――翌日。私は学校に到着して、青空くんが教室へ入ってくるところを待った。
校門をくぐった時に、チラシ配りをしているところを見かけたけど、声をかけられなかった。
彼が教室に入ってきたと同時に、駆け寄った。
一瞬目が合ったけど、彼は素通りして自分の席へ。
「青空くん。昨日はごめんね。私、余計なことを言っちゃったよね」
青空くんの席の前で、自分の両手を重ねて謝った。
でも、青空くんの瞳に輝きはない。
「様子がおかしかったけど、なにかあったのかな、と思って」
「別になんでもないよ」
青空くんの冷たい声に、胸がチクッと痛んだ。
思い返せば、つい数週間前の自分を鏡で見ているようだった。
「うーっす! どうした? 朝からシケた面してんなぁ」
私は自分の席に戻る最中、賢ちゃんは横から元気な声をかけてきた。
しょぼくれた表情で、賢ちゃんを見つめた。
「……私、青空くんになんかひどいことでもしちゃったかな」
自然と瞳に涙が浮かぶ。
「え、なにかあったの?」
彼は首を傾けて、心配そうに様子を伺ってきた。
「昨晩、青空くんが近所の神社にいたの」
昨日のことを思い出すだけで、手が震えた。
「元気がなさそうだったから、声をかけたんだけど、放っておいてくれって」
青空くんの性格からして、考えられないほど思い詰めているように見えた。
「それ、ホントにあいつが?」
賢ちゃんは信じられないといったような目をしていた。
「まるで別人のように冷たかった。何か嫌なことがあったのかな」
私は深いため息を漏らす。
「もしかして、神社にいるところを見られたくなかった、とか?」
「そういう雰囲気じゃなかった。泣いてるように見えたし」
雨が降っていたからよく見えなかったけど、青空くんの鼻頭が赤いように見えた。
普段から、青空くんは自分の話をしない。
家族、住まい、誕生日。毎日一緒にいても、振り返れば知らないことばかり。
喉の奥がキュッと苦しくなった。
「なにか辛いことがあったのかなぁ」
「わかんない。話を聞き出そうと思ったけど、強い口調で反発された。もしかしたら、話しかけちゃいけなかったのかな」
一日経てば少しは気持ちが収まるんじゃないかと思っていた。
けれど、今日も同じ影をまとい、背中から重たい沈黙が伝わってくる。
「事情はわかった。じゃあ、俺が聞き出してくる」
賢ちゃんは明るい声で、私の肩をポンッと叩いた。
俺に任せろと言わんばかりに。
賢ちゃんは、その足で青空くんの元へ。
机の前にしゃがみ込み、青空くんの顔をじっと見つめた。
「どうしたの? 機嫌、悪そうだけど」
「……そ? 気のせいじゃない?」
青空くんは影をまとったまま目線を外し、感情のない声をぶつけた。
「おいおい、なに遠慮してんの?」
賢ちゃんは青空くんの肩を揺らしたけど、別人のように無反応だ。
「学校のこと? それとも美心のこと?」
賢ちゃんは軽やかな口調で聞くと、青空くんは机にバンッと両手を叩きつけ、立ち上がった。
賢ちゃんの瞳が揺れる。
「賢ちゃんはいいよね……。好きなことを自由にやれてさ」
一瞬、教室のざわめき声が消えた。
多分、みんな青空くんの異変に気づいてしまったのだろう。
普段の青空くんからは考えられないほど、皮肉な口調になっていた。
さすがの賢ちゃんも戸惑ったのか、目を丸くしている。
「それ、どういう意味?」
賢ちゃんの声がかすれていた。
私もざらついた気持ちのまま、様子を伺う。
「自分が惨めだと思うことなんて、きっと……ないよね」
青空くんは影を被った表情で、ボソっと呟いた。
「青空、一体何があった? ちゃんと言ってくんなきゃわかんねぇよ」
賢ちゃんは心配そうに見上げている。
青空くんは手のひらを上に向け、見つめた。
その手は、何かをすくっているように思える。
「やっと積み上げたものが、全部無駄に思えた」
私にはその意味がわからなかったけど、よほど大切にしていたものだけはその声から伝わってきた。
「大切にしてきても、結局無意味だった」
声を震わせながらそう言うと、急発進したように場を離れた。
でも、一メートルほど先で、なにかをためらうように足を止める。
「……ごめん。言い過ぎた」
青空くんは、握っていた拳を少しだけ開かせた。
賢ちゃんは立ち上がり、悲しそうな瞳を向ける。
「一体どうしたんだよ。いつものお前らしくないぞ?」
青空くんは賢ちゃんの言葉を振り切るかのように、再び顔を前へ向けた。
「そっとしておいてくれないかな。一人になりたい」
か細い声でそう言い残し、そっと教室を出ていった。
少し背中が震えているように見えた。
賢ちゃんは息を呑み、切ない瞳でその背中を見つめている。
私は教室を飛び出し、扉を強く握りしめ、青空くんの背中を見つめた。
「青空くんっ!!」
大きな声を上げた。
青空くんは一瞬立ち止まった。でも、一旦俯いて拳を握りしめると、再び足を進ませ、廊下の奥へ消えていった。
その背中が、追いかけることを許してくれない。
もどかしい気持ちのまま、ただ見つめることしかできなかった。
本当は追いかけて、少しでも寄り添ってあげたかった。
青空くんが差し伸べてくれた手のように、温かいものを返してあげたい。
廊下の光は、青空くんの背中を寂しそうに包みこんでいた。
残された教室は、すっかりざわつきが消えてしまった。



