この国の守り神より天啓が下った日は常盤家が祝福に包まれて、朝まで祝いの宴が行われた。貴重な天啓を直接見た西洋国の使者たちは一躍時の人として国の内外でもてはやされて、下働きの者たちは正式に「神ノ巫女」に選ばれた寿々葉の寵愛を受けようとますますすり寄るようになった。
寿々葉自身もそれを当然と言うように受け入れて、守り神の御子を産む身体を過保護なまでに心配する両親と少しでも気に入られようと取り巻きのように従う女中たちと共に贅を尽くした日々を送り、懐妊の兆しが表れるのを待ち続けたのだった。
一方の千紘は寿々葉が正式に『神ノ巫女』に選ばれたことで、常盤家の籍から除外されて「千紘」の名前しか持たないただの下女になった。
本来千紘が選ばれるはずだった「神ノ巫女」になれず、常盤家の一員から追い出されても常盤家の使用人として置かせてもらえているのは、寿々葉たちが言っていたように邪神への貢ぎ物としての使い道に加えて、数年前に亡くなった先代の常盤家当主の遺言によるものだろう。
常盤家の遠縁に当たるものの、巫覡一族に必要な「異能」を持っていなかった千紘は、本来であれば常盤家とは縁もゆかりも無い生活を送るはずであった。
しかし先代の常盤家当主である寿々葉の祖父が自身の異能である「未来予知」によって、「千紘が『神ノ巫女』に選ばれる」と宣言をした。その直前に流行病で両親を亡くしていたこともあり、千紘は常盤本家に引き取られると「神ノ巫女」として修業に励んだが、先に異能を得たのは千紘の一歳下の義妹である寿々葉だった。
寿々葉は先代当主と同じ「未来予知」の異能に目覚めると、常盤家の発展に貢献した。
当主でありながら異能がほぼ皆無の父親を支えて、寿々葉を産んだ際に異能を失った母親の心に寄り添った。
そして「神ノ巫女」として一目置かれていた血の繋がらない姉妹の千紘とは違って巫女として神事への従事に精を出して、周囲から名声を得るうちに、やがて未だ異能に目覚めず巫女の役目さえ果たせない千紘よりも、異能を持って人々の役に立つ寿々葉こそが「神ノ巫女」に相応しいと思うようになったのだった。
常盤家の人間が異能に目覚めるのは十六歳まで。それまでに目覚めなければ、異能を持たない「無能力者」に分類される。「神ノ巫女」に選ばれるには異能が必要不可欠なため、十六歳を過ぎても異能を得られ無かった千紘は「無能力者」の烙印を押されたのと同時に「神ノ巫女」の資格さえ失った。
千紘が「無能力者」だと確定してからは、誰もが寿々葉こそが「神ノ巫女」だと考えるようになったのだった。
天啓の翌日、複数人の役人と寿々葉の父親が立ち合いの元で「寿々葉が『神ノ巫女』に選ばれた娘」なのか再度神木を通して守り神に問いかけたところ、「其方を『神ノ巫女』に命じる」というお告げが守り神より下されたと寿々葉の父親が語った。
こうして「神ノ巫女」の座は寿々葉で確定し、万が一にも備えて残してもらっていた千紘の籍ごと常盤姓と先代当主が遺した「神ノ巫女」に関する一切の財産を返納した。
他に行き場が無い千紘は「常盤家がいずれ邪神の生贄として捧げるために屋敷で雇った遠縁の下女」という立場になっており、それまでは使用人としてこれまで以上に水仕事や汚れ仕事を押し付けられて、夜が明けきる前から日付が変わる時まで仕事をさせられたのだった。
「千紘、来なさい。奥様とお嬢様がお呼びです」
その日も屋敷裏の井戸で水仕事をしていた千紘は女中長の言葉で家族が集う座敷へと連れて行かれた。
かつての家族と顔を合わせるのは天啓が下された日以来だったが顔ぶれに変わりは無く、ただ寿々葉の帯の位置が変わっていた。
天啓の日まで寿々葉の着付けをしていた千紘には寿々葉の帯がお腹を圧迫しないように工夫された着付け方に変わっていることに瞬時に気付き、そして一瞬の予感めいたものを感じた。
