――昼休みに、国語担当の堺先生に呼ばれた。
 出張の為、日直の私が代わりにノートを返却してとのこと。
 三十四冊あるノートは、受け取った時に重みで手が少し沈んだ。
 
 どうして、今日なの?
 時おり右足に目線を落としながら廊下を歩いていると、隣から手が伸びてノートが持ち上げられた。
 横を向くと、高槻くんの顔が接近している。
 
「これ、どこへ持っていけばいい?」

 彼は最近、なにかと構ってくる。
 それがいつか傷つくことになるとも知らずに。
 私は眉をつりあげたまま、彼からノートを奪った。
 
「高槻くんには関係ありません」

 かわいげなく、突き放すように走り出した。
 右足が床につくたびに、針を刺すような痛みが響く。

「……足、さっきからなんかおかしくない?」

 一瞬、心が見透かされたような気がして、ビクッと体が揺れた。
 
「えっ、あ、いや。気にしないで下さい」

 ノートを胸にギュッと抱えたまま少し小走りすると、痛みで思わず足が止まる。
 が、次の瞬間。視界は揺れ、体がふわりと宙に浮き、温かい腕に包まれた。 
 彼の顔が間近に迫ると、耳まで熱くなり、息が詰まった。
 
「えっ! ちちょ……ちょっと! なにす……」
「その右足、いつまで犠牲にするつもり?」

 冷静な声が届くと、左右に揺れていた足が止まった。
 
「へっ?」
「ケガしたんでしょ。バレーボールの時」
「どうして、それを」

 授業中に足をひねったことは、誰も気づいていないと思ったのに。
 
「足を引きずってたから、あの時かなって。痛いはずなのに、どうして自分を労らわないの?」

 唇を軽く結び、目線を胸元に置いた。
 
「ノートを僕に渡す? それとも、このまま保健室でいい?」
「えっ!」
「返事をしないと、このまま保健室につれていくよ」

 間近に感じる、彼の香り。
 懐かしくて、恋しくて、胸がぎゅっと締めつけられる。
 頬が熱くなったまま口を結んでいると、周囲の女子が「きゃあ、お姫さま抱っこだ!」と騒ぎ、私たちは注目の的になってしまった。
 
「あああ……あのっ。ノートを渡すから、いますぐ下ろしてくださいっ!」

 こんな大きな声を上げたのは、入学してから初めて。
 ジタバタしていると、彼は柔らかく微笑み、足のほうからゆっくり体を下ろした。
 私は手元のノートを素直に渡すと、彼は両手で受け取った。

「怪我をしてるなら、最初から先生に断ればいいのに」
「別に、たいした怪我じゃないから」

 胸を押さえ息を整えると、体の力がふっと抜けた。
 
「たいした怪我じゃなきゃ、自分自身にもそっぽ向くの?」

 目を合わせると、彼は心配そうに見つめていた。
 思わずきゅっと胸が締めつけられる。
 
「えっ……」
「そんなの自分がかわいそうだよ。人が苦手なら、自分だけは味方になってあげて。じゃないと、寄りかかるものが一つもなくなっちゃうよ」

 彼はノートを胸に抱えると、廊下の奥へゆっくりと消えていった。
 佇んでいる私は、彼の背中をぼーっと見つめているうちに、足の痛みがどこか和らいでいく気がした。
 
 怪我をしていたことに、気づいてくれたんだ。
 拳の力が抜け、唇がわずかに開く。
 そんなふうに気づいてくれる人なんて、いままでいなかった。