――青空くんが街から姿を消した、翌日。
 朝のHRの時間に、担任教師から信じがたい言葉が伝えられた。
 青空くんは転校した、と。
 
 一ヶ月にも満たない彼の在籍期間に、教室内は転入時以上のざわめき声に包まれていた。
 事実が湾曲されている理由はわからない。
 こんなことになるなら、記憶から消してくれればよかった。
  
 次の休み時間。
 佐知は小さく丸めている私の肩に、そっと手を乗せた。

「大丈夫……?」

 唇を噛み締めながら俯いた。
 室内の冷たい空気に、私の心も冷やされていく。

「青空くん、どうして黙って引っ越しちゃったんだろうね」

 理由を知っている分、口を閉ざすしかない。

「事故直後に引っ越すなんて変な話〜。実、大きな病が発覚したとか、家庭の事情が理由だったりして」

 返事が出来なかった。
 青空くんは、恩返しという形で、笑顔という光を当てることから始まっていたから。
 机の下で拳を握っていると、賢ちゃんが私の前に座って、見つめてきた。

「元気出せよ。あいつには、あいつなりの事情ってもんがあるからさ」

 わかってる。
 でも、受け入れられないの。
 
「あいつさ、ついこの前、『いままで本当にありがとう』って、言ってきたんだよね」

 びっくりした顔で、見上げた。 
 
「変なこと言うなぁ〜と思っていたけど、あの時はもう別れが決まってたんだろうな」
 
 賢ちゃんは、寂しそうな瞳で遠くを見つめた。
 その時、思い知らされた。
 青空くんが神社で『僕の気持ちなんて、誰にもわからない』と、言っていた言葉の意味を。

 ふと思った。
 青空くんが、神社に何度も足を運んでいたことを。
 それに、ケンカをしたあの日から、様子がおかしくなっていたから……。

 放課後、神社に向かった。
 賽銭箱の前に立つと、建物の手前に色褪せた灰色のうさぎのぬいぐるみが、一つ置かれていた。
 薄い雨雲に包まれている境内には、小学生くらいの子どもの笑い声が弾んでいる。
 
 青々と生い茂る木々は、しっとりとしたそよ風に乗って、夏の香りを漂わせている。
 境内を歩き回ってみても、ぬいぐるみ以外になにもない。

 頬にポツッと水滴が落ちてきた。
 目線を落とすと、小さな雨粒が石畳に模様を描いていた。
 まるで、青空くんとの思い出をこの雨に乗せているかのように。

 雨粒が涙のように思えて、喉の奥が苦しくなる。 
 次第に鼻の奥がじわじわと熱を帯びて、心の中に暗い影を落とし込んできた。

「青空くん、会いたいよ……」

 一緒に映画に行くって、約束したじゃない。
 守れないなら、して欲しくなかった。
  
『じゃあ、これ使って』

 青空くんが差し出した紺色の傘は、心の雨を防いでくれているようだった。
 出会ったあの日の思い出が、蘇っていく。

『じゃあ、昔から知ってる……って言ったら?』
 
 ずっと私を見ていた。
 喜んでる顔や、悲しんでる顔。
 
 あの日から始まっていた。
 突き放して、傷つけたのに、それでも信じて、守ってくれた。
 苦しいこともたくさんあったけど、いつも私の心に傘をさし続けていてくれた。

『……また、明日ね』

 もう、声が聞けないし、笑顔も見れない。

『……どうして、簡単に捨てられるんだろうね』
『こっちが、どんな気持ちで幸せを願っていたかなんて、知らないくせに』
 
 クゥちゃんを拾った時から、胸に傷を抱えていた。
 気づいてあげれなかった。
 
 私のことばかり心配してた。
 でも、応えてあげれなかった。

 助けることも、気持ちを伝えることも――全てが間に合わなかった。
 
 青空くんが傍にいてくれた日々を思い返したら、嗚咽が止まらなくなった。
 あの笑顔は、もう二度と見ることが出来ない。
  
 いつも青空くんの一歩後ろを歩いていた。
 本当はそれじゃいけなかったのに――その痛みが、胸を締めつける。