空を見上げれば東雲色に染まっていて、ホタルは草むらへと消えていった。
「そろそろ行くか?」
 その言葉にポケットからスマホを取り出して眺めると、時刻は四時二十分。
 そうだ。夜が明ければ、この約束は終わる。
 だって彼は、「一夜の恋人」なんだから。

 握られた手は変わらず温かくて、優しいのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。
 何度も過った、身を焦がすような熱い想いを私はただ否定する。
 好きになってはいけない。本気になっても、未来はない。だって彼は、セラピストなんだから。

 だけど自制心と感情は相反していて、気付けば彼に抱き付いていた。
「……延長、出来たよね? お願い。あなたの時間が欲しいの……」
 好きなんて言ってはいけない。
 愛が欲しいなんて、もっと言ってはいけない。
 ただ、思い出が欲しい。
 それだけが、私の許された願いだった。

 流星はそんな私を優しく包み込んでくれ、右手をそっと頬に触れさせる。輝く星のような瞳に吸い込まれてしまった私は近付いてくる唇に、もう争うことはなかった。

 ペチン。
 頬に走る、軽い衝撃。
 閉じていた瞼をそっと開けると、優しく微笑む流星。強い光りの方に目を向けると、夜の終わりを告げてくる朝日が私達を照らしていた。

「仕返しだ」
 ゆっくりと離れていく体は、初めて私に背を向けて歩き出す。

「流星……、私」
「健斗。俺の名前」
 足を止めて振り向いた彼の瞳には、もう星の輝きはなかった。代わりに、太陽のような温かさが宿っていた。

「健斗……」
 その名前を口にした私の気持ちは、変わらなかった。
 流星でも健斗でも彼は優しい瞳を持ち合わせていて、この優しい腕で私を包んでくれた。
 私はあなたが好き。この恋が叶わなくても、せめて思い出が作れるなら。

「あ、あのね」
「名前を明かしたのは、お前が初めてだからな。……そうゆうことだから」
 また背向けて、私と距離を取って歩いていく。今までとは違い、もう待ってくれない。

 プロ意識の高い彼が名前を明かしたということは、私をもう客とは見ないという意味なのだろう。
 きっと、次予約を彼は拒否する。
 だから、これで終わりだ。

「どうして?」
「本気で恋した男との一生の思い出を作れ。俺がお前の初めての相手なんて、勿体ねーんだよ」
「私は……。あなたが良いの……」
 喉が渇き、ヒリヒリとしてくる。それでも初めての想いを口にした。

「止めとけ。お前みたいなタイプは、本気で好きな男が出来た時に絶対後悔する」
「後悔なんかしないよ! ……大体、私初めてじゃないし」
 だから、今更後悔なんて……。

 ペチン。
 両頬に当たる、彼の大きな手の平。だけどその手は優しく、私の頬に添えたまま、真っ直ぐ見据えていた。
「自分を卑下するな。人生壊されたと悲観するのか、ノミに噛まれただけだと笑うかは自分次第。……だから、今の自分を大切にしろ。いつか本気の恋をする、その時の為にな」
 私の頬にしばらく置いていた手をそっと引っ込めた彼は、また先を歩いて行く。
 小山を降り、静まり返ったネオン街を抜け、辿り着いたのは駅舎。
 彼との一夜は終わった。