私はただただ、眼鏡の奥に光る先生の美しさにうっとりとしていた。だが先生の中身をこれから知ることになる私にとって、この視覚情報は邪魔になった。災難になることは予想していなかった。
「どこから転院してきてもいいですけど、前の先生には何と仰ってこちらへ来られたのですか?」
私は、前の先生に診断書と紹介状を書いてもらっていた。しかし今私が受診しているこの病院と前の病院には、何のつながりもなかった。この先生は明らかに困惑し、気分を害しているように見えた。
「前の病院では慢性うつ病と診断されましたが、どうも薬が合わないです。それで今回、私の家の近所で、一本の電車で来られるネットで評判の良いこちらの病院に決めました」
先生はなおも訝しげな顔で私の目をじっと見つめてくる。私は恥ずかしさで目を合わせられなかった。
「分かりました。とりあえず心理テストを受けてください。カウンセラーがいるので、そちらの部屋へどうぞ」
心理テスト? 私の頭はクエスチョンマークだらけだった。
この後心理テストを受け終わり、自身のIQが同年齢の人たちに比べて低く、数学的思考が弱いことが分かった。軽度知的障害である。その後、説明が先生の口から行われた。
私の名は、木戸(きど)満(みつる)。私がこの病院を選んだ理由を書く。女医さんの方がきめ細やかそうで、癒されると思ったからだ。それは年齢を問わず、男性の先生に比べて、そういう傾向があると勝手に思っていたからだ。威圧的に接さないと思っていたからである。少なくとも今日この女医さんの診察を受けるまでは、そう思っていた。ところがいざ蓋を開けてみると、全くの真逆だった。先生の名は、加古川可子(かこがわかこ)。栗毛色の髪の毛を巻き毛にしていた。目は透き通っていて、嘘を見逃さないように見えた。身長は、一六八センチの私より若干低かった。顔は美人。性格はきつい。これが僕と先生の最初の出会いだった。
「木戸さん、単純軽作業の仕事を見つけてください。今日は以上です」
二〇一三年私は社会人一年目だったが、体調の悪さから就職活動ができず、フリーターになっていた。一方の可子はというと、二十代中半くらいに見えた。可子の勤めている大学病院は、横浜市営地下鉄センター北駅を降りて歩く。途中モザイクモール港北の観覧車が上にある。私は、可子に対して近寄りがたいものを感じたと同時に、お近づきになりたいとも思った。私は、慢性うつ病だと勘違いされ、気持ちが高揚する薬を飲まされていた。よって私は、気分がハイテンションになりすぎて、過度の買い物をして失敗するようなことがあった。借金もしてしまった。私の真の病名は、可子によると双極性障害Ⅱ型だった。ずっと軽躁状態が、ここのところ続いていた。それを可子は見抜いた。可子は私に対して、テンションを下げる薬を処方した。ほどなくして私は、テンションが良い意味で下がった。しかしなったことがない人には分からないと思うが、私は何か物足りなさを感じる。一度躁状態でハイテンションになると、ジェットコースターの一番上に差し掛かる気分のようになり、最高潮になる。そこから落ちて薬でテンションがあまり上がらないようにされると、やはり何かが物足りなくなる。これが双極性障害の躁状態を経験した後の人間に起こることなのだ。
それからというもの、私は病院へ行くのが、可子先生に何を言われるのかスリルがあって楽しくなった。と同時に私は可子への恋心を抱き始めていた。これはおそらく、可子の心の中にはないものだったろう。片想いである。私は恋愛という感情は経験したことがあったが、相手に想いを伝えられるほど気が強くなかった。女の子とは話せるが、目を見て話すのが苦手だった。そんなこんなで、私が興味を持ち話した女の子は、私の目線を見るや否や去って行ってしまう。こんなことの繰り返し。しかし今日初めて会った加古川可子先生は、今まで会ってきた女の子とはどこか異質な存在だった。それは単に精神科医と患者の関係だったからではなく、どこか大人の女性の雰囲気を私が彼女から感じ取ったからだ。
