試験を受けている。必死で手を動かしていて、頭もガンガン回して、佐々木さんや翠ちゃんのアドバイスを繰り返し頭で流して。時計もチラチラ確認しながら。
 よし、次の問題は……。

下線部①に関して,貅カ豸イA縺ョpH繧呈怏蜉ケ謨ー蟄?譯√〒遲斐∴繧医?らュ斐∴縺ォ閾ウ繧驕守ィ九b險倥○縲ゅ◆縺?縺?25蠎ヲ縺ォ縺翫¢繧矩?驟ク縺ョ髮サ髮「螳壽焚縺ッ1繝壹?繧ク逶ョ縺ォ險倩シ峨?蛟、縺ィ縺吶k縲……

 あれ? 全然読めない……。何が書いてあるんだろう。
 目を擦ってみても、何も変わらない。解けないんじゃない。問題そのものが理解できないのだ。どうしよう、こんなことしてる場合じゃないのに。
 他の問題も見てみるが、読めなくなっている。さっきまで解けていたはずなのに、読めない文字に変わってしまっている。試験官に知らせた方がいいだろうか。頭がおかしくなったと思われるだけなんじゃないか。
 他にも同じ状況になっている人はいる? いや、周りはまったくそんなふうには見えない。多分私だけだ。これ以上キョロキョロしていると不正を疑われてしまうし……。

「試験終了。筆記用具を置いてください」

 え? もう終わり? 全然解けなかった。まずい、これでは落ちてしまう! 頑張って来たのに、翠ちゃんと絶対受かろうって約束したのに……!

 ハッとして飛び起きる。
 ——そうか、夢だったのか。
 ひとまず現実じゃなくてよかった、と心底ほっとする。模試だろうが本番だろうが、あんなに焦る経験はしたくない。寝巻きが汗でぐっしょり濡れていて、手がとても冷たかった。
 目覚まし時計の明かりをつけると、4時27分を示している。あと1時間で起床時間だ。二度寝できればいいんだけど、悪夢のせいで結構しっかり目が覚めてしまった。
 勉強しようかと思ったが、変にいつもより早くから頭を使って夜の勉強の質が落ちるのは避けたい。それに、ベッドに横になっているだけで人間の体や脳は多少休息を取ることができるらしい。起床時間まで起き上がらないでおこう。
 徐々に日が昇るのが遅くなって来ているのか、まだカーテンからは光が差し込んでいない。今日は何をやるんだっけ……とタスクリストを思い浮かべているうちに、少しずつうとうとし始め、短い時間だが二度寝することができた。

 ✳︎✳︎✳︎

「はい、お待ちかねのー、秋の冠模試返却パーティーです!」

 佐々木さんがテンションをマックスにして言う。そろそろ返ってくるだろうと思っていたし、今日は2階で待っていてね、と言われた時点で察していた。
 そうやってテンションを上げてふざければふざけるほど、怪しさが増していくから、やめた方がいいと思う。
 今回の冠模試は、夏に比べてかなり解けた実感があったし、それなりにいい結果なんじゃないだろうか。でも、期待しないほうがいいかな? ここはいっそ全部E判定くらいのつもりで受け取った方がダメージが少ないのかもしれない。
 いや、やっぱり期待してしまう。だってあんなに頑張ったのだから。結果が出てくれていないとむしろ困る。
 チラリと隣を見ると、翠ちゃんがいつものように冷静沈着に構えている。でも、その横顔からはほんの少しだけ、緊張が読み取れた。

「前回は翠ちゃんから渡したし、今日は日和さんからにしようかな」

 私はぎくりとして居住まいを正し、覚悟を決めて紙の束を受け取った。席につき、ゆっくりと深呼吸して、ペラりとめくる。飛び込んできたのはCの文字。
 やった! 前回より2段階も上がっている! C判定は合格可能性が50%であることを示しているから、2分の1の確率で受かるということだ。もちろん、低めではあるけど。
 点数をざっと確認して、次の結果表に移る。なんと、そこに書いてあったのは——Aの文字だった。
 え? 何かの間違いじゃなくて? この私がA判定? 合格可能性80%ってこと? うそだ。そんなわけがない。
 でも、何度目を擦っても何度見直しても、そこにある文字は変わらなかった。ゆっくりと、じんわりと、確かな喜びが全身を回っていく。噛み締めるように、心臓にこぶしをグッと押し当てた。
 最後の1つはD判定。今回は1つもE判定を取らなかった。それだけでも本当に嬉しいこと。AとCとDというバラバラの判定が出ているということは、問題の内容や傾向によって点数が激しく変動しているということだ。これは改善していかなきゃいけない。
 でも。確かに私は進んでいる。何もなかった私が、理三A判を取れるくらいまで成長したんだ。ここから、さらに浮上して、絶対に合格してやる。
 運がよかっただけとも思うけど、その運を引き当てるのも自分の実力のうちだろう。本番で得意な問題を引きにいけるように、今から徳を積んでおいた方がいいかもしれない。