そしてそれを裏付けるようにかつての養父から寿々葉について告げられたのだった。
「『神ノ巫女』寿々葉が守り神様の御子を身籠った」
「……おめでとうござっ」
「口を開くなっ!」
間髪入れずに飛んできた怒号で千紘は「申し訳ございません」と機械的に叩頭するが、当の寿々葉は「あーあ。お父様に怒られちゃった」と愉快そうにほくそ笑んだだけであった。
「『神ノ巫女』が産む御子は次なる帝。これはまだ内密の話である故に誰にも話してはならん。最もお前の話を聞く者などこの屋敷にいるはずも無いが」
「あなた、あまり言わないであげて下さいませ。現実を突きつけるなんてあまりにも酷ですわ」
「そうよ、お父様。こうして下働きの誰よりも先に守り神さまの御子の懐妊を教えてあげただけでも幸せよ。常盤家の親戚という立場に感謝しなきゃ。そうでしょ? そこのお前?」
「……左様でございます」
この国の次代の帝となる守り神の子供を宿せるのは「神ノ巫女」だけ。寿々葉が懐妊した以上、守り神に選ばれた「神ノ巫女」であることは、これで決定打となった。
ただ家族の縁を切ったはずの千紘を呼び出してわざわざ教える意図が理解できない。他の下働きの者たちと同じように教えなかったのは何故か。
そんな疑問に答えるように、かつての養父が口を開く。
「国の北方に常盤家が管理する社がある。知っておるか?」
「かつて守り神様と常盤家によって封印された邪神が眠る場所、として存じております」
「左様。その邪神が目覚めたと報告が昨晩もたらされた」
ゾクリと千紘の背中に鳥肌が立った。守り神が封じた邪神の話は昔から有名で市井の子供でも知っている。
太古の時代に北方の村の半数を滅ぼした悪しき堕ち神。守り神と三日三晩の戦いの末に、常盤家が中心となって封印したという国を脅かす邪神であった。
定期的に封印は施されているらしいが、近年は封印が弱っていると噂されていた。目覚めるのも時間の問題だろうと言われていたが、まさかこんな時に封印が解けるとは想像もしていなかった。
「再び邪神を封じるには常盤家の血を引く生贄が必要だ。異能の有無は関係ない。清らかな血肉を持つ常盤家の乙女――丁度お前のような」
「……わたしで、ございますか」
「常盤家で生贄に手頃な娘は少ない。うちの寿々葉は『神ノ巫女』につき、最初から除外されている。最も御子を身籠った今となっては生贄の娘と並べることさえ無礼に当たる」
寿々葉がクスリと含み笑いをする。その嫌な微笑みに千紘の身体から血の気が引いていく。
「しかし寿々葉からうってつけの娘を教えてもらった。それがお前だ、千紘。今こそ我が家に育てられた恩を返すべきであろう」
「……他の娘ではいけませんか?」
「他の娘は親が生贄に差し出すことを拒んだ。しかし孤児のお前が生贄になることを拒否する者はおらん。遠縁と言えども、お前も常盤家の血を引く。我らもお前が生贄となることに賛成なのだ」
「『神ノ巫女』どころか異能に目覚めなかった『無能力者』のお前が未だにこの家に置かれている意味を少しは考えたかい? 全てはこの時のため。邪神を鎮める贄となるためさ」
「たとえ『神ノ巫女』になれなくともこれまで我が家と私たちがお前を育てたのだ。最期くらい尽くされた礼をするべきではないか?」
言葉の応酬をするまでもなく、かつての養父母の言葉を受け入れるしかない千紘は「承知いたしました……」と力無い声で呟く。
「これまで育てていただきありがとうございました……ご当主様、奥様、寿々葉様」
自分の命さえ思い通りになれず、全てを諦めて床板に額を擦り付けるように平伏した千紘の耳に入ったのは寿々葉の嗤笑だった。
「お前のために巫女の装束を用意させたわ。わたくしの着古だけど、今の襤褸よりは断然まともよ。生贄とはいえ常盤家の家格を下げないために、少しでも着飾らなくてわ……あなたもそう思うわよね?」
お腹に手を当てながら我が子を愛おしむように声を掛ける寿々葉の軽やかな声に胸が痛む。
