明るすぎる白熱灯、正反対に暗く塗られた焦げ茶色のフローリング、夏が近づいているのに冷たい机の足。進学校とも言えないが、ほとんどの生徒が大学進学を選択する私たちが通う高校では、テスト返却はそれなりに緊張感が漂う。
各科目の授業の中で、一つずつ返ってくる形式だが、正直まとめて返して欲しいといつも思う。変に緊張を高めないで欲しいのだ。
手応えはあった。これまでろくに勉強して来なかった私が、初めて努力して迎えたテストだ。成績が上がっていなかったらおかしい。でも、結局いろんな課題が新たに見つかったし、徐々に受験を意識し始めて勉強に本腰を入れているクラスメイトも他にいるようだ。下手に一喜一憂しないようにしよう。
「じゃあ、席次順に呼ぶから呼ばれたら取りに来い」
最初は化学。範囲は無機化学で、知識問題が多かったから、大丈夫だと思う。そう思いたい。早い段階で翠ちゃんが取りに立ち上がっている。私は席次順では後ろの方だから、ドキドキする時間が長い。これもやめてほしい。不平等じゃないか。
「32番」
立ち上がる。手が震えるのを誤魔化すようにぎゅっと爪が食い込むまで握りしめた。
渡された解答用紙を見ずに受け取る。自分の席に戻ってから見たい。翠ちゃんがチラリとこちらを見た。彼女は何点だったんだろう。どうせ、9割取れているんだろうな。
私より席次が後ろの子たちが次々に呼ばれているのを横目に、私は席に戻ってゆっくりとテストを開いた。書かれていた数字は、82点。
誰にも見られないように小さくガッツポーズをする。こんな点数これまで取ったことがない。もちろん、いい意味で。
これまで良くても70点台がほとんどだった。ひどい時は50点切るくらい。赤点は取ったことがないけれど、やっぱり平均くらいが限界だと思っていた。
ああ、努力すればちゃんと結果はついてくるんだ。
✳︎✳︎✳︎
他の科目もどんどん返却された。たまに優しい先生がそのコマをテスト復習の時間に充ててくれるが、本当にありがたい。次同じ問題が出題されたら絶対に解けるように復習しろ、と佐々木さんは言っていた。テストは点数から現在地を知ることができる重要な機会だが、それと同時に新たに頭に問題をストックできる機会でもあるんだ、と。
どの科目もまずまずの成績。数学で80点台が出た時はあまりの嬉しさで声を抑えるのに必死だった。翠ちゃんに勧められて買ったスケジュール帳を取り出し、目標点一覧のページを開く。各科目の点数を記入していき、目標点と比べてプラスもしくはマイナス何点かも書いていく。ちょうど半分、5科目はプラス、残りの5科目は目標に届かないまでも、1点か2点程度の差しかなく、改めて達成感が湧き上がってくる。
「ほら、さっさと塾行くよ」
聞き慣れた偉そうな声が降ってくる。ハッとして顔を上げると、もうほとんどのクラスメイトは教室に残っていなかった。早く移動して自習を始めないといけない。
「ごめんごめん。早く準備するね」
バタバタと教材やらお弁当やらをカバンに詰め込み、スケジュール帳も一緒にしまおうとする。
「ああ、それはしまわなくていいよ。行くまでに点数言い合おう」
「え?」
「え? じゃないよ。当たり前でしょ。ライバルなんだから、あたしらは」
まっすぐにそう言われて、ぽかんと口を開けたまま固まってしまう。いつだってこの人は突拍子のないことを言い出す。実際、ライバルを作ろうと私に声をかけたとは言っていたが、まだ同じ土俵に建てていないではないか。
「今はあたしの方がいい点数なのは当たり前でしょ。始めるタイミングが違ったんだから。でもあたしを目指して本気で頑張ってもらわないと」
「そ、そっか……」
あの日から私の心臓を青く燃やしている炎に、今、翠ちゃんが手をかざしているような気がした。私も、彼女の青い炎に手を伸ばし続けなければ。
スケジュール帳だけは手に持って、他のものは片付け、ガタガタと立ち上がった。
「お待たせ。行こっか」
口の端を少しだけ持ち上げて、翠ちゃんはうなずいた。せっかく美人なんだから、もっとしっかり笑ったらいいのに。なんでそんなに性格の悪そうな笑い方しかできないんだろう。
昇降口で靴を履き替え、まぶしいほどに真っ赤に焼け染まった空の下を歩き出す。明日は雨だろうか。
「じゃあ、現国から」
「え? いやだよ、悪いやつからにしよう」
「めんどくさいな、もう一覧表見せ合えばいいんじゃない?」
「いやいや、ちょっと待ってって」
