――美心は、ボーリング場で息を切らしながら席に戻ってくると、購入したばかりのドリンクを持ったまま、青白い顔をしていた。
 彼女はドリンクを置き、カバンを掴み上げると、僕たちにひとこと告げ、出口に向かった。
 一体、なにがあったのだろう。

 美心がさっきまで居たところに目を向けると、岡江さんが切ない表情でこちらを見ていた。
 その視線に、すれ違いを察する。
 
 彼女の背中を追いながら、信号で思わず足が止まった。 
 正面は河川敷。
 河原で小さな子供がボールで遊んでいたり、お年寄りが散歩をしている。

 信号機が青に変わると、疼いていた足を走らせた。
 美心はベンチに腰をかけたまま影に隠れている。
 
「美心、大丈夫?」

 僕は声をかけ、ペットボトルを突き出すと、「うん」と、かすかな反応があった。
 ほっと胸を撫で下ろす。
 ベンチに座り、彼女の方へ向くと、ペットボトルを持つ手が小さく揺れていた。

「辛いことがあったの?」

 あえて知らないフリをした。
 彼女は僕を見つめ、何かをためらっているかのように唇は揺れたが、再び目線を落とした。

「なんでもないよ……。心配かけてごめんね」

 そっとしてほしい、と聞こえたような気がした。

「無理に言わなくていいよ。その代わり、いつでも相談に乗るからね」
「うん」

 彼女には、彼女なりの考えがある。
 サポートが必要になった時だけ、手を貸せばいい。
 
 彼女はスカートをギュッと握りしめた。
 それを見て、ある言葉が頭の中に蘇り、彼女の頭をそっと撫でた。

「辛いの、辛いの、飛んでいけ〜!」

 このおまじないは辛い時に唱えるもの。
 さっそく使ってみた。
 あまりにも突然だったせいか、彼女はびっくりした目を向ける。

「そ、それって……」

 僕はにこりと微笑んだ。
 
「ある人にこの呪文を教えてもらったんだ。辛いことが空の上に飛んでいくんだって」
「……そ、そうなんだ」

 彼女の瞳は揺れ、目線を下に落とした。
 
「元気のない姿、らしくないよ。美心は抱え込んじゃうところがあるから、ちゃんと言葉にしないとね」

 周りの人に気づいてほしいと願いながら、僕は言った。
 
「僕はずっと味方でいるから、心配しないでね」

 彼女は目を潤ませ、ゆっくりと微笑んだ。
 瞳の中に小さな雫が、きらりと揺れた。
 
「……りがと」

 かすかに届いた彼女の言葉。
 僕は全て聞き取れなかったから、もう一度聞くことにした。

「え、いまなんて?」
「ありがとう。……そう言ってもらえるだけで、気持ちが明るくなる気がする」

 その言葉が、僕の胸の中に光を当てた。
 彼女の足はまだ少し躊躇していたけれど、前に進む力がたしかに備わっている。
 前に進もうとする彼女を、僕はそっと見守った。

 夕暮れの川面が、彼女の瞳と同じくらいきらめいていた。