「そういえばさ、仕事って何してんだ?」
「え?」
 彼と対面した時。私は話を繋げようと、仕事の話をしようとした。だけど彼は人差し指を口元に当て、呟いた。
 仕事の話なんか、今どうでも良いだろうと。

 それをあえて、聞いてくるなんて……。この人は。

「アパレル関係……かな」
「ふーん。順調か?」
「うん、やりたかった仕事が出来ているしね。……だけど、馴染めていないんだよね。会社の人と……」
 思わず漏れていた本音。どうしてだろう。この人の前では、ずっと閉じていたはずの心が少しずつ開けていく。

「ある先輩に……、私だけ目を逸らされてて。あ、でも、小川さんは。いやその先輩は、私の指導係で。失敗を黙ってフォローしてくれたり、困っていた時に助けてくれたんだよね! だから、私が悪いだけだから……」
 声にした途端、ヒリつく喉の奥。あれだけ優しい人にも避けられる私は、どうしようない人間なのだと、身につまされていく。

「そいつ男か?」
「うん。三つ上」
「そんなの。お前が心にフィルター張っているからだろ? 別に嫌われてるとかじゃねーよ」

 心のフィルター?
 月明かりに照らされた先に目を向けると、僅か一メートル幅の川が静かに流れている。近付いて覗き込むと、そこには無表情の私が映っている。
 この小川に、過去の私を映し出したらどんな姿が見られるのだろう?

 誰に話しかけられても、私は無表情で返し。昼食を共に食べないかと同僚に話しかけられても、私は一人、外のベンチでおにぎりを食べている。
 そんな私が、馴染めるわけないじゃない。

 ぼんやりと小川を眺めていると、草花の方にチカチカと点滅する頼りない光。
「ホタル! こんな都会に」
「ああ。川が流れているからな。僅かだけど居るんだよ」
 目を細めて眺めているけどずっと同じ場所で点滅していて、一向に飛ぶ気配がないホタル。田舎のと一緒にしてはいけないけど、どこか弱々しく見えた。

「あの子、飛ばないね?」
「メスじゃねーの? メスはオスを待ってるから、飛ばないんだよ」
「へー、詳しいね?」
「ん? まあ。……好きなんだよ、蛍が」
 ホタルから私に向けられる視線。月明かりに照らされ、空に輝く星のような瞳は、真っ直ぐに私をとらえてくる。

 ドクン。
 高鳴った胸を抑えて、悟られないように小さく呼吸を繰り返す。
 違う。彼はホタルを好きだと言っただけで、私のことじゃないから!
 分かっていたはずなのに、次は胸が締め付けられて息苦しくなっていく。私は、誰かに好かれるような存在じゃないのに。

 ……私はずっと、嫌いな自分を変えてくれる誰かを待っていた。
 彼と出会ったのも、この人なら私を変えてくれると他力本願からだった。それなのに私は、彼を叩いて逃げた。
 変わる勇気がなく、自分の力で飛ぶ勇気がなかったから。

「……なんだか、あのホタル。私みたい」
 気付けば、そんな身勝手な言葉が溢れていた。

「は?」
「あ。いや、違うか……。だってこの子はそれが合理的で、習性としてこうしているだけなんだもんね」
 そうだよ。こんな私と、一緒にしてはいけない。
 私なんかと……。

 私の時間は二十歳で止まっている。この五年間、ずっと止まり続けている。
 夢に魘され、蛍が飛ぶ時期になるとあの日を思い出し苦しくなる。
 このまま人を避け、過去に囚われ、この季節が来る度に苦しむ人生を生きていくしかない。
 私は飛ぶことも。ううん、光ることすらも出来ない蛍。
 変わりたい。だから、この人と出会ったんだ。