――翌日。
 僕は教科書とノートを持って、理科実験室を出た。
 一人で歩いていると、後ろから賢ちゃんが「一緒に教室に戻ろうぜ」と扉の人づまりの間から声をかけてきたので、一緒に廊下を歩いた。
 
 誰かがシャツの背中をクンっと引っ張る。
 振り向くと、岡江さんが少し気まずそうに俯いていた。

「あの、さ。少し話したいんだけど……、美心のことで」
「美心の話?」

 意外な言葉に反応してしまった。

「もしかして、俺はお邪魔……かな?」
 
 賢ちゃんの目は、不思議そうに僕と岡江さんの顔を行き来している。
 
「ごめん、足利くん。高槻くんと二人で話がしたいんだ」
「いてら。先に教室に戻ってる」

 賢ちゃんは、教科書とノートを掲げて先を歩いた。

 
 僕たちは、屋上の一歩手前の踊り場へ。
 屋上扉から差し込む日差しが、彼女の不安を照らしていた。
 
 美心の話が正しければ、岡江さんは謝っても許してもらえない。
 
 でも、賢ちゃんに言われた言葉が頭をよぎった。
 『百人いれば百通りの考え方がある』ということを。
 
「ごめんね、急に呼び出しちゃって」
「いいよ。大事な話があるんでしょ?」

 名言を避けた。
 岡江さんには、どんな想いが埋め尽くされているのだろう。

「高槻くんってさ、美心と仲が良いよね」

 彼女はふっとため息をつく。
 
「うん。友達だから」
「だったら、聞いたんじゃない? あたしと美心の関係を」

 素直に頷いた。
 遠回りする必要がないから。

「ケンカ、してるんだって?」
「うん。理由は聞いてるでしょ。でも、きっとその答え、半分しか正解じゃないの」

 彼女はしんと静まり返ってる空気を背負っているかのように、低い声で呟いた。
 
「えっ、どういうこと?」

 予想外の返答に、唇が震えた。
  
「あたしたち、まだ話し合えてないの。美心がノートの切れ端を拾った時は、すでに聞く耳を持たなかったから」
「美心は、岡江さんがそれを捨てたって言ってたけど」
「そう思われても仕方なかった。あたしがミスを起こしてしまったから」

 岡江さんは泣きそうな声で、スカートをぎゅっと握りしめた。
 
「どういうこと?」

 前のめりになり、目をきょとんとさせる。
 最初は酷いと思ったけど、それは本望じゃない。

「あの日、あたしのことを嫌いなクラスメイトが、美心との交換日記を勝手に読んでたの」
「えっ! どうして……」
「ネタにするつもりだったのかな。せめて大事な部分だけでもと思って、ノートを破いてポケットに入れた」

 彼女の手は震えていた。
 本当に美心が嫌いなら、ノートは破らなかっただろう。
 でも、まだ胸の中にしこりが残る。
 
「じゃあ、どうしてそれを廊下に捨てたの? 他の人に、見られる可能性があったんじゃない?」

 彼女の顔を見ると、目元と鼻頭が赤く染まっていった。
 過去の気持ちが詰め込まれているかのように。

「……捨てて、ない」

 彼女は息を粗くさせ、小さく声を絞り出した。
 
「えっ」
「ポケットから落ちてしまったことに、あの時初めて気づいた。そこで、美心が誤解していることを知ったの」

 体を震わせながら感情的になる彼女。
 不安定に揺れる声が、彼女の涙を誘っている。
  
「その場で誤解を解けば、少しでも……」
「あたしも想定外だった。聞く耳を持ってくれないなんて。結果的に酷いことをしてしまったから、言い訳なんて聞きたくないよね」

 美心の言い分と彼女の本音。
 僕だけが知っている。
 
 美心は裏切られたと感じ、岡江さんは守ろうとしたがミスが重なった。

 でも、すれ違ったままでいいのかな。

「謝まらなきゃいけないと思って何度も話しかけた。でも、避けられてる」

 初めて声をかけたあの日からの美心のことを思い返した。
 自分を守ることに精一杯だった。

 怒ったり、突き放したり、逃げたり。
 最近その理由を知ったけど、呪縛が全て取り払われた訳じゃない。

「仲直りしたい。……けど、許してくれないよね。あの事件が原因で、心を閉ざしてしまったから」
「……」
「あたしがいじめられていた時に、救いの手を差し伸べてくれた人が美心だったのに、恩を仇で返してしまうなんて」

 彼女は両手を顔に当て、泣き崩れた。
 感情の波に溺れ、後悔で自分を責める。
 誤解が解ければ、少しは関係改善に向かうのに。

「じゃあ、もう少し頑張ってみようか」

 首を傾け、彼女の肩にそっと手を添えた。
 
「本音を言えば、僕から話した方が早い」
「じゃ、高槻くんからお願いし……」

 期待の目を向けられたが、すかさず首を横に振った。

「でも、それは誰の為にもならない」
「じゃあ、どうすればいい? 美心に向き合う気持ちが生まれなければ、仲直りなんて遠い話だし」

 彼女の言い分は、痛いほどわかる。
 先日までの自分を思い出すけど、違った。
 僕はすぅっと息を吸った。
 
「諦めないで」

 彼女は目を丸くした。
 
「一緒にいてわかるんだ。美心は過去を乗り越えたいし、繋がりを求めてる。じゃないと、僕と友達になんかならない」
「高槻くん……」
「岡江さんがいま出来ること。それが見つかったら、美心も耳を傾けてくれるようになると思うよ」

 二人の過去をよく知らない。
 だからこそ、自分たちで答えを探した方がいい。
 
「決して自分から逃げちゃだめだよ。ゴールはすぐそこに待っているからね」

 絶対に仲直りして欲しい。
 僕には見えている。
 温かく輝いている、二人の未来が。