「……お呼びでしょうか。寿々葉様」
「この装束を見なさいっ! 袖に汚れがあるじゃないっ!! しっかり洗うように言ったわよねっ!?」
寿々葉が示した右袖には薄っすらとだが泥汚れの跡があった。先日、糠雨の中で催された大神への感謝を捧げる舞を披露した際に付着した泥を含んだ雨滴が落としきれずに残っていたのだろう。寿々葉はただひたすらに冷たい木目の床に額を擦り付けて、謝罪の言葉を口にし続けたのだった。
「申し訳ございません、寿々葉様、奥様。伝統ある常盤家の装束を汚れたままにして申し訳ございません……」
「お前、何でも謝れば済むと思っているのかい?」
挑発的な屋敷の女主人たる寿々葉の母親の言葉で、千紘は「とんでもございませんっ!」と叩頭したまま謝罪を続ける。
「これも全て私の管理が至らぬばかりに起きた次第でございます。どうぞ如何様にもご叱責ください」
「そう。じゃあ汚れを落としておいてくれるかしら。次に使う時までは汚れ一つない状態で着たいもの」
「承知いたしました。すぐに洗濯をいたします」
「罰として汚れを全て落とすまでお前の食事は抜きよ。そう女中長にも申し伝えておきますからね」
「……ありがとうございます。奥様、寿々葉様」
ますます地面に額を擦り付けて礼を述べる千紘に寿々葉の母親は背を向けて奥座敷を後にする。残った寿々葉と言えば、「そろそろ頭を上げたらどうなの?」と侮蔑を込めて千紘に声を掛けたのだった。
「部屋に来て着替えを手伝いなさい。巫女舞の装束の扱い方は知っているわね?」
「……脱ぎ捨てずにすぐに畳んで、その上を跨がず、物を置かないです」
「さすが! やっぱり分かっているわね、お義姉様はっ!」
弾むような足取りで部屋に向かう寿々葉の後ろを粛々とついて行く千紘。手は装束の泥汚れ落としと水仕事で傷だらけであり、襤褸切れ同然の擦り切れた着物や艶を失った流し伸ばしの黒髪と青白い肌がますます千紘を貧相に見せていた。すれ違う下働きの者たちは寿々葉たちに道を譲って一礼しつつ、寿々葉の影に隠れて暗い顔で歩く千紘に哀憐の眼差しを向けるが、それがますます千紘を不憫に思わせたのだった。
この常盤家に引き取られた遠縁の娘にして寿々葉の義理の姉でありながら、下女として働かせられる日々。これも全てこの国の守り神が下した神託による結果であった。
そんな千紘の姿に他の女中や下男たちの誰も憐憫の情を禁じ得ないが、同情心や哀れみから手を差し伸べようとは思わない。この家で「神ノ巫女」たる寿々葉とその両親の命令は絶対だった。
千紘を助けて彼らの機嫌を損ねてしまえば、今度は自分の首が飛んでしまう。それ故に千紘は孤独の中で一人耐え忍ぶことしかできなかったのだった。
「さあ、早く装束を脱がせてくれる? ずっと着ていたから疲れちゃった」
贅を尽くした自室に入るなり、千紘に巫女装束を脱がせるよう寿々葉が頼んでくる。千紘は短く返事をすると、寿々葉が身に纏う千早の胸元の紐を解いてゆっくりと脱がせると手早く畳んで行李の中に仕舞う。
寿々葉が白衣と緋袴を脱いでいる頃、千紘は着替えの用意をしていたが、千紘が装束から目を離した隙を見計らって、寿々葉が行李に仕舞われた装束を鷲掴みする。
そんな寿々葉の行動に気付いた千紘が制止するより前に、中庭に面した部屋の窓から放り投げられた装束は宵の空を舞って池の中に落ちたのだった。
「なっ、何をするのですか……っ!?」
窓から身を乗り出すように千紘が池に落ちた装束を見るが、穢れなき白生地の装束は見る見るうちに池の水を吸って沈んでいった。すぐさま擦り切れた足袋で窓から闇夜に包まれた玉砂利の庭に飛び出して濡れるのも躊躇わずに池の中から装束を拾い上げるが、その瞬間を寿々葉の取り巻きである女中の一人に見られてしまった。
女中はニヤリと嫌らしい嗤笑を浮かべた後に、周囲に聞こえるように声を張り上げたのだった。
「誰か来てっ! 千紘様がお嬢様の装束を池に捨てているわっ!!」
「私は寿々葉様が窓から放り投げた装束を拾っただけで……っ!!」
その言葉で他の女中たちが集まってきて千紘を疑うように見つめだし、やがて女中長に呼ばれたのか寿々葉の母親が姿を現わす。
