秋が深まっていくのを感じる。聞き慣れたシャーペンをカチカチする音、ノートや紙にサラサラと字を書く音、2階から聞こえてくる授業の声、電池が切れかけた弱々しいタイマーの音。
 もう暑いなんていう言葉は出なくなった。少しずつ気温が下がってきて、冷えたね、なんていう言葉が代わりに顔を出す。冬、すなわち受験がすぐそこまで来ていることを実感しながら、私は秋の冠模試に挑んでいた。
 夏とは別の緊張感がある。この間まではテストそのものに緊張していた。大丈夫かな、ちゃんと解けるかな、そんな不安が頭を支配して、文章を読もうにもうまく頭が働いてくれなかった。
 でも、今はそんな生ぬるい緊張はしていない。もっと研ぎ澄まされた緊張、鋭利な恐怖だ。これを解き切らなければ、今回で目標点を取らなければ、合格は見えてこない。そういう類の感情。
 人間は、感情を向けるべき対象がわからない時、不安を感じて、その対象が明らかになった時、それは恐怖に変わると聞いたことがある。まさにその通りだ。私には今、目の前に問題と合計点という明確な敵がいて、本能的に恐怖を感じているのだ。こいつらを倒さないと、先に進めない。刃を突きつけられているかのような、崖っぷちに立たされているかのような、死地の恐怖。
 9時から、試験開始だ。この時間にも、もう慣れてきた。何度も本番日程で動いて、体に染み込ませた時間だ。大きなツルツルの解答用紙の扱いにも慣れてきている。なんなら、見慣れた解答用紙があるだけで、少し安心できるくらいだ。

「試験開始」

 佐々木さんの真面目な声にも慣れた。シャーペンを即座に握り、問題用紙を滑らかに開く。
 評論の解答欄は、文字数指定がある最後の問題以外、行数指定があるだけだ。文字を小さくすれば、理論上いくらでも詰め込めるが、実際は1行30〜35文字が限界。内容説明は丁寧に言い換えて、理由説明は因果関係を追いつつ、どこまで遡るかを検討する。そうして、2行と言われれば70字を、3行と言われれば100字を目安に解答を組み立てていくのだ。
 大抵の場合、答えたい内容に対して、解答欄は狭い。いかに削るか、要約するかが勝負になってくる。でも、肝心なところを削ってしまえば、点数はもらえない。そのギリギリの塩梅を見極めろ。それが現代文の面白さだ。
 漢字は普通に、ひらがなは小さく。これが文字をいっぱいに詰め込むために大切なポイントだと佐々木さんが言っていた。そんなところまで攻略法が見出されているのが何よりも驚きだが、そういう一つひとつの情報はありがたい。すべてスケジュール帳の後ろのメモ欄に書き留めているし、こうやってテスト中に思い出せるくらいまで頭に刻み込んでいる。
 古文は主語を補って感覚で読み進めていく。もちろん、単語や背景の知識、古典文法の知識がなければわからないだろうが、東大の古文はそれ以上にさらに、流れを掴む能力も試されている気がする。大雑把に意味を理解する、意図を汲み取る力、と言えばいいのだろうか。
 だから、あくまで物語として読む。試験の問題として、というよりも、一つのストーリーとして。この主人公は何がしたくて、どういう意図でその行動を取っているのか。誰に恋して、誰を助けたいと思って生きているのか。情景を想像しながら理解し、それを解答に落とし込むんだ。
 漢文はもっと淡白だ。でも、結局意図を汲む力が試されているのは古文と変わらない。
 佐々木さんや翠ちゃんに教えてもらったことを、書き留めたページを思い浮かべる。そのポイントの一つひとつを、意識しながら必死で時間いっぱい手を動かす。そうして、ひとまず国語は終了。

 次は数学だ。最初にどの問題もさらっと手をつけてみて、解けそうな問題を選び抜く。ここでミスっては計画がすべて崩れてしまう。捨て問の見極めを正確に。目をつけたら、その問題を20分かけて、解き切る。解答は書き始めたら後戻りできないから、最初の方にわかっていること、確実なことを書き連ね、方針もある程度示してしまう。
 行き詰まったら、問題文に立ち返る。まだ使っていない条件はあるか、それはどうやって使えばいいのか。図形の問題だったら一から図を描き直すのもいい。
 問題用紙の余白がどんどん埋まっていく。時間も刻一刻と過ぎていく。16時半の試験終了の合図に向かって、長針は右回りに900度回転する。
 一問でも、いや、一文字でも多く書き切れ。コンマ1秒でも素早く、でも正確に計算を。
 格段に成長している。夏の冠模試よりも、手を動かし続けられている。思考体力がついているのがわかる。150分考え続けていても、まったく辛くない。