「待たない!」
私がキッと翠ちゃんを睨みつけて、スケジュール帳を取られまいとそれはそれは大事に胸に抱える。翠ちゃんはそれを無理やり奪い取ろうとしてくる。
「そんな乱暴にモノ扱ったらダメでしょ! お母さんに教わらなかったの!」
ふざけて私がそんなことを言う。近所のおばちゃんみたいなキャラになり切って。すると、翠ちゃんはスッと手を引っ込めて、少し黙った。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ああ、ごめん。大丈夫。それより、いい加減見せなさいよ!」
すぐに元に戻ったから、きっと何か考えごとをしていたんだろうと思う。翠ちゃんが不思議ちゃんなのはわかっていることだ。
「もう、仕方ないなぁ。じゃあ見せてあげるよ、私の貴重な成績!」
「どこが貴重なのよ。……って結構やるじゃん」
「ちょっと! 翠ちゃんのやつ見せてってば! 私のだけ見せてそっちは見せないなんてそんなの許されないからね!」
「はいはい。これだよ」
翠ちゃんは真っ黒な表紙のスケジュール帳の真っ黒なクリップが挟んであるページを開いて渡してくれた。良くも悪くも特徴のない字がびっしりと並んでいる。見開きの右上に目標点と実際の点数、そしてその差が計算されて書かれていた。
現:87 古:96 数①:95 数②:89 コミュ:97 英表:94 物:98 化:95 世:92 情:100
「うわ、情報満点じゃん」
「マークシートだよ? 満点取りに行かなきゃでしょ」
「取りに行くのと獲れる、は違うんじゃ……?」
とにかくどの科目も文句なしの点数だ。高校のテストでこんな高得点ばかり叩き出しているだなんて、やっぱり秀才は違う。改めて現実を突きつけられた感じがする。本気でテスト勉強をして、時間が全然足りない経験をしたからこそ、なおさら。
同時に、この翠ちゃんですら現代国語や数学では90点に届かないこともあるんだ、と意外に思う。あれだけ努力を重ねているこの人ですら。
目の前に続いている道が、先が見えているのに、その長さを実感させられてしまう。
でも、絶対に追いついて、ゴールまで駆け抜けてやる。まずはこの隣の美少女の胸に灯る青い炎よりも強くゆらめく炎を灯せ。さっきまで辺りを真っ赤に仕上げていた夕日は、もう落ちる手前だった。
各科目の授業の中で、一つずつ返ってくる形式だが、正直まとめて返して欲しいといつも思う。変に緊張を高めないで欲しいのだ。
手応えはあった。これまでろくに勉強して来なかった私が、初めて努力して迎えたテストだ。成績が上がっていなかったらおかしい。でも、結局いろんな課題が新たに見つかったし、徐々に受験を意識し始めて勉強に本腰を入れているクラスメイトも他にいるようだ。下手に一喜一憂しないようにしよう。
「じゃあ、席次順に呼ぶから呼ばれたら取りに来い」
最初は化学。範囲は無機化学で、知識問題が多かったから、大丈夫だと思う。そう思いたい。早い段階で翠ちゃんが取りに立ち上がっている。私は席次順では後ろの方だから、ドキドキする時間が長い。これもやめてほしい。不平等じゃないか。
「32番」
立ち上がる。手が震えるのを誤魔化すようにぎゅっと爪が食い込むまで握りしめた。
渡された解答用紙を見ずに受け取る。自分の席に戻ってから見たい。翠ちゃんがチラリとこちらを見た。彼女は何点だったんだろう。どうせ、9割取れているんだろうな。
私より席次が後ろの子たちが次々に呼ばれているのを横目に、私は席に戻ってゆっくりとテストを開いた。書かれていた数字は、82点。
誰にも見られないように小さくガッツポーズをする。こんな点数これまで取ったことがない。もちろん、いい意味で。
これまで良くても70点台がほとんどだった。ひどい時は50点切るくらい。赤点は取ったことがないけれど、やっぱり平均くらいが限界だと思っていた。
ああ、努力すればちゃんと結果はついてくるんだ。
✳︎✳︎✳︎
他の科目もどんどん返却された。たまに優しい先生がそのコマをテスト復習の時間に充ててくれるが、本当にありがたい。次同じ問題が出題されたら絶対に解けるように復習しろ、と佐々木さんは言っていた。テストは点数から現在地を知ることができる重要な機会だが、それと同時に新たに頭に問題をストックできる機会でもあるんだ、と。
