――翌朝、ひやりとした空気に包まれている教室。
窓の外は朝日が照らしているのに、私の心は凍りついたまま。
教室にまだ来ていない青空くんの席を、つい見てしまう。
霞んだ目で空席を見つめていると、「ヘアピン落ちたよ」という青空くんの声が聞こえてきた。
心臓がトクンと鳴り、声が聞こえてきた出入り口付近に目を向ける。
青空くんは、クラスメイトの俵さんにヘアピンが乗った手を差し出していた。
「うわぁ! 拾ってくれてありがと〜」
「あぁ、うん」
青空くんの、穏やかな声。
久しぶりに感じ、不思議と耳が反応してしまう。
「ごめん、この辺につけてくれない? 自分じゃ留めにくい場所なんだよね」
見ていると悟られたくなくて、うつ伏せになり、ゆっくり目線だけを上げた。
俵さんは、耳の少し上の方へ指をさす。
青空くんは手が少し震えながらも、俵さんの笑顔を見て、必死に落ち着かせているようにピンをつけた。
「これでいい……かな」
青空くんは、首を傾ける。
俵さんはにこりと微笑み、スマホカメラでヘアピンの位置を確認する。
「上手! もしかして、誰かの髪につけたことがあるの〜?」
甲高い声で、青空くんの肩に触れる。
それを見た途端、口角がピクッと揺れた。
「あはは。からかわないでよ……」
そんな二人を横目に、人差し指が勝手に机の上でリズムを刻んでいた。
私には怖い顔をしてきたクセに、俵さんにはああやって楽しそうに喋るんだ。
「ほんと、無理……」
無意識に言葉が漏れてしまった。
神経を尖らせていた肩を、誰かがポンポンと叩く。
振り向くと、佐知の人差し指が、私の頬にプニっと食い込む。
「どうしたの? そんな怖い顔して。もしかして、ヤキモチ?」
「えっ、そんなことないよ」
佐知は私の心を見透かしたように微笑んだ。
思わず視線を落とす。
ヤキモチなんて……、全然そんなことないのに。
佐知は、私の耳元に顔を近づける。
「ねぇ、あの二人、なんかいい雰囲気じゃない?」
小声で囁きながら、二人の方へ顎をクィっと傾ける。
その先は、可愛く微笑む俵さんと、少し照れながら話す青空くん。
それを見ているだけでも、なぜか胃の奥がうずうずと揺れる。
「べっ、別に! 普通だと思うけど?」
口を尖らせてそっぽを向く。
「俵さん、きっと青空くん、気になってるよ」
佐知の言葉が引っ掛かり、思わず前のめりに。
「佐知もやっぱりそう思う?」
俵さんは、昨日から青空くんにやけに絡んでくる。
きっと、青空くんが私に冷たい態度を取っていたのを見て、話しかけるチャンスだと思ったのかもしれない。
「あはは、美心の気持ち、バレバレだよ。気になるなら、仲直りしなきゃね〜」
その言葉が胸に刺さった。
確かに……、気になってはいる。
けれど、それはいま青空くんと微妙な空気感のせいだ。
「あ、そうだ! いいもの持ってるよ!」
佐知は、腰を低くしたまま自分の机に戻った。
脇にかけているカバンから取り出したのは、映画のタイトルが印刷された二枚のチケット。
「美心と一緒に行こうと思ってたんだけど、渡しそびれててさ。でも、いま一緒に行く相手は、あたしじゃないなってね」
佐知の優しさが胸に広がり、目頭が少し熱くなる。
「でも、悪いよ。佐知が観たい映画でしょ。受け取れないよ」
「なぁに言ってんの! あんたたちの仲直りが先でしょ。はい、どうぞ!」
チケットを握らされ、ぼんやりと眺めた。
青空くんの心の中は見えないけれど、きっと葛藤しているはず。
仲良くしてきたのに、急に嫌いになるなんてありえないよね。
私が一歩引けば、少しは気持ちを楽にしてあげられるかな。
ふっと息を整えて、ここ数日間の自分を思い出す。
「……そ、だよね。仲直りが先だよね」
窓から差し込んできた日差しが、黒いチケットを輝かせている。
「美心くらい、味方でいてあげないとね」
佐知の言う通り。
友達なら、味方でいなきゃいけない。
なのに、私は自分の気持ちを優先してばかり。
「私、絶対に青空くんと仲直りする! 仲直りしたら、この映画を一緒に観たい」
チケットを握りしめ、勇気を出す自分を思い描いた。
――いつしか忘れていた。
相手の心の声に、耳を傾けることを。
佐知とケンカをした時は、私が耳を傾けなかったことが原因だったのにね。
簡単に見えることほど、実は一番難しいのかもしれない。
せっかくチャンスをもらったんだから、青空くんと仲直りしなきゃね。
映画、一緒に観に行けるかな……。
頬杖をついて、外を眺めた。
太陽の光が中庭の新緑を輝かせ、胸の奥まで温かく染まっていくように感じた。



