太医の告白により、会場は収拾不能なほどざわめいていた。
瑶光は侍女の一人に耳打ちをし、ことの顛末を見守ることにした。
(私の出番はここまでのようだし。陛下にお任せしても良さそうね)
蔡貴妃は微動だにせず、扇を握る手だけがわずかに震えていた。妃たちは息を呑み、侍女たちは膝をついたまま顔を伏せている。
「今一度問おう、蔡貴妃。懐妊は真実か?」
皇帝の声は低く、毅然としていた。
蔡貴妃はゆっくりと立ち上がった。彼女の顔からは生気が抜けていた。能面のようなその表情に、誰もが唖然とした。これが後宮の華なのか、と――。
「私は……ただ、陛下に忠告したかったのです。陛下もご存知の通り、私は貴妃という立場でありながら、陛下と夜を過ごしたことがございません。それなのに、少し前まで下女だったような卑しい身の柳妃が懐妊したと聞いた時、私は……陛下を止めるべきだと思ったのです。この懐妊を壊すのが皇后代理の務めだと……」
蔡貴妃は言葉をつまらせた、扇を床に落とした。その音が、会場にひどく響いた。
「なぜ私ではないのですか! 陛下を思う気持ちは、誰にも負けない。異国の白狐にすべてを委ねるだなんて、間違っています! 順当にいけば私が子を成し、皇后となるはずでしたのに!」
皇帝は静かに彼女を見つめていた。その目には失望の色が浮かんでいる。
「蔡貴妃、お前は皇后の器ではないと思っていたが、貴妃の器ですらなかった。そなたの美しさも、才も、私は十分に認めていた。だが心から信じたことはない。腹の底が見えすぎる。なぜ民を大切に出来ぬ? なぜ表面だけ取り繕う? 何も企むなとは言わない。だが、つめが甘すぎる。何もかも中途半端だ」
蔡貴妃は、何も答えなかった。その姿は、美しい衣を纏っていても、どこか小さく見えた。
「蔡貴妃を後宮から一時的に隔離せよ。太医も解任とする。この件に関する全ての事柄は追って調査の後、関係者に正式に処罰を下すものとする!」
皇帝が侍従に命じた。侍従たちは頭を下げ、蔡貴妃の侍女を伴って彼女を連れ出した。蔡貴妃は一度だけ振り返ってこちらを見たが、皇帝の瞳は冷たく、瑶光の視線も揺るがなかった。
瑶光に寄り添っていた白狐は、尾を揺らした。その動きは、まるで幕が下りたことを告げるようだった。
宴は、葬儀のような雰囲気に包まれた。
(これは……参加した方々に申し訳が立たないわ)
瑶光は侍女に合図をすると皇帝に目配せをした。すると彼が頷いたので、瑶光は立ち上がり手をパンと叩いた。
「皆様、せっかくの宴を中断してしまい申し訳ありません。ここからは、私から皆様に感謝を伝える場とさせてくださいませ」
瑶光の言葉と共に新しい料理が運ばれてくる。それと同時に楽師たちが美しい音楽を奏で、伎女たちが踊り出す。
瑶光が侍女から伝えていたのだ。「この騒動の後、再び宴をする。準備を」と。
瑶光は姿勢を正し、皆を見渡した。
(私は妃よ。ここで皆にそれを周知するの)
自分自身に念じて、息を大きく吸う。
「さあ皆様、ごゆるりとお楽しみください。今この場には、陰謀も企みもございません。ただ私が陛下の子をなしたという事実があるだけです」
瑶光の明るい物言いに、皆から笑顔が漏れる。
ようやく会場は温かい雰囲気を取り戻した。
「よくやった」
瑶光が座ると、皇帝が満足げに笑みを浮かべていた。
「ありがたきお言葉です」
二人は微笑み合うと、杯を交わした。
その日の夜。
瑶光は、白狐と共に庭園の隅に佇んでいた。すると老女がそっと近づいてきた。
「よくやったじゃないか。白狐も、あんたも、陛下もさ。命を守ったんだ」
瑶光は微笑んだ。
「でも、まだ終わっていない気がします。白狐はまだ何かを見ている」
瑶光が白狐を撫でると、白狐は気持ち良さそうに目を細めた。
「白狐は先を読むからね。あんたの中の命も、まだ試されるかもしれない。もちろんあんた自身もね」
瑶光は腹に手を添えた。その中に宿る命は、静かに息づいている。
「この子を守る。それが私のすべてです」
白狐が夜空を見上げた。遠くで月が静かに輝いていた。
その光は、祝福のようであり――そして、次なる運命の予兆でもあった。
