第一話「終焉の名を呼ぶ者」

 それは、まるで夢から醒めたあとの静けさだった。
 軍の伝令が、「敵将、斃れたり」と口にした時、誰も歓声を上げなかった。兵たちは疲弊し、泥にまみれ、雨後の田に根を張ったままの雑草のように、じっとその報せを受けとめていた。
 今村秋一もそのひとりだった。
 風が止み、霧が晴れ、空が、ようやく本来の色を取り戻すかのような朝だった。だが、夜が明けたという事実だけが、彼の胸をひどく苛んだ。
 沖田静が、戻らない。
 それが現実として刻まれたのは、敵軍の撤退が正式に確認され、戦勝が認定されたその翌日、野戦本部の帳簿に、ひとつの名前が“保留”されたことによってだった。
 ──沖田静。
 彼の名の隣には、「生死不明」の四文字が記された。
「戦死」ではない。
 だが、「生存」とも書かれなかった。
 今村は、あの夜を思い出す。丘の向こうに沈んでいく背中。誰よりも強く、冷静で、そして……誰よりも深く、孤独だった。
「沖田さんが……帰ってこないとはな……」
 誰かがぽつりと呟いた声が、湿った空気に染み込んでいった。
 矢野は、何も言わなかった。医療テントの端に寝転び、空を見上げたまま、夜明けの淡い光を目に映していた。
 今村は知っていた。矢野が、何よりもその“沈黙”をもって沖田の不在を認めていることを。
 戦は終わった。敵将は死に、残兵も追撃され、最終報告は完了した。
 だが、そのどこにも、沖田静という男の姿はなかった。
 遺体は見つかっていない。誰も、その死を見ていない。
 ──なのに、誰もが、あれが「最期」だったと、わかっていた。
 それはきっと、予感ではなく、確信だった。名もなき戦場に咲いた、白き剣士の最期の剣閃。その終わりの美しさに、人は抗えない。
「お前さん……」
 今村は、剣の柄に手を添えながら、静かに呟いた。
「お前さん、本当に行ってしまったのかよ」
 雨が、止んでいた。風もなく、ただ鳥の声だけが遠くで響いていた。
 沖田静。
 その名は、戦の記録の中で、奇妙な空白をもって語られることになる。
「敵七十八名を斃した剣士、終戦の翌日、行方知れず」
 ──それが、記録に残った最後の言葉だった。
 だが、矢野にとっては、それが終わりではなかった。
 むしろ、それこそが始まりだったのだ。