その言葉と態度がわざとらしく見えるが、ただ承諾というように、深く頭を下げ続けたのだった。
寿々葉自身もそれを当然と言うように受け入れて、守り神の御子を産む身体を過保護なまでに心配する両親と少しでも気に入られようと取り巻きのように従う女中たちと共に贅を尽くした日々を送り、懐妊の兆しが表れるのを待ち続けたのだった。
一方の千紘は寿々葉が正式に『神ノ巫女』に選ばれたことで、常盤家の籍から除外されて「千紘」の名前しか持たないただの下女になった。
本来千紘が選ばれるはずだった「神ノ巫女」になれず、常盤家の一員から追い出されても常盤家の使用人として置かせてもらえているのは、寿々葉たちが言っていたように邪神への貢ぎ物としての使い道に加えて、数年前に亡くなった先代の常盤家当主の遺言によるものだろう。
常盤家の遠縁に当たるものの、巫覡一族に必要な「異能」を持っていなかった千紘は、本来であれば常盤家とは縁もゆかりも無い生活を送るはずであった。
しかし先代の常盤家当主である寿々葉の祖父が自身の異能である「未来予知」によって、「千紘が『神ノ巫女』に選ばれる」と宣言をした。その直前に流行病で両親を亡くしていたこともあり、千紘は常盤本家に引き取られると「神ノ巫女」として修業に励んだが、先に異能を得たのは千紘の一歳下の義妹である寿々葉だった。
寿々葉は先代当主と同じ「未来予知」の異能に目覚めると、常盤家の発展に貢献した。
当主でありながら異能がほぼ皆無の父親を支えて、寿々葉を産んだ際に異能を失った母親の心に寄り添った。
そして「神ノ巫女」として一目置かれていた血の繋がらない姉妹の千紘とは違って巫女として神事への従事に精を出して、周囲から名声を得るうちに、やがて未だ異能に目覚めず巫女の役目さえ果たせない千紘よりも、異能を持って人々の役に立つ寿々葉こそが「神ノ巫女」に相応しいと思うようになったのだった。
常盤家の人間が異能に目覚めるのは十六歳まで。それまでに目覚めなければ、異能を持たない「無能力者」に分類される。「神ノ巫女」に選ばれるには異能が必要不可欠なため、十六歳を過ぎても異能を得られ無かった千紘は「無能力者」の烙印を押されたのと同時に「神ノ巫女」の資格さえ失った。
千紘が「無能力者」だと確定してからは、誰もが寿々葉こそが「神ノ巫女」だと考えるようになったのだった。
天啓の翌日、複数人の役人と寿々葉の父親が立ち合いの元で「寿々葉が『神ノ巫女』に選ばれた娘」なのか再度神木を通して守り神に問いかけたところ、「其方を『神ノ巫女』に命じる」というお告げが守り神より下されたと寿々葉の父親が語った。
こうして「神ノ巫女」の座は寿々葉で確定し、万が一にも備えて残してもらっていた千紘の籍ごと常盤姓と先代当主が遺した「神ノ巫女」に関する一切の財産を返納した。
他に行き場が無い千紘は「常盤家がいずれ邪神の生贄として捧げるために屋敷で雇った遠縁の下女」という立場になっており、それまでは使用人としてこれまで以上に水仕事や汚れ仕事を押し付けられて、夜が明けきる前から日付が変わる時まで仕事をさせられたのだった。
「千紘、来なさい。奥様とお嬢様がお呼びです」
その日も屋敷裏の井戸で水仕事をしていた千紘は女中長の言葉で家族が集う座敷へと連れて行かれた。
かつての家族と顔を合わせるのは天啓が下された日以来だったが顔ぶれに変わりは無く、ただ寿々葉の帯の位置が変わっていた。
天啓の日まで寿々葉の着付けをしていた千紘には寿々葉の帯がお腹を圧迫しないように工夫された着付け方に変わっていることに瞬時に気付き、そして一瞬の予感めいたものを感じた。
そしてそれを裏付けるようにかつての養父から寿々葉について告げられたのだった。
「『神ノ巫女』寿々葉が守り神様の御子を身籠った」
「……おめでとうござっ」
「口を開くなっ!」