瑶光は侍女の一人に耳打ちをし、ことの顛末を見守ることにした。
(私の出番はここまでのようだし。陛下にお任せしても良さそうね)
蔡貴妃は微動だにせず、扇を握る手だけがわずかに震えていた。妃たちは息を呑み、侍女たちは膝をついたまま顔を伏せている。
「今一度問おう、蔡貴妃。懐妊は真実か?」
皇帝の声は低く、毅然としていた。
蔡貴妃はゆっくりと立ち上がった。彼女の顔からは生気が抜けていた。能面のようなその表情に、誰もが唖然とした。これが後宮の華なのか、と――。
「私は……ただ、陛下に忠告したかったのです。陛下もご存知の通り、私は貴妃という立場でありながら、陛下と夜を過ごしたことがございません。それなのに、少し前まで下女だったような卑しい身の柳妃が懐妊したと聞いた時、私は……陛下を止めるべきだと思ったのです。この懐妊を壊すのが皇后代理の務めだと……」
蔡貴妃は言葉をつまらせた、扇を床に落とした。その音が、会場にひどく響いた。
「なぜ私ではないのですか! 陛下を思う気持ちは、誰にも負けない。異国の白狐にすべてを委ねるだなんて、間違っています! 順当にいけば私が子を成し、皇后となるはずでしたのに!」
皇帝は静かに彼女を見つめていた。その目には失望の色が浮かんでいる。
「蔡貴妃、お前は皇后の器ではないと思っていたが、貴妃の器ですらなかった。そなたの美しさも、才も、私は十分に認めていた。だが心から信じたことはない。腹の底が見えすぎる。なぜ民を大切に出来ぬ? なぜ表面だけ取り繕う? 何も企むなとは言わない。だが、つめが甘すぎる。何もかも中途半端だ」
蔡貴妃は、何も答えなかった。その姿は、美しい衣を纏っていても、どこか小さく見えた。
「蔡貴妃を後宮から一時的に隔離せよ。太医も解任とする。この件に関する全ての事柄は追って調査の後、関係者に正式に処罰を下すものとする!」
皇帝が侍従に命じた。侍従たちは頭を下げ、蔡貴妃の侍女を伴って彼女を連れ出した。蔡貴妃は一度だけ振り返ってこちらを見たが、皇帝の瞳は冷たく、瑶光の視線も揺るがなかった。
瑶光に寄り添っていた白狐は、尾を揺らした。その動きは、まるで幕が下りたことを告げるようだった。
宴は、葬儀のような雰囲気に包まれた。
(これは……参加した方々に申し訳が立たないわ)
瑶光は侍女に合図をすると皇帝に目配せをした。すると彼が頷いたので、瑶光は立ち上がり手をパンと叩いた。
「皆様、せっかくの宴を中断してしまい申し訳ありません。ここからは、私から皆様に感謝を伝える場とさせてくださいませ」
瑶光の言葉と共に新しい料理が運ばれてくる。それと同時に楽師たちが美しい音楽を奏で、伎女たちが踊り出す。
瑶光が侍女から伝えていたのだ。「この騒動の後、再び宴をする。準備を」と。
瑶光は姿勢を正し、皆を見渡した。
(私は妃よ。ここで皆にそれを周知するの)
自分自身に念じて、息を大きく吸う。
「さあ皆様、ごゆるりとお楽しみください。今この場には、陰謀も企みもございません。ただ私が陛下の子をなしたという事実があるだけです」
瑶光の明るい物言いに、皆から笑顔が漏れる。
ようやく会場は温かい雰囲気を取り戻した。
「よくやった」
瑶光が座ると、皇帝が満足げに笑みを浮かべていた。
「ありがたきお言葉です」
二人は微笑み合うと、杯を交わした。
その日の夜。
瑶光は、白狐と共に庭園の隅に佇んでいた。すると老女がそっと近づいてきた。
「よくやったじゃないか。白狐も、あんたも、陛下もさ。命を守ったんだ」
瑶光は微笑んだ。
「でも、まだ終わっていない気がします。白狐はまだ何かを見ている」
瑶光が白狐を撫でると、白狐は気持ち良さそうに目を細めた。
「白狐は先を読むからね。あんたの中の命も、まだ試されるかもしれない。もちろんあんた自身もね」
瑶光は腹に手を添えた。その中に宿る命は、静かに息づいている。
「この子を守る。それが私のすべてです」
白狐が夜空を見上げた。遠くで月が静かに輝いていた。
その光は、祝福のようであり――そして、次なる運命の予兆でもあった。