「どこから転院してきてもいいですけど、前の先生には何と仰ってこちらへ来られたのですか?」
私は、前の先生に診断書と紹介状を書いてもらっていた。しかし今私が受診しているこの病院と前の病院には、何のつながりもなかった。この先生は明らかに困惑し、気分を害しているように見えた。
「前の病院では慢性うつ病と診断されましたが、どうも薬が合わないです。それで今回、私の家の近所で、一本の電車で来られるネットで評判の良いこちらの病院に決めました」
先生はなおも訝しげな顔で私の目をじっと見つめてくる。私は恥ずかしさで目を合わせられなかった。
「分かりました。とりあえず心理テストを受けてください。カウンセラーがいるので、そちらの部屋へどうぞ」
心理テスト? 私の頭はクエスチョンマークだらけだった。
この後心理テストを受け終わり、自身のIQが同年齢の人たちに比べて低く、数学的思考が弱いことが分かった。軽度知的障害である。その後、説明が先生の口から行われた。
私の名は、木戸(きど)満(みつる)。私がこの病院を選んだ理由を書く。女医さんの方がきめ細やかそうで、癒されると思ったからだ。それは年齢を問わず、男性の先生に比べて、そういう傾向があると勝手に思っていたからだ。威圧的に接さないと思っていたからである。少なくとも今日この女医さんの診察を受けるまでは、そう思っていた。ところがいざ蓋を開けてみると、全くの真逆だった。先生の名は、加古川可子(かこがわかこ)。栗毛色の髪の毛を巻き毛にしていた。目は透き通っていて、嘘を見逃さないように見えた。身長は、一六八センチの私より若干低かった。顔は美人。性格はきつい。これが僕と先生の最初の出会いだった。
「木戸さん、単純軽作業の仕事を見つけてください。今日は以上です」
二〇一三年私は社会人一年目だったが、体調の悪さから就職活動ができず、フリーターになっていた。一方の可子はというと、二十代中半くらいに見えた。可子の勤めている大学病院は、横浜市営地下鉄センター北駅を降りて歩く。途中モザイクモール港北の観覧車が上にある。私は、可子に対して近寄りがたいものを感じたと同時に、お近づきになりたいとも思った。私は、慢性うつ病だと勘違いされ、気持ちが高揚する薬を飲まされていた。よって私は、気分がハイテンションになりすぎて、過度の買い物をして失敗するようなことがあった。借金もしてしまった。私の真の病名は、可子によると双極性障害Ⅱ型だった。ずっと軽躁状態が、ここのところ続いていた。それを可子は見抜いた。可子は私に対して、テンションを下げる薬を処方した。ほどなくして私は、テンションが良い意味で下がった。しかしなったことがない人には分からないと思うが、私は何か物足りなさを感じる。一度躁状態でハイテンションになると、ジェットコースターの一番上に差し掛かる気分のようになり、最高潮になる。そこから落ちて薬でテンションがあまり上がらないようにされると、やはり何かが物足りなくなる。これが双極性障害の躁状態を経験した後の人間に起こることなのだ。
それからというもの、私は病院へ行くのが、可子先生に何を言われるのかスリルがあって楽しくなった。と同時に私は可子への恋心を抱き始めていた。これはおそらく、可子の心の中にはないものだったろう。片想いである。私は恋愛という感情は経験したことがあったが、相手に想いを伝えられるほど気が強くなかった。女の子とは話せるが、目を見て話すのが苦手だった。そんなこんなで、私が興味を持ち話した女の子は、私の目線を見るや否や去って行ってしまう。こんなことの繰り返し。しかし今日初めて会った加古川可子先生は、今まで会ってきた女の子とはどこか異質な存在だった。それは単に精神科医と患者の関係だったからではなく、どこか大人の女性の雰囲気を私が彼女から感じ取ったからだ。



