3年生になって初めての進路面談が終わった。5月上旬、緑が映える過ごしやすい気候。どこまでも続く快晴に、ゆるく風が吹き渡る、さわやかな初夏の1日だ。
そんな天気とは裏腹に、教室の後ろの黒板に張り出されている4月の模試の順位表を暗い顔でぼーっと眺める人間。それが私だ。
担任と一対一の進路面談で、模試の結果が返却されたけど、どの科目も普通。将来の夢は一応あるにはあるのに、志望校が決まらない。未来なんて見えないし、具体的に考えられない。適当に書いた志望校の判定はCで、別に痛くも痒くもない。なんとなく過ごしていれば、いずれちょうどいい大学が見つかって、ちょこっと勉強すればきっと受かるはず。
担任はそんな私を見かねてか、それとも早く面談を終わらせたかったのか、こう言ってきた。
「まあ、地元の国立大医学部でいいんじゃないか。今から頑張ればきっと受かる」
頑張る。頑張るって何だろう。
ずっと変わりたいと思っている。こんな平凡で何もかも平均しか取れない自分に嫌気が差して、何か変えようと思ってきた。
でも、結局変わったことなど一度もない。
みんなは部活を頑張っている。頑張り切ってすでに引退した人もいる。でも、私はどの部活にも入らないまま3年生になってしまった。
ほかにも課外活動を頑張っている子もいれば、モデルとしての活動に力を入れている子もいる。そんな中、私は何の活動もせず、おしゃれに特別気を遣うわけでもなく、ただ普通の学生をやっているだけだ。毎日、ギリギリに起きて、学校に行って、たまにうとうとしながら授業を受けて、カフェなんかに寄って帰って、ダラダラとスマホを触って寝るだけ。
だから私はいまだに、「頑張る」を知らない。何をやれば、「頑張る」になるの?
何かを変えるのは怖いことだ。自分が何かを変えれば、少なからず周りに影響が出る。どんな小石でも、いや、どんな薄い葉っぱでも、池に落ちれば微かな波紋が広がるように、変化は自分を中心として少しずつ広がっていくのだ。つまり、変えることには責任が伴う。それが、怖いんだ。できることなら、すべての変化を避けて生きていきたい。もちろん、そんなことは無理だけど。
だから、何も頑張らないで、とにかく普通に平凡に。波風を立てなければ、あとで責められることはない。
目の前の順位表には、学年トップ50人の名前が5科目の合計点数とともに書かれている。1位はいつもと同じ人。
1位 九条翠 783/800
翠ちゃんは同じクラスの秀才だ。小学生の頃から勉強ができて、神童と呼ばれていたらしい。いつかの模試で全国1位を取ったという噂も聞いたことがある。
ツヤのある黒髪のベリーショートにクールな顔立ちで、いつも人を見下している、そんな印象。一匹狼で、誰かと一緒にいるのを見たことがない。
あの子は本当にすごい。ひとりで黙々と努力を続けられる、強い人だ。私とは正反対。まったく違う人種なんだ。誰に何を言われようとも、自分を変えることをやめない、それができる人種。
「日和さん。さっきの面談、ちょっとだけ聞こえちゃったんだけど。志望校、決まってないの?」
突然話しかけられてびっくりする。慌てて表情を取り繕って振り返ると、そこにいたのは、九条翠張本人だった。
翠ちゃんに話しかけられることなんて基本的にないから、明日は槍でも降るのかと思ってしまう。
「う、うん。学部は決めてて。でも、どの大学に行きたいとか、あんまりないかな。よくわかんないし」
「そっか。医学部志望、だよね? この間の医学部講座来てたし」
「そ、そう。医学部目指してる」
私が住んでいるところは田舎で、医者不足が深刻だ。そのため、県の教育委員会が医学部進学者を増やそうと躍起になっている。医学部志望者だけが受けられる講座があり、私は少し前にそれに参加していた。
翠ちゃんもそこにいたが、まさか他人に興味がなさそうな翠ちゃんが私の存在を覚えていただなんて、とさらに驚く。
「ふーん。じゃあさ、東大、一緒に目指さない?」
「……へ?」
何を言っているんだろう? 翠ちゃんは勉強のしすぎで頭がおかしくなったのかな? 本気で疑問に思った。
「目標は高い方がいいでしょ? だったら、東大理三、目指そうよ。あたし、勉強教えられるし」
「え、ちょっと、え……?」
混乱して、翠ちゃんが何を考えているのかまったく推し量れない。私なんかに勉強を教えて、一緒に東大を目指す? そんなの翠ちゃんが損するだけだ。時間の無駄でしかない。意味が、わからない。
「まあ、すぐには決めなくてもいいけど。返事待ってるから。じゃあね」
