次に私の家に訪問してきたのが、原田美由子という女性の看護師だった。彼女の話を聞くと、思春期の息子さんが一人いるとのことだった。彼女は私の声なき声を拾い、一緒に涙まで流してくれながら解決できるように寄り添ってくれた。彼女はよく私に感情移入して、泣くこともしばしばあった。彼女にできないことでも、なんとかならないかと私のために思案してくれる方だった。また、天気の良い日は、私は彼女と散歩をするのが楽しかった。
「今日の体調はいかがですか?」
彼女は私に聞いてきた。
「晴れていて、気分が爽快です」
天候によっても心身の状態が左右されると、私は言った。
「そうですよね? 私もこういう晴れた日は気分がいいですね」
彼女は答えた。
翌日来た精神科訪問看護師は、滝本 由美子というベテランの方だった。彼女は、両親が、同じ年に他界するという、ダブル悲劇を経験した方だった。
「なんでお母ちゃんは、お父ちゃんを追いかけるように逝ってしまったのか? きっとお母ちゃんはお父ちゃんが大好きで、来世も結婚する運命なのだろうね。だから同じ年に亡くなったのかな?」
彼女は言った。
「滝本さん、本当に大変だったのですね」
私は何気なく言ってしまった。しかし後年彼女の言っていた意味が分かるときが自分に訪れるとは、このときの私にはまだ分からなかった。
とにかく精神科の訪問看護を使って良かったのは、孤独感をまず最小限に抑えられたことだ。健常者の友人に病気のことを言っても、頑張ってと言われて、結構苦痛になった。しかし精神科の訪問看護師は、病気のことを分かっているうえに、友人のように接してくれる。また大きなことを言えば、そうしているうちに自殺の予防をしてくれていたのである。私は、どこか大変な仕事だなあと、患者として見て思っていた。感謝しかなかった。精神科訪問看護を利用して、二年が経とうとしていた頃、私の容態は落ち着いていた。そこで一般企業の障がい者雇用枠で、完全在宅勤務でライターの仕事を勝ち取り、一般就労をすることになり、精神科訪問看護も徐々に卒業となっていった。
「今日の体調はいかがですか?」
彼女は私に聞いてきた。
「晴れていて、気分が爽快です」
天候によっても心身の状態が左右されると、私は言った。
「そうですよね? 私もこういう晴れた日は気分がいいですね」
彼女は答えた。
翌日来た精神科訪問看護師は、滝本 由美子というベテランの方だった。彼女は、両親が、同じ年に他界するという、ダブル悲劇を経験した方だった。
「なんでお母ちゃんは、お父ちゃんを追いかけるように逝ってしまったのか? きっとお母ちゃんはお父ちゃんが大好きで、来世も結婚する運命なのだろうね。だから同じ年に亡くなったのかな?」
彼女は言った。
「滝本さん、本当に大変だったのですね」
私は何気なく言ってしまった。しかし後年彼女の言っていた意味が分かるときが自分に訪れるとは、このときの私にはまだ分からなかった。
とにかく精神科の訪問看護を使って良かったのは、孤独感をまず最小限に抑えられたことだ。健常者の友人に病気のことを言っても、頑張ってと言われて、結構苦痛になった。しかし精神科の訪問看護師は、病気のことを分かっているうえに、友人のように接してくれる。また大きなことを言えば、そうしているうちに自殺の予防をしてくれていたのである。私は、どこか大変な仕事だなあと、患者として見て思っていた。感謝しかなかった。精神科訪問看護を利用して、二年が経とうとしていた頃、私の容態は落ち着いていた。そこで一般企業の障がい者雇用枠で、完全在宅勤務でライターの仕事を勝ち取り、一般就労をすることになり、精神科訪問看護も徐々に卒業となっていった。



