――昼休み。
 賑やかな声で包まれている廊下で、一人で購買に向かう僕。手には部活のチラシ。

「ねぇ、高槻くん。またチラシ配りに行くの?」

 後ろから来た俵さん。
 僕と歩調を合わせてきた。

「部員がまだ足りなくてね。俵さんは、部活に入ってるの?」

 ここ二日間、彼女はよく話しかけてくる。
 
「あたしは帰宅部。あ、今度部活のない日に、クラスのみんなでカラオケに行かない?」

 僕が迷っていると、俵さんは少し肩を落としてため息をつく。
  
「そうだ、聞きたいことがあるんだ。高槻くんって、鈴奈さんと付き合ってるの?」

 胸の奥がぎゅっとなる。
 どう答えればいいのか言葉が出ない。

「付き合ってないよ」

 僕は短く答えた。
 
「うっそ! マジで?」

 俵さんは赤く染まった頬を両手で隠し、驚きと喜びを混ぜた表情を見せた。
 
「てっきり、好きなのかなって思ってた! いつも仲良さそうに喋ってるから」
 
 彼女の声が少し早口になり、弾むように響く。
 僕の心も、どこか落ち着かない。

「別に、なんとも……思ってないよ」

 それ以上、自分の気持ちは前に押し出せなかった。
 
「本当?」

 俵さんは笑った。

「じゃあ、好きな人はいる?」

 隙間のない質問に、僕は俯く。
 答えれば、さらに質問攻めになるだろう。

「いないよ……」

 その時、突然。
 
「美心っ!!」

 振り返った瞬間、息が止まるかと思った。
 顔から血の気が引き、震える足。滲む瞳。
 奥には佐知ちゃんの姿。
 
 もしかして、いまの話、聞かれたのか?
 視線が、僕たちに集まる。
 
「み、美心……。どうして、ここへ……」

 僕の声が震えた。
 最後まで突き通そうと思っていた嘘が、彼女に届いてしまうなんて。
 
 美心は指先から黒い紙を落とし、僕を避けるように背を向けた。
 その動きは、空間を切り裂くように鋭く、ため息が漏れた。

 誤解、解かないと……でも動けない。
 
 美心は唇を噛み締め、踵を返して走り去った。
 上履きの足音が小さくなっていく度、僕の胸は重く沈む。

「なんとも思ってないなら、放っておきなよ」

 俵さんが右腕を掴みながら囁く。
 その隣で、佐知ちゃんは困惑した表情のまま、僕に駆け寄ってきた。

「ねぇ……、なに突っ立ってんの。早く美心を追いかけなよ」

 でも、地面からつるが生えて縛り付けられたかのように、僕は動けなかった。

「あのさぁ、いまあたしが高槻くんと喋ってる番なんだけど」

 俵さんは優しく微笑み、佐知ちゃんの手をゆっくりほどいた。
 しかし、佐知ちゃんの視線は、美心の背中と僕を交互に見ていた。
  
「でっ、でも……美心が! 早く追いかけないと手遅れになっちゃうよ」

 焦る佐知ちゃんに、俵さんは静かに首を振る。
 
「鈴奈さんが離れていった理由は、高槻くんじゃないかもしれないよ?」

 佐知ちゃんはゆっくり踵を返し、美心が落としていった黒い紙を拾って僕に見せた。

「美心はね……青空くんを探していたんだよ。仲直りできたら、一緒に映画を観たいって」

 差し出されたのは、鈍く光る映画の前売り券。
 
「一日でも早く青空くんの元気な顔が見たいから、って関係回復を心待ちにしていたんだよ」

 僕はチケットに目を落とす。
 美心がどんな気持ちで持ってきたのか、想像するだけで胸が痛む。
 
「岡江さん。それってさ、ちょっと押し付けがましくないかなぁ」

 俵さんは、僕と佐知ちゃんの間に入るが、佐知ちゃんは動かない。
  
「……困る? ホントに、そうかな」
「映画に行くかどうかを決めるのは……、青空くん、じゃないの……?」

 佐知ちゃんの眼差しは、美心のとのケンカの時よりも強く、僕の胸に真っ直ぐ届く。
 俵さんは少し寂しげに目を伏せた。

 本音で言うなら、美心を追いかけたかった。 
 けれど、その一歩は彼女の心をえぐる刃になる気がした。 
 僕が残り八日間で消えるとしても、美心の涙だけは拭いたかった。