「……私ね、田舎出身なの。実家は茶農家で、周辺は茶畑と山に囲まれた、ど田舎。子供の頃からオシャレと写真が好きでね。高校生の時に両親が一眼レフのカメラを買ってくれて。茶畑や、自然の風景を友達と撮りに行ったり、写真を見せ合ったり。カメラについて勉強したり。楽しかったな……」
 あの頃は、誰かに笑われたり、人の視線を気にすることもなく、私が私らしくいられた頃だった。

「アパレル関係の仕事を夢みて、田舎から上京してきたの。だけどさ、都会住みの人と話が全然合わなくて……。服装とか、いつも行くショップとか、カフェの新作とか……。私の地元にはなくて。何の話をしているかと口篭ってしまって。そうしている間に、同じゼミの子はどんどんと離れて行って。同じ地方出身の子も、私を避けるようになったんだよね」
 ……私と一緒に居ると、同じ田舎者だと思われるもんね。

「あーあ、失敗しちゃったなーとか思ってたら大学の写真サークルのポスターを見かけてね、思い切って入会してみたの。……でも、飲み会とか他の大学との交流会? そんなのばかりで、名前だけの場所だった。思い切って新歓の飲み会の時に『活動をしたい』と言ってみたけど、……真面目すぎって笑われて。余計にサークルでも、ゼミでも。浮く存在になって……」
 初めて話す、都会での孤独。
 私は東京に来て、軽く雑談出来る相手も居なかった。バイト先でも、「一人だけ張り切っちゃって痛い」と陰口を言われていたのを知っている。

「だから。一人で撮影に行ってたの。……この山にもよく来ていた」
 無機質なものは、私を笑ったりしない。そんな思いで。


 パシャ。
 紫陽花に一眼レフを向けていた私の横で、シャッター音が重なった。
『ごめん、ごめん。真剣な顔って、綺麗だなと思って』
 スマホをかざしていたのは、二学年上のサークルでの先輩だった。
 さらりとした髪に、キリッとした目元。爽やかな笑顔は、勝手に写真を撮られたことさえも許してしまうぐらいの魅力に溢れていた。

 その瞬間、私の心は切り取られた。彼の瞳というレンズに、私は知らぬ間にピントを合わせられていた。


 大学二年の初夏、実家の茶畑が黄緑色に彩る頃。
 先輩に付き合おうと言われて、私はその手を取った。
 都会の街を知らない私を、先輩はあちこちに連れて行ってくれた。やっと私も都会の人に認められた。それが嬉しかった。
 付き合って一ヶ月。六月末は、二十歳の誕生日だった。

「知らない世界を教えてあげると、先輩にバーに連れて行ってもらったの。初めて足を踏み入れた世界、カクテルグラスというのにピンクでキラキラとしたお酒を注いでもらう。大人になったんだと嬉しくて飲んでみたけど、すごくキツくて。体が熱くて、頭がクラクラして、意識がぼんやりして、水が飲みたいと言った。……だけど先輩はまたお酒を勧めてきて、慣れるからって。すると、完全に意識がなくなって。先輩に肩を貸してもらって、歩いたのは薄っすら覚えている。それで意識が戻ったら。私、先輩のアパートに居て。そしたら先輩が……」
 気付けば全身の力が抜け、しゃがみ込んでいた。
 脳内を激しく脈打って。上手く息が出来なくて。目の奥に光が走って。塞がっていたはずのかさぶたが剥がれ、血がどくどくの流れてきたかのように、私の傷を広げていく。

「……助けて」
 しゃがみ込んだ私を覗き込む目は、何を考えているかが分からない。
 彼はお金でレンタルしただけね人。優しい言葉も、誰にでも言っているだけかもしれない。

「あなたには、分からないから!」
 人生で初めて声を荒らげた。胸が大きく波打ち、息が詰まった。

『また、バーに連れて行ってやるよ』
『今日、泊まりに来いよ』

 先輩から距離を取ったのに、彼は頻回に話しかけてきた。明らかな下心のある言葉ばかりを並べて。
 そう言われる度に私は身震いを起こし、心が冷えていった。
 何度も、あの日のことを言おうとした。だけど怖くて。彼の目が、彼の声が、彼の腕が。
 全てが、私を縛り付けてくる。
 この小山も来れなくなって。肩まであった髪を靡かないほどに切り落として、男女境目が曖昧な服を選んで。
 ファインダーを覗けば、彼の顔が浮かび、指先がガタガタと震えて。だから、写真すら諦めるしかなかった。

 子供の頃に抱いた夢を叶えよう。
 そんな思いで就職したけど、人が怖くて、何を考えているのか分からくて、信じられなくて。私は会社でも、居場所を作ることが出来なかった。

 忌まわしい過去は、私の腕を掴んで離さない。
 時折悪夢に魘されて、誕生日の季節が来るとと漠然とした不安が襲ってきて怖くなる。一人で生きていくと決めたのに、誰も信じないと決めたのに。私は誰かを求めている。

 先輩を好きにならなかったら。
 付き合わなかったら。
 お酒を断れたら。
 彼のアパートに行かなかったら。
 なんとか拒否出来たら。

 そんな後悔が、私の中で反芻する。

 二十歳の誕生日。私の人生は壊された。
 ……違う。私が勝手に壊しただけ。
 過去を引きずって人を遠ざけた、私が。