都心の方に向かって行く彼と、住宅地の方に向かう私。乗る電車は反対方向で、別れが迫っていた。

「あなたは、私を満たしてくれた。ありがとう」
 リュックに押し込まれていた茶封筒を出し、差し出す。
 彼は、プロのセラピストだ。

「はぁ? 終電を逃した者同士、一夜を過ごしただけだろ? いらねーよ。友達からそんなもん、もらえるか!」
「……友達?」
 ニッと笑った姿に、私も微笑みを返していた。
 東京で、初めて出来た友達。

 始発電車がゆっくりとホームに入ってくる。
「これ、やるよ。あいつに、そっくりなやつ」
「……あいつ?」
 手渡されたのは、手の平半分サイズの小さな袋。破れないようにとそっと開けると、そこには目がクリクリとして可愛らしい、ホタルのぬいぐるみストラップが入っていた。

「今日、誕生日だろ? だから、一人で居たくなかったんだよな?」
 ……分かってくれていたんだ。誕生日が怖いことも。私が名前を偽っていたことも。

「私ね。……本当は、『蛍』という名前なの」
「ああ。良い名前じゃねーかよ」
 私の頭をわしゃわしゃと撫でる力は優しく、最後にそっと撫でてくれる。

「どうして誕生日と名前が分かったの?」
「んー。まあ、メルアドは変えた方が良いと思うけど?」
「あ!」
 彼とはメルアドで連絡を取っていた。高校生の時のまま、誕生日と名前を当てた個人情報溢れたメルアドを使用して。


『蛍って名前、いかにもって感じだよね?』
『本当、親のセンス疑うわー』
 サークルでの新歓。酔った先輩達に笑って言われた言葉。
 勿論、お酒の席での軽い戯言だと分かっている。だけど。

「……この名前ね、父が名付けてくれたの。私が生まれた日。父が病院に向かう道で蛍が飛んでいて、『光り輝きながら飛べる子になりますように』って……」
 父が付けてくれた名前をこれ以上悪く言われたら、私は人を本気で信じれなくなる。気付けば私は、実名が必要ない場所では莉奈と名乗るようになっていた。

 アナウンスが響くホーム。別れを告げる合図。
 彼に手を引かれ、電車に乗り込んだ。
「ありがとう……。本当に……」
 離れていく手。込み上げてくる想いに、目頭が熱く喉がどんどんと詰まっていく。
 なんとか出せた言葉と共に、涙までも溢れてしまった。

「……初めては、蛍をずっと見守ってくれていた川のせせらぎのような人にしろよ?」
「ずっと……、見守って……?」
「じゃあな」
 アナウンス音と共に閉まるドア。ぼやけて見える彼に、ただ笑った。
 涙を拭えば、最後まで見守ってくれる健斗の姿。私はただ、この目に焼き付けた。──初恋の人を。