――翌朝の始業時刻前。
 青空くんと賢ちゃんが、教室の手前に来たタイミングを見計らって、私は目の前に立った。
 彼らの手にはチラシが見える。――バレー部募集のチラシだ。
 すかさず頭を下げて、背中に隠していた二つの小さなラッピング袋を前に突き出した。

「あ、あのっ! 昨日は勝手なことをしてごめんなさい! お詫びの品です……」

 昨日は楽しい気分を台無しにしてしまったことに違いないと思い、自分なりの誠意を伝えた。

「お詫びって?」
「パウンドケーキ? もしかして、手作り?」
「ママに手伝ってもらったけどね」

 賢ちゃんは目を光らせ、私の手からラッピング袋を取り上げた。
 
「女子から手作り菓子をもらうのが、夢だったんだよねぇ。みんな! これ、美心からのプレゼント! いいだろ〜!」
 
 賢ちゃんは浮かれ足のまま教室に入り、ラッピング袋を見せびらかした。
 どこからかクスクスと笑い声が届いた。
 私は小さくため息をついてから、自分の席に腰を下ろす。
 
 カバンから教科書を取り出すと、真横に影が出来た。――佐知だ。
 
「美心……。あのね、今日こそは話したいと思ってるの」
 
 私を見つめている瞳が、昨日より何倍も力強かった。

「私は、ない」

 険しい顔で席を立ち上がり、拳を握った。
 鼓動が激しくなっていくばかり。
 
「ちゃんと話そ? じゃなきゃ、いつまで経っても、あたしたちケンカしたままだよ」

 佐知は腕を掴んできた。
 心臓がドクンと鳴る。
 私は唇を結び、震えた手で振り払った。 

「話し合う価値なんてないし、仲直りする気もない。私のことなんて放っておいてよ!」

 怒鳴り声が教室の空気を止め、クラスメイトの視線が集中する。
 佐知の泣きそうな目が、『ずっと親友でいようね』って日記に書いてくれた、当時を思い出させてくる。
 息苦しくなって、私は教室を走り出た。
 
 佐知の声が背中に届いていたけど、途中から青空くんの声に変わった。
 追いかけている足音が徐々に近づいてくる。

 
 HR直前に行く場所なんてない。
 階段の二階の踊り場で足を止めると、追いかけてきた足音も消える。
 はぁはぁと息を漏らし、胸に手を当てた。

「私、ダメだよね。向き合わなきゃいけないことくらい、わかってるのに……」

 階段の踊り場に、私の声だけが響き渡る。
 遠い昔に心を置き去りにされてしまったかのように。
  
 一度目のトラウマから抜け出せなかった私に、手を差し伸べてくれた佐知。
 二年続いた交換日記で、少しずつ心を開いた。
 交換日記に好きな人の名前を書くのに、どれだけ時間がかかったことか。

「ダメじゃないよ。美心はしっかり前に進んでいるから」

 振り向く。
 青空くんは寂しそうに口元だけ微笑ませていた。

「つい先日、美心が言ってた。『優しくしても、無駄になる』ってね」

 私は乱れた呼吸を整えた。

「最初は友達になれないと思ったよ。何を言っても突き放してくるからね」

 たしかに、その通り。
 私は弱虫だから、二度のトラウマに立ち向かえなかった。
  
「でも、いまは違う。人を思いやり、縁を大切にしている。それって、トラウマを克服する準備をしてるんじゃないかな」
「青空くん……」
「僕はちゃんと見守ってきた。明日はもっと前進しているはずだよ」

 顎を引いたまま、瞳を揺らす。
 青空くんは右手をポケットに入れて、私の前に立った。
 顔を見上げ、柔らかいまなざしで彼の瞳を見つめる。

「……手を出してくれる?」

 温かい彼の声が響き、私は首をかしげた。
 
「手を?」

 彼は小さく息を吐き、ニコっと笑う。
 
「いいから」

 素直に右手を出すと、彼は私の手のひらに何かを置いた。
 目を向けると、そこには研修合宿の日にくれた時と同じ。ブドウ飴だ。
 
「実はこれ、強くなれる特別な飴なんだよ。だから、プレゼント」

 彼の計らいに、ポッと胸が温かくなった。

「もぉっ! 小さい子扱いしないでよ! ……でも、ありがと」

 ふっと笑い、ブドウ飴の個包装をビリっと破き、口の中に放り込む。
 ブドウの香りが、安心感を誘い、視界が歪んだ。

 青空くんといると不思議。今まで見ていた景色に、色がついていくかのようで……どうしてだろう。