涼やかな風が、後宮の庭を静かに撫でる。
 瑶光は、赤子をあやす白狐を眺めながらのんびりとした時間をしていた。
 尾を揺らす白狐に手を伸ばす我が子。幸せな時間だった。

「ふふふっ、すっかり子育てが上手になりましたね」

 瑶光が白狐に囁くと、白狐は目を細め、尾をさらに揺らした。

 そのとき、足音が近づいてきた。
 老女がやって来たのだ。だが、いつもと様子が違う。

「どうかしましたか?」
「お別れを言いに来たのさ。ここに来るのは今日が最後だよ」

 瑶光は目を見開いた。

 「最後……?」

 老女は、白狐の背を一度だけ撫でた。白狐は嫌がる素振りをみせず、むしろ気持ち良さそうに目を細めた。
 自分以外の者は触れられないのだと思っていた瑶光は、目を丸くして驚いた。

「白狐の主が現れるまでの世話人。それが私の役目だった」
「あなたは……何者なのですか?」

 瑶光の言葉に、老女は少しだけ笑った。

「白狐が生まれた国の巫女だったのさ。神獣は国を越えて主を選ぶ。私は選定を見届ける役目として、白狐のそばにいた。相応しい者が現れなければ、白狐を連れ帰る者が必要だろう?」
「では、あなたはずっと……?」

 瑶光は、胸の奥が震えるのを感じた。

「あんたに白狐が懐いた時、すぐにわかったよ。運命が動いたのだとね」

 瑶光は膝をつき、老女に頭を下げた。それは、この国でもっとも敬意を示す礼だった。

「あなたがいたから、私はここまで来られました。白狐のことも、気のことも、子のことも……。全部、あなたが教えてくれましたね」
「そんな態度はやめとくれよ。あんたはこの国の皇后なんだからね」

 老女はカラカラと笑うと、瑶光を立ち上がらせた。

「本当にありがとうございます」

 瑶光は老女の手をしっかりと握りしめた。老女が瑶光の手を握り返すと、しわだらけの手から不思議な気が流れ込んできた。

「……っ!」
「餞別さ。良く考えて使いな」
「はい」

 巫女である老女から渡された力は、気を読むだけでなく、少し先の未来を見る力だった。


 老女は満足そうに微笑むと、静かに去っていった。その背は、キラキラと輝く風に包まれながら、ゆっくりと遠ざかっていった。
 瑶光は涙をこぼしながらその姿を見送った。白狐はその足元で静かに目を閉じていた。