神の子を宿した追放巫女は守り神が愛する天縁ノ神花に返り咲く

 そうして迎えた千紘が生贄に差し出される日。その日は朝からどんよりと灰色の高層雲に空が覆われていた。

「ぐずぐずするな。場所は遠い。早く俥に乗れ」

 朝未だきの常盤家に響く養父の声に急き立てられた千紘は長年住んだ屋敷への別れもほどほどに俥まで連れて行かれる。
 寿々葉の着古である白衣と緋袴の巫女の装束姿に着替えた千紘を待っていたのは、屋敷の前に停められた俥と車夫、そして案内役と思われる巫覡の若い男であった。千紘と思しき巫覡の青年に小さく会釈をしていると、養父に「これが此度の贄です」と軽く肩を突き飛ばされてよろめいてしまう。危うく転倒しそうになった千紘を抱き留めて支えてくれたのは、巫覡の青年であった。

「大丈夫ですか、お嬢さん?」
「ええ、ありがとう、ございます……」

 青年の手を借りて体勢を立て直すと背後で養父の舌打ちが耳に入って居心地が悪くなる。すると屋敷の方から誰かが駆けてくる足音が聞こえてきたかと思うと、鈴のような軽やかな声を響かせながら「永久(ながひさ)様っ!」と寿々葉が青年に抱きついたのだった。

「ひどいわっ! せっかくお屋敷に来たというのにわたくしにも挨拶しないなんて!!」
「申し訳ない、寿々葉殿。押し明け方に君の元を訪れるのは良くないと思ってね。それに君はもう『神ノ巫女』だ。他の男と気軽に会ってはならないよ。万が一にも腹の御子に触ったらどうするんだい?」
「永久様は他の殿方とは違うわっ!! それにお腹の御子も喜んでいます。ほら、守り神様の清浄なる力を感じません?」
「本当かい!? どれどれ……」

 千紘の前で繰り広げられる寿々葉の腹に手を当てる永久と無邪気に笑う寿々葉の姿にどんどん熱が冷めていくのを感じる。永久が少しばかり千紘に優しくしてくれたからといって、この屋敷の人たちと違うと思いかけた自分が恥ずかしい。
 手を握り締めると二人に背を向けて、車夫に手伝ってもらいながら俥に乗り込む。すると養父が含むように言い聞かせてくる。

「良いか。永久は常盤姓を名乗る巫覡の中でも一、二を争う実力者だ。足手まといにはなるな」
「……心得ております」
「相変わらず可愛げのない奴だ。必ず生贄として役目を果たしてこい。失敗したとしてもこの家にお前の居場所は無い。後はどこへなりとも行って朽ち果てると良い」

 鼻先で笑った養父と引き換えに寿々葉と話し終わった永久が隣に乗り込む。まだ別れを惜しむ寿々葉を引き離すように寿々葉を取り巻く女中たちが寿々葉の肩を抱いて、一人が「お嬢様と御子に触ります」と恭しく羽織を掛けたのだった。
 数日前に寿々葉が守り神の御子を懐妊したと公表されてから何度も見飽きた光景。寿々葉から目を逸らすと遠く屋敷の中庭から天頂に向かって真っすぐに伸びる老い木の神木を見つめる。子供の頃は寿々葉や嫌がらせをされて、養父母から激しく叱責される度に神木の根元で泣いていた。その時は不思議と神木に守られているような気になったのだった。
 かつて常盤家が最初の守り神の子を身籠った時に下賜された苗木は遥かな長い時間を掛けて巨木として成長し、激しい暴風雨や雪風巻にも負けずに悠久の時を生きて常盤家を守ってきた。幾重にも伸びた五百枝からは青々した碧緑の葉を生やして、春から夏の時期にかけては白い花を咲かせる花木として親しまれてきたのだった。
 しかし千紘が生まれた頃から枯れ枝が目立つようになり、今ではわずかな若枝に未発達な葉を残すばかりとなっていた。見た目を重視する養父は御神木として役割を果たしている間は残すだろうが、完全な枯木となった時は伐採するつもりだろう。役に立たなくなったら切り捨てられるというところは千紘の境遇と似ていて、どこか親近感が湧いていた。
 ただ異能にも目覚めず、「神ノ巫女」にもなれなかった千紘とは違って、神木は今でも常盤家を見守るという役割を果たしている。
 いつかまた葉を茂らせて幾万の花を咲かせてくれるだろうが、それをこの目で見られないことは残念でならない。

(今までありがとうございました。さよなら)

 心の中で神木に別れを告げて、千紘たちを乗せた俥は国の北部へと走り出す。
 目指すは邪神が眠る土地。千紘が最期を迎える場所であった。