「この装束を見なさいっ! 袖に汚れがあるじゃないっ!! しっかり洗うように言ったわよねっ!?」
寿々葉が示した右袖には薄っすらとだが泥汚れの跡があった。先日、糠雨の中で催された大神への感謝を捧げる舞を披露した際に付着した泥を含んだ雨滴が落としきれずに残っていたのだろう。寿々葉はただひたすらに冷たい木目の床に額を擦り付けて、謝罪の言葉を口にし続けたのだった。
「申し訳ございません、寿々葉様、奥様。伝統ある常盤家の装束を汚れたままにして申し訳ございません……」
「お前、何でも謝れば済むと思っているのかい?」
挑発的な屋敷の女主人たる寿々葉の母親の言葉で、千紘は「とんでもございませんっ!」と叩頭したまま謝罪を続ける。
「これも全て私の管理が至らぬばかりに起きた次第でございます。どうぞ如何様にもご叱責ください」
「そう。じゃあ汚れを落としておいてくれるかしら。次に使う時までは汚れ一つない状態で着たいもの」
「承知いたしました。すぐに洗濯をいたします」
「罰として汚れを全て落とすまでお前の食事は抜きよ。そう女中長にも申し伝えておきますからね」
「……ありがとうございます。奥様、寿々葉様」
ますます地面に額を擦り付けて礼を述べる千紘に寿々葉の母親は背を向けて奥座敷を後にする。残った寿々葉と言えば、「そろそろ頭を上げたらどうなの?」と侮蔑を込めて千紘に声を掛けたのだった。
「部屋に来て着替えを手伝いなさい。巫女舞の装束の扱い方は知っているわね?」
「……脱ぎ捨てずにすぐに畳んで、その上を跨がず、物を置かないです」
「さすが! やっぱり分かっているわね、お義姉様はっ!」
弾むような足取りで部屋に向かう寿々葉の後ろを粛々とついて行く千紘。手は装束の泥汚れ落としと水仕事で傷だらけであり、襤褸切れ同然の擦り切れた着物や艶を失った流し伸ばしの黒髪と青白い肌がますます千紘を貧相に見せていた。すれ違う下働きの者たちは寿々葉たちに道を譲って一礼しつつ、寿々葉の影に隠れて暗い顔で歩く千紘に哀憐の眼差しを向けるが、それがますます千紘を不憫に思わせたのだった。
この常盤家に引き取られた遠縁の娘にして寿々葉の義理の姉でありながら、下女として働かせられる日々。これも全てこの国の守り神が下した神託による結果であった。
そんな千紘の姿に他の女中や下男たちの誰も憐憫の情を禁じ得ないが、同情心や哀れみから手を差し伸べようとは思わない。この家で「神ノ巫女」たる寿々葉とその両親の命令は絶対だった。
千紘を助けて彼らの機嫌を損ねてしまえば、今度は自分の首が飛んでしまう。それ故に千紘は孤独の中で一人耐え忍ぶことしかできなかったのだった。
「さあ、早く装束を脱がせてくれる? ずっと着ていたから疲れちゃった」
贅を尽くした自室に入るなり、千紘に巫女装束を脱がせるよう寿々葉が頼んでくる。千紘は短く返事をすると、寿々葉が身に纏う千早の胸元の紐を解いてゆっくりと脱がせると手早く畳んで行李の中に仕舞う。
寿々葉が白衣と緋袴を脱いでいる頃、千紘は着替えの用意をしていたが、千紘が装束から目を離した隙を見計らって、寿々葉が行李に仕舞われた装束を鷲掴みする。
そんな寿々葉の行動に気付いた千紘が制止するより前に、中庭に面した部屋の窓から放り投げられた装束は宵の空を舞って池の中に落ちたのだった。
「なっ、何をするのですか……っ!?」
窓から身を乗り出すように千紘が池に落ちた装束を見るが、穢れなき白生地の装束は見る見るうちに池の水を吸って沈んでいった。すぐさま擦り切れた足袋で窓から闇夜に包まれた玉砂利の庭に飛び出して濡れるのも躊躇わずに池の中から装束を拾い上げるが、その瞬間を寿々葉の取り巻きである女中の一人に見られてしまった。
女中はニヤリと嫌らしい嗤笑を浮かべた後に、周囲に聞こえるように声を張り上げたのだった。
「誰か来てっ! 千紘様がお嬢様の装束を池に捨てているわっ!!」
「私は寿々葉様が窓から放り投げた装束を拾っただけで……っ!!」
その言葉で他の女中たちが集まってきて千紘を疑うように見つめだし、やがて女中長に呼ばれたのか寿々葉の母親が姿を現わす。