翠ちゃんは颯爽と教室を出ていく。何も言えない私の目には、なぜか翠ちゃんの細長い白い指が焼きついて離れなかった。
そんな天気とは裏腹に、教室の後ろの黒板に張り出されている4月の模試の順位表を暗い顔でぼーっと眺める人間。それが私だ。
担任と一対一の進路面談で、模試の結果が返却されたけど、どの科目も普通。将来の夢は一応あるにはあるのに、志望校が決まらない。未来なんて見えないし、具体的に考えられない。適当に書いた志望校の判定はCで、別に痛くも痒くもない。なんとなく過ごしていれば、いずれちょうどいい大学が見つかって、ちょこっと勉強すればきっと受かるはず。
担任はそんな私を見かねてか、それとも早く面談を終わらせたかったのか、こう言ってきた。
「まあ、地元の国立大医学部でいいんじゃないか。今から頑張ればきっと受かる」
頑張る。頑張るって何だろう。
ずっと変わりたいと思っている。こんな平凡で何もかも平均しか取れない自分に嫌気が差して、何か変えようと思ってきた。
でも、結局変わったことなど一度もない。
みんなは部活を頑張っている。頑張り切ってすでに引退した人もいる。でも、私はどの部活にも入らないまま3年生になってしまった。
ほかにも課外活動を頑張っている子もいれば、モデルとしての活動に力を入れている子もいる。そんな中、私は何の活動もせず、おしゃれに特別気を遣うわけでもなく、ただ普通の学生をやっているだけだ。毎日、ギリギリに起きて、学校に行って、たまにうとうとしながら授業を受けて、カフェなんかに寄って帰って、ダラダラとスマホを触って寝るだけ。
だから私はいまだに、「頑張る」を知らない。何をやれば、「頑張る」になるの?
何かを変えるのは怖いことだ。自分が何かを変えれば、少なからず周りに影響が出る。どんな小石でも、いや、どんな薄い葉っぱでも、池に落ちれば微かな波紋が広がるように、変化は自分を中心として少しずつ広がっていくのだ。つまり、変えることには責任が伴う。それが、怖いんだ。できることなら、すべての変化を避けて生きていきたい。もちろん、そんなことは無理だけど。
だから、何も頑張らないで、とにかく普通に平凡に。波風を立てなければ、あとで責められることはない。
目の前の順位表には、学年トップ50人の名前が5科目の合計点数とともに書かれている。1位はいつもと同じ人。
1位 九条翠 783/800
翠ちゃんは同じクラスの秀才だ。小学生の頃から勉強ができて、神童と呼ばれていたらしい。いつかの模試で全国1位を取ったという噂も聞いたことがある。
ツヤのある黒髪のベリーショートにクールな顔立ちで、いつも人を見下している、そんな印象。一匹狼で、誰かと一緒にいるのを見たことがない。
あの子は本当にすごい。ひとりで黙々と努力を続けられる、強い人だ。私とは正反対。まったく違う人種なんだ。誰に何を言われようとも、自分を変えることをやめない、それができる人種。
「日和さん。さっきの面談、ちょっとだけ聞こえちゃったんだけど。志望校、決まってないの?」
突然話しかけられてびっくりする。慌てて表情を取り繕って振り返ると、そこにいたのは、九条翠張本人だった。
翠ちゃんに話しかけられることなんて基本的にないから、明日は槍でも降るのかと思ってしまう。
「う、うん。学部は決めてて。でも、どの大学に行きたいとか、あんまりないかな。よくわかんないし」
「そっか。医学部志望、だよね? この間の医学部講座来てたし」
「そ、そう。医学部目指してる」
私が住んでいるところは田舎で、医者不足が深刻だ。そのため、県の教育委員会が医学部進学者を増やそうと躍起になっている。医学部志望者だけが受けられる講座があり、私は少し前にそれに参加していた。
翠ちゃんもそこにいたが、まさか他人に興味がなさそうな翠ちゃんが私の存在を覚えていただなんて、とさらに驚く。
「ふーん。じゃあさ、東大、一緒に目指さない?」
「……へ?」
何を言っているんだろう? 翠ちゃんは勉強のしすぎで頭がおかしくなったのかな? 本気で疑問に思った。
「目標は高い方がいいでしょ? だったら、東大理三、目指そうよ。あたし、勉強教えられるし」
「え、ちょっと、え……?」
混乱して、翠ちゃんが何を考えているのかまったく推し量れない。私なんかに勉強を教えて、一緒に東大を目指す? そんなの翠ちゃんが損するだけだ。時間の無駄でしかない。意味が、わからない。
「まあ、すぐには決めなくてもいいけど。返事待ってるから。じゃあね」
翠ちゃんは颯爽と教室を出ていく。何も言えない私の目には、なぜか翠ちゃんの細長い白い指が焼きついて離れなかった。



