――昼休み。
賑やかな声に包まれている廊下で、一人で購買に向かう僕。
部活のチラシを握りしめながら歩いていると、背中に女子の声を浴びた。
「高槻くん。またチラシ配りに行くの?」
後ろから来たのは、俵さん。
僕と歩調を合わせてきた。
「部員がまだ足りなくてね。俵さんは、なにかの部活に入ってるの?」
ここ二日間、彼女はよく話しかけてくる。
きっと僕が、一人でいることが増えたから。
「帰宅部だよ。あ、今度部活のない日に、クラスのみんなでカラオケに行かない?」
「えっ、カラオケ?」
「うんうん。気晴らしに。ねぇ、行こうよ〜」
一人の時間はたっぷりあるけど、カラオケには行ったことがない。
歌……、知らないし。
視線を落としていると、俵さんはため息をついた。
「そうだ、聞きたいことがあるんだ。高槻くんって、鈴奈さんと付き合ってるの?」
胸の奥がぎゅっとなる。
美心と付き合ってるわけじゃないけど、どう答えればいいのか……言葉が出ない。
「付き合ってないよ」
短く答えた。
廊下のざわめきが、やけに遠く感じる。
「うっそ! マジで?」
俵さんは赤く染まった頬を両手で隠し、驚きと喜びを混ぜた表情を見せた。
「てっきり、鈴奈さんのこと、好きなのかなって思ってた! いつも仲良さそうに喋ってるから」
彼女の声が少し早口になり、弾むように響く。
僕の心も、どこか落ち着かない。
「別に、なんとも……思ってないよ」
それ以上、自分の気持ちは前に押し出せなかった。
「本当? じゃあ、好きな人はいる?」
俵さんは、目尻を下げて微笑んだ。
隙間のない質問に、僕は俯く。
素直に答えれば、さらに質問攻めになるだろう。
「いないよ……」
こんな嘘さえ、惨めに感じる。
だが、その時、突然――。
「美心っ!!」
聞き覚えのある声を浴び、一瞬立ち止まった。
振り返ったと同時に、息が詰まる――いまの話、美心に聞かれた。
美心の顔からは、血の気が引き、足が震える、瞳が滲んでいる。
奥には佐知ちゃんの姿が。
周りの視線が、僕たちに集まる。
「み、美心……。どうして、ここへ……」
声が震えた。
最後まで突き通そうと思っていた嘘が、彼女に本音として届いてしまうなんて。
美心は指先から黒い紙を落とし、僕を避けるように背を向けた。
その動きは、空間を切り裂くように鋭い。
誤解、解かないと――でも動けない。
美心は勢いよく走り去った。
上履きの足音が小さくなっていく度、僕の胸は重く沈む。
「なんとも思ってないなら、放っておきなよ」
俵さんが、僕の右腕を掴みながら囁いた。
佐知ちゃんは困惑した表情のまま、僕に駆け寄ってくる。
「ねぇ……、なに突っ立ってんの。早く美心を追いかけなよ」
でも、地面からつるが生えて縛り付けられたかのように、僕は動けなかった。
「あのさぁ、いまあたしが高槻くんと喋ってる番なんだけど」
俵さんは優しく微笑み、佐知ちゃんの手をゆっくりほどいた。
しかし、佐知ちゃんの視線は、美心の背中と僕を交互に見ている。
「でっ、でも……美心が! 早く追いかけないと手遅れになっちゃうよ」
焦る佐知ちゃんに、俵さんは静かに首を振る。
「鈴奈さんが離れていった理由は、高槻くんじゃないかもしれないよ?」
佐知ちゃんはゆっくり踵を返し、美心が落としていった黒い紙を拾った。
僕の前に来て、それを見せる。
「美心はね……青空くんを探していたんだよ。仲直りできたら、一緒に映画を観たいって」
差し出されたのは、鈍く光る映画の前売り券。
僕はゆっくり受け取り、目線を落とした。
「一日でも早く青空くんの元気な顔が見たいからって、関係回復を心待ちにしていたんだよ」
美心がどんな気持ちで持ってきたのか、想像するだけで胸が痛む。
「岡江さん。それってさ、ちょっと押し付けがましくない?」
俵さんは足を一歩前に踏み出し、僕と佐知ちゃんの間へ。
佐知ちゃんは、唇を噛み締めた。
「友達なら、心配するのが当然でしょ。それに、映画に行くかどうかを決めるのは……、青空くんじゃないかな」
佐知ちゃんの眼差しは、美心のとのケンカの時よりも強く、僕の胸に真っ直ぐ届く。
弱気な眼差しは、もうそこにない。
俵さんは、少し寂しげに目を伏せた。
僕は美心が先ほどまで立ち尽くしていた場所を、遠い目で見つめた。
本音で言うなら、美心を追いかけたかった。
僕が残り八日間で消えるとしても――。
けれど、その一歩は、彼女の心をえぐる刃になる気がしている。