どの科目もまずまずの成績。数学で80点台が出た時はあまりの嬉しさで声を抑えるのに必死だった。翠ちゃんに勧められて買ったスケジュール帳を取り出し、目標点一覧のページを開く。各科目の点数を記入していき、目標点と比べてプラスもしくはマイナス何点かも書いていく。ちょうど半分、5科目はプラス、残りの5科目は目標に届かないまでも、1点か2点程度の差しかなく、改めて達成感が湧き上がってくる。
「ほら、さっさと塾行くよ」
聞き慣れた偉そうな声が降ってくる。ハッとして顔を上げると、もうほとんどのクラスメイトは教室に残っていなかった。早く移動して自習を始めないといけない。
「ごめんごめん。早く準備するね」
バタバタと教材やらお弁当やらをカバンに詰め込み、スケジュール帳も一緒にしまおうとする。
「ああ、それはしまわなくていいよ。行くまでに点数言い合おう」
「え?」
「え? じゃないよ。当たり前でしょ。ライバルなんだから、あたしらは」
まっすぐにそう言われて、ぽかんと口を開けたまま固まってしまう。いつだってこの人は突拍子のないことを言い出す。実際、ライバルを作ろうと私に声をかけたとは言っていたが、まだ同じ土俵に建てていないではないか。
「今はあたしの方がいい点数なのは当たり前でしょ。始めるタイミングが違ったんだから。でもあたしを目指して本気で頑張ってもらわないと」
「そ、そっか……」
あの日から私の心臓を青く燃やしている炎に、今、翠ちゃんが手をかざしているような気がした。私も、彼女の青い炎に手を伸ばし続けなければ。
スケジュール帳だけは手に持って、他のものは片付け、ガタガタと立ち上がった。
「お待たせ。行こっか」
口の端を少しだけ持ち上げて、翠ちゃんはうなずいた。せっかく美人なんだから、もっとしっかり笑ったらいいのに。なんでそんなに性格の悪そうな笑い方しかできないんだろう。
昇降口で靴を履き替え、まぶしいほどに真っ赤に焼け染まった空の下を歩き出す。明日は雨だろうか。
「じゃあ、現国から」
「え? いやだよ、悪いやつからにしよう」
「めんどくさいな、もう一覧表見せ合えばいいんじゃない?」
「いやいや、ちょっと待ってって」
「待たない!」
私がキッと翠ちゃんを睨みつけて、スケジュール帳を取られまいとそれはそれは大事に胸に抱える。翠ちゃんはそれを無理やり奪い取ろうとしてくる。
「そんな乱暴にモノ扱ったらダメでしょ! お母さんに教わらなかったの!」
ふざけて私がそんなことを言う。近所のおばちゃんみたいなキャラになり切って。すると、翠ちゃんはスッと手を引っ込めて、少し黙った。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ああ、ごめん。大丈夫。それより、いい加減見せなさいよ!」
すぐに元に戻ったから、きっと何か考えごとをしていたんだろうと思う。翠ちゃんが不思議ちゃんなのはわかっていることだ。
「もう、仕方ないなぁ。じゃあ見せてあげるよ、私の貴重な成績!」
「どこが貴重なのよ。……って結構やるじゃん」
「ちょっと! 翠ちゃんのやつ見せてってば! 私のだけ見せてそっちは見せないなんてそんなの許されないからね!」
「はいはい。これだよ」
翠ちゃんは真っ黒な表紙のスケジュール帳の真っ黒なクリップが挟んであるページを開いて渡してくれた。良くも悪くも特徴のない字がびっしりと並んでいる。見開きの右上に目標点と実際の点数、そしてその差が計算されて書かれていた。
現:87 古:96 数①:95 数②:89 コミュ:97 英表:94 物:98 化:95 世:92 情:100
「うわ、情報満点じゃん」
「マークシートだよ? 満点取りに行かなきゃでしょ」
「取りに行くのと獲れる、は違うんじゃ……?」
とにかくどの科目も文句なしの点数だ。高校のテストでこんな高得点ばかり叩き出しているだなんて、やっぱり秀才は違う。改めて現実を突きつけられた感じがする。本気でテスト勉強をして、時間が全然足りない経験をしたからこそ、なおさら。
同時に、この翠ちゃんですら現代国語や数学では90点に届かないこともあるんだ、と意外に思う。あれだけ努力を重ねているこの人ですら。
目の前に続いている道が、先が見えているのに、その長さを実感させられてしまう。
でも、絶対に追いついて、ゴールまで駆け抜けてやる。まずはこの隣の美少女の胸に灯る青い炎よりも強くゆらめく炎を灯せ。さっきまで辺りを真っ赤に仕上げていた夕日は、もう落ちる手前だった。



