、瑶光の背後に老女が立っていた。彼女の言葉は冗談のようでいて、どこか真剣だった。
「……わかりません。あれが『気』なのでしょうか? ただ、何かが違うと感じただけです」
「そうかい。なら、あんたは『感じる』子なんだね」
瑶光はその言葉の意味を測りかねたまま、白狐の瞳を見つめた。
その瞳は、まっすぐに彼女を見返していた。