 その夜はぐっすり眠って、翌日はまた9時から理科。150分の間に物理と化学の2科目を解かなくてはならない。時間配分は個人の裁量に任されていて、物理が苦手な私は、できるだけ長い時間を化学にかけることができるよう、基本問題だけをさらっていく。もちろん、果敢に挑む姿勢は忘れずに。
 理科の解答用紙は物理、化学、生物、地学のどれでも使えるようになっていて、ノートのように罫線が引いてあるだけのシンプルなものだ。名前を書く欄のすぐ隣に、選択科目を示すために切り取り線があり、該当の科目が書かれた半円を切り取らなくてはならない。これが破けやすくて、結構難しいのだ。うまく切り取れたら試験もうまくいく、なんていう馬鹿げた願掛けもあるくらいで、少しズレたり破れたりすると頭をよぎるのがタチが悪い。
 物理の第一問は普通、力学の問題が出る。最初の数問は基本的な知識を問われるが、問題の設定についていけないと何を問われているか理解できずに脱落してしまう。長い問題文から情報を読み落とさないように、丁寧に、でも素早く拾っていく。解答用紙を縦に半分に分けるように線を引き、左側から書いていく。答案のレイアウトも受験生の自由で、特に決まりはない。何度も繰り返し使って慣れた方法で書くのが一番いい。
 第二問は電磁気、そして第三問は今回は波動だった。ありがたい。波動で稼ごう。
 一通り解き終わって、時計を見ると開始から45分が経っている。ちょうどいい頃合いだ。問題用紙の化学のページを開く。
 化学の第一問は有機だ。学校で最近習ったばかりだから、演習が圧倒的に足りないが、頭をフル回転させて条件から物質を絞っていく。有機化学はパズルのようなもので、与えられた情報から選択肢を削っていく問題が多い。これをいかに素早く終わらせるかが後に結構影響する。
 第二問は無機。稼ぎどころ。語呂合わせで覚えたイオンの反応で沈澱する物質の色の知識を組み合わせて、解答を一つひとつ書いていく。第三問は理論化学。計算が多めだったが、捨て問などではない。基本的に、化学は勉強さえしていれば捨て問は存在しない。有機が演習不足なのはわかっていたことだ。それ以外の無機と理論でしっかり獲っていかないと。

 午後は英語、ラストだ。1のAから順番に解いていこう。要約、段落整除、英作文。時計の動きに追われながら、前半45分をなんとかこなしていく。解答に自信はないが、英語は立ち止まったらそこでおしまいだ。ただでさえ時間が足りないのだから。
 そこで30分のリスニングが挟まる。滑らかに流れていく音声を、頭が拒んでいるのがわかる。それでも、なんとかついていこうと必死で耳を傾けるのだ。一つでも情報を拾え、わかったことを片っ端から脳内で整理しろ。
 そうやって全力を出したとて、リスニングから取れる点数はたかが知れている。東大英語は、記述問題用の解答用紙と選択問題用のマークシートが渡され、その2つを行き来しながら解答しなければならない。リスニングはすべてマーク式だから、聴き取れなかったところは勘で埋めていく。
 後半戦が始まる。残り45分で、文法、和訳、そして小説の読解をやり切らなくてはならないのだ。手を止めることはなく、もちろん、頭を休めることもなく、ペンと目線はひたすら英文を追いかける。
 小説の問題は回想シーンなどが入るとわけがわからなくなる。全文を正確に理解することなど端から諦めているが、わかるところだけをつなぎ合わせて全体を想像しようとすると、回想シーンのせいで時系列がぐちゃぐちゃになってしまうのだ。
 それでも、ニュアンスを汲み取って記述を書いていく。文中に空いた空欄は前置詞を埋める問題になるけど、正直文法や語法の知識が追いついていないので、感覚でなんとかするしかない。
 あと何問? あと何分? ——もう間に合わない。今回も、また解き終わらない。

「試験終了。筆記用具を置いてください」

 佐々木さんの声にため息をついてシャーペンを置く。解答用紙を2枚、提出する。間に合いそうで、結局間に合わない。やっぱり、戦略を変えるしかないのか。
 その日は佐々木さんの解説会を受けて、帰路についた。帰り道の記憶はない。帰ってから勉強しようと思ったが、頭が疲れ切っていたのか、すぐに夢の世界へと(いざな)われてしまった。