白狐に選ばれた下女、皇后となりて

 やがて、侍女が瑶光の前に祝いの膳を運んできた。
 細かい装飾を施された器に盛られた料理は、香りも良く、彩りも美しい。

「さあ皆様、祝いの膳ですわ。どうぞお召し上がりくださいませ」

 蔡貴妃の言葉で会場の異様な雰囲気が少しだけ和らいだ。
 皆が美味しそうに祝い膳を食べている。

 瑶光も箸を手に取った。
 だが白狐が立ち上がったのを見て、すぐに手を止めた。白狐は器に近づき、前足で器の縁を軽く叩いた。

 ガシャン!

 器が落ち、大きな音が会場に響いた。皆が一斉に瑶光を見る。
 瑶光は落ちた器をそっと手に取ると顔に近づけた。

(この間と同じ香りね)

 瑶光は器を見つめたまま、静かに息を整えた。皇帝が目を細めて瑶光を見つめている。
 会場の空気は氷のように冷たくなっていた。

 瑶光はゆっくりと立ち上がり、皇帝に目を向けた。

「失礼しました。……ところで陛下、蔡貴妃に祝宴のお礼を申し上げたく存じます」

 皇帝は無表情のまま頷いた。

「よかろう。柳妃に発言を許す」

 蔡貴妃も微笑みながら頷いた。

「まあ、お言葉をいただけるなんて光栄ですわ」

 瑶光は一歩前に出て、ゆっくりと頭を下げた。

「このような盛大な祝宴を賜り、誠にありがとうございます。妃として、そして母となる身として、心より感謝申し上げます」

 場が静まり返る。瑶光は顔を上げ、器を手に取った。

「ですが――今日の祝いの膳を見るに、どうやら私は祝福されていないようです。……毒が入っておりますもの」

 瑶光の言葉にざわめきが広がる。蔡貴妃の笑みが、わずかに揺らいだ。

「残念なことに、今回に限ったことではございません。一度目は、祝宴の三日前の昼膳。どちらも白狐が器を倒しました。この意味がわかりますか?」

 瑶光は器を皇帝に渡し、白狐の背に手を添えた。
 皇帝が器の匂いを確認すると、表情が険しくなった。

「これは……」
「器の匂いは、胎を冷やす薬草に似ております。動物舎に確認したところ、蔡貴妃の侍女が薬草を求めに来ていたことが明らかになっているのです。さて、三日前の昼膳、そしてこの祝い膳、どちらも蔡貴妃がご用意くださったもの。この状況ですから、側妃の私が、蔡貴妃を疑ってしまうのも仕方がないと思いませんか? ねえ、蔡貴妃」

 蔡貴妃が顔から笑みが消えた。彼女が自分の侍女に視線を送ると、侍女はへなへなとその場に座り込んでしまった。
 場の空気が、さらに冷たくなる。

 瑶光は皇帝に目を向けた。彼は静かに頷いた。

「陛下。今私が申し上げたことは、調べればすぐに分かること。ここで議論するつもりはありません。ただ、この祝い膳はいただけませんわ」

 皇帝は立ち上がった。その動きは、場の空気を一気に引き締めた。

「蔡貴妃、何か申し開きはあるか?」

 皆の視線が蔡貴妃に注がれる。
 蔡貴妃は笑みを浮かべていた。それはいつもの慈悲深い笑みだったが、瑶光には恐ろしい化物のように見えた。

「誤解ですわ、陛下。私は確かに侍女に頼んで薬草を用意させました。ですがそれは私のための薬草です。……さきほど申したように、私もまた、腹に子がいるのです。ですが、私の胎は熱を持ってしまったのです。それで胎を冷やす薬草を求めたに過ぎません。柳妃はまだ後宮に慣れておらず、皆が敵に見えてしまうのでしょう。懐妊すると精神がおかしくなる者もおります。一度太医に診ていただくべきでしょうね」

 蔡貴妃の言葉に会場が沈黙に包まれた。

(なんという……この人は息をするように嘘を吐くのね)

 瑶光が反論しようを口を開いたとき、隣から深いため息が聞こえた。
 皇帝のため息だった。

「よかろう。この場に太医を呼べ。蔡貴妃は『誠に』それで良いのか?」

 皇帝は静かに蔡貴妃を見つめている。蔡貴妃は笑みを浮かべたまま頷いた。

「もちろんでございます」
「そうか……お前には失望した」

 皇帝がこぼした言葉に、この場にいた全員が息をのんだ。
 蔡貴妃も愕然とした表情で皇帝を見つめた。

「なぜ、そのようなことを……」
「私も、ある事実を知っている。蔡貴妃の懐妊は――偽装だということを」

 蔡貴妃の瞳が揺れる。

「太医を呼べ」

 皇帝が再び命ずると、侍従たちが慌てて走り出した。
 その姿を見届けた皇帝は再び口を開いた。

「なぜ私が騙されると思うのだ。蔡貴妃、お前と私が夜を共にしたことがあったか? もし誠に子をなしているとしたら、そちらの方が問題だろう」
「そっ、それは……陛下が覚えておられないだけですわ! 私は確かにっ……」
「ならばその日付を申してみよ。記録係に確認を取ろうではないか。毎夜、私が何をして過ごしたか、丁寧に記載されている。あぁ、彼らを買収した気でいたのだろう? 甘い。彼らは端金では動かぬように訓練されている。……太医と違ってな」

 皇帝が言い終わると同時に、太医が連れてこられた。
 青い顔の太医はすでに拘束されており、今にも倒れそうだ。

「蔡貴妃の診断書。これを偽造したと、すでに自白を得ている」

 皇帝の冷たい言葉に、太医は震えながら頭を下げた。

「も、申し訳ございません。蔡貴妃様の命により、懐妊と記した診断書を偽造いたしました」