「二人とも、本当にお疲れ様。ここからは共通テスト対策中心に切り替えていこう。基本はだいぶできているはずだから、結構期間は短めだけど、高得点を狙っていけると思う」

 佐々木さんがしゃべっている。少し浮かれているのか、情報が頭で意味を結ばない。ひとまず言われたことをメモだけしておいた。
 隣を確認すると、翠ちゃんは浮かない顔をしていた。あまり判定がよくなかったのだろうか。でも、どう考えても私より低いわけがないし、きっとまた夏のときのように、自分を追い込んでいるだけなのだろう。そっとしておくに越したことはない。
 佐々木さんが話し終えて、階段を降りて行った。翠ちゃんがガタンと大きな音を立てて立ち上がり、こちらを向く。

「どうだった?」
「ACD1個ずつだった。A取れたのは正直まぐれだと思うけど、夏よりかなり上がってて安心したよ」

 目の前の端正な顔立ちは、少しだけ固まった。そして、またいつもの冷静な顔に戻って話し出す。

「そ、そう。……あたしはA1つとB2つだった。もっと本気出さないと」

 呼吸を整えるかのように息を吸ったその間が、私にはとても切羽詰まったものに聞こえた。でも、私の成績は上がっているため、何を言っても嫌味にしか聞こえないはずだ。少しの間言葉を選んでいたけど、探すのを諦める。

「うん、頑張ろう」

 それからすぐ、翠ちゃんは計画を練り直すと言って、早々に塾を出て帰ってしまった。私も佐々木さんも驚いたが、引き止めることなどできない。
 
 次の日から、彼女は塾の自習室ではなく、地域の図書館を勉強場所に選んだ。いつもは早く帰ろうとせかしてくるのに、さっさと先に帰ってしまうようになったのだ。昼休みも、チャイムが鳴るとすぐに図書室にこもりに行って、次のチャイムが鳴る直前に戻ってくる。
 ——そう、まるで私を避けているみたいに。
 一人で集中したいだろうことはなんとなくわかった。でも、私が話しかけようとすると、スッと避けてどこかへ行ってしまうのだ。タイミングを失った私は話しかけるのを諦め、自席に戻る。これが数日間で何度も起こった。
 一人で勉強をするのは、本当に孤独との戦いだ。これまでは翠ちゃんが隣にいる、引っ張ってくれる、そう思っていたから、やって来られたんだ。そのことに、今更気がついた。
 自習室は翠ちゃんが定位置にいないだけで、とても広く感じる。壁に貼ってある名言たちも、なんの味もしない。解答を書いても書いても空白のままのような気がして、勉強に身に入っている感じがしないのだ。
 このままでは嫌だ。前のように一緒に勉強したい。私は翠ちゃんにとって邪魔なのかもしれないけど……って、そんなの勝手すぎる。元はと言えば、翠ちゃんが私をこの道に引き摺り込んだんだ。今度は私がわがままを貫いたっていいじゃないか。

 翌日の放課後。私は翠ちゃんよりも早く片付けを終えて、先回りをした。

「ねえ、翠ちゃん。一緒に塾、行こうよ。今日は一緒に勉強しよう」

 机の上のものをしまうために下を向いている彼女の顔を覗き込んで、無理やり私を視界に入れる。

「いや、共テ対策に集中したいから、一人でやらせて」

 冷たくぶっきらぼうな声が返ってくる。目を逸らされている。
 
「ううん、だめだよ? 今日は私と一緒にやるの。わかった?」

 いつかの誰かさんみたいに、当然のようにわがままを押し通す。すると、翠ちゃんは目を閉じて、数秒間黙った。

「何それ。あたしはあたしの勉強法を貫いてるの。これまでずっとそうしてきた。当たり前だけど、これからもそうする。邪魔しないでよね」
「邪魔って……。翠ちゃんが私に東大目指せって言ったんだよ? 巻き込んでおいて、邪魔はひどくない?」

 目の前の美少女は、ゆっくりとため息をついた。ビリビリと伝わってきたのは、焦りと苛立ちが多分に混ざった、深い深い怒り。空気の振動の仕方をすべて変えていくような、それほどに強い感情が、翠ちゃんから放たれている。

「たまたまA判1つ取ったくらいで浮かれんなよ! こっちは受験に全部捧げてんの、青春も何もかも! それくらい大事なの、重要なの、そんなこともわかんないで理三受けるつもり? 舐めてるでしょ。邪魔すんなっつったら邪魔すんな!」

 え、ちょっと待ってよ。なんでそんなに怒ってるの? いや、私が悪かったけどさ……。
 どの言葉も喉まで出かかって、でも口からは出ることなく、しまわれていった。翠ちゃんは荷物を持って荒々しく教室を飛び出して行ってしまった。

「あーあ。そっかぁ、邪魔かあ。この間、夢見が悪かったのってこれかなぁ……」

 教室はまだビリビリと震えているような気さえする。それくらいの剣幕で彼女は怒っていた。
 ふと目についた校内模試の順位表には、一番上に翠ちゃんの名前が、そしてそのすぐ下に自分の名前が書かれていた。あのときとは違うのになぁ、と感傷に浸ってしまうのは、夕焼けのせいか、それとも放課後のざわめきのせいか——。