間髪入れずに飛んできた怒号で千紘は「申し訳ございません」と機械的に叩頭するが、当の寿々葉は「あーあ。お父様に怒られちゃった」と愉快そうにほくそ笑んだだけであった。
「『神ノ巫女』が産む御子は次なる帝。これはまだ内密の話である故に誰にも話してはならん。最もお前の話を聞く者などこの屋敷にいるはずも無いが」
「あなた、あまり言わないであげて下さいませ。現実を突きつけるなんてあまりにも酷ですわ」
「そうよ、お父様。こうして下働きの誰よりも先に守り神さまの御子の懐妊を教えてあげただけでも幸せよ。常盤家の親戚という立場に感謝しなきゃ。そうでしょ? そこのお前?」
「……左様でございます」
この国の次代の帝となる守り神の子供を宿せるのは「神ノ巫女」だけ。寿々葉が懐妊した以上、守り神に選ばれた「神ノ巫女」であることは、これで決定打となった。
ただ家族の縁を切ったはずの千紘を呼び出してわざわざ教える意図が理解できない。他の下働きの者たちと同じように教えなかったのは何故か。
そんな疑問に答えるように、かつての養父が口を開く。
「国の北方に常盤家が管理する社がある。知っておるか?」
「かつて守り神様と常盤家によって封印された邪神が眠る場所、として存じております」
「左様。その邪神が目覚めたと報告が昨晩もたらされた」
ゾクリと千紘の背中に鳥肌が立った。守り神が封じた邪神の話は昔から有名で市井の子供でも知っている。
太古の時代に北方の村の半数を滅ぼした悪しき堕ち神。守り神と三日三晩の戦いの末に、常盤家が中心となって封印したという国を脅かす邪神であった。
定期的に封印は施されているらしいが、近年は封印が弱っていると噂されていた。目覚めるのも時間の問題だろうと言われていたが、まさかこんな時に封印が解けるとは想像もしていなかった。
「再び邪神を封じるには常盤家の血を引く生贄が必要だ。異能の有無は関係ない。清らかな血肉を持つ常盤家の乙女――丁度お前のような」
「……わたしで、ございますか」
「常盤家で生贄に手頃な娘は少ない。うちの寿々葉は『神ノ巫女』につき、最初から除外されている。最も御子を身籠った今となっては生贄の娘と並べることさえ無礼に当たる」
寿々葉がクスリと含み笑いをする。その嫌な微笑みに千紘の身体から血の気が引いていく。
「しかし寿々葉からうってつけの娘を教えてもらった。それがお前だ、千紘。今こそ我が家に育てられた恩を返すべきであろう」
「……他の娘ではいけませんか?」
「他の娘は親が生贄に差し出すことを拒んだ。しかし孤児のお前が生贄になることを拒否する者はおらん。遠縁と言えども、お前も常盤家の血を引く。我らもお前が生贄となることに賛成なのだ」
「『神ノ巫女』どころか異能に目覚めなかった『無能力者』のお前が未だにこの家に置かれている意味を少しは考えたかい? 全てはこの時のため。邪神を鎮める贄となるためさ」
「たとえ『神ノ巫女』になれなくともこれまで我が家と私たちがお前を育てたのだ。最期くらい尽くされた礼をするべきではないか?」
言葉の応酬をするまでもなく、かつての養父母の言葉を受け入れるしかない千紘は「承知いたしました……」と力無い声で呟く。
「これまで育てていただきありがとうございました……ご当主様、奥様、寿々葉様」
自分の命さえ思い通りになれず、全てを諦めて床板に額を擦り付けるように平伏した千紘の耳に入ったのは寿々葉の嗤笑だった。
「お前のために巫女の装束を用意させたわ。わたくしの着古だけど、今の襤褸よりは断然まともよ。生贄とはいえ常盤家の家格を下げないために、少しでも着飾らなくてわ……あなたもそう思うわよね?」
お腹に手を当てながら我が子を愛おしむように声を掛ける寿々葉の軽やかな声に胸が痛む。
その言葉と態度がわざとらしく見えるが、ただ承諾というように、深く頭を下げ続けたのだった。



