年齢なんて関係ない。
晩婚化。第一子を産んだ年齢が高齢化。
そんなニュースをよく見るようになった。
たしかに私のまわりで結婚していない友人はいるし、SNSでもわらわらといる。
私も結婚予定はない。
それどころか彼氏もいたことない拗らせ女なわけでして。
そんな女がいわゆる晩婚を過ぎてしまう恐れを抱けば、どうなるのでしょう?
焦らなくていい。
独り身は増えてるし、大丈夫さ。
そんなことはわかってる。でもそれは綺麗事だ。
未来は独り身が当たり前じゃないかもしれない。
ニュースで「第一次ノーサンクスベビーブーム世代」と揶揄されるようになってるかも。
今、独り身を謳歌してる子はみんな趣味がある。
男がいなくても幸せな生き方をもっているから振り回されないんだ。
私みたいに会社と家の往復。
趣味もなく、ショート動画垂れ流しの人生を送れば、これから語る「ある終電の思い出」がいかに苦いものか、わかるでしょう――。
新卒入社した会社で、いつのまにか新人を名乗れなくなった頃。
いまだわからないことばかりだと根をあげたいが、みんな私を中堅認識しているからそれっぽい顔をしなくてはならない。
今さら転職となれど、役職があるわけでもないので給料が上がる見込みもない。
その活動さえ、気力が湧かぬ。
とりあえずどこの会社にも不足しがちな年齢であることが私の生存を許していた。
「改めまして、水島 郁斗です。営業一課として配属されます。よろしくお願いします」
気の進まない月曜日の、惰性で続く朝礼。
ボーッと後ろに立ち、『今日はあれこれ進めて、あれを終わらせて』と一日でやることを頭の中でリスト化し反芻する。
なんとなく聞き覚えのある声にハッと顔をあげると、時々見かけていた同い年の男性と目が合った。
ペコリと苦笑いで挨拶をされ、同じように返す。
そういえば取引先から引き抜いて、今日から同じ部署仲間になると上司が言っていた。
爽やかな笑顔にスマートな仕事ぶり。
彼はすぐに社内でおばちゃんたちの人気者になった。
引き抜かれたというのもあり、彼の仕事覚えは早いどころか次々と大きな仕事を任されている。
入ったばかりで有能すぎた彼は、逆におばちゃんたちの心配されてバランスよく仕事を手伝ってもらっていた。
正直、中堅とはいえ私は会社の人たちが苦手だ。
新卒で入った私よりも長い在籍年数のおばちゃんたちともうまくいっていない。
だからなんでも器用にこなし、いつのまにか私よりも仕事をこなしていく彼に嫉妬していた。
それくらいしか、私には生存理由がない。
仕事でも中途半端な立ち位置では、どこに生きればいいのか。
結婚に向かってそうそうに退職し、今では二人目を育てている友人。
仕事が楽しいとどんどん出世していくかと思えば、たくさんのコネクションを作ってフリーランスになる友人。
仕事は最低限、推し活に人生を注いで全国を飛び回る友人。
私には何もなかった。
せいぜい、残業して毎日疲れることが役割だ。
水島 郁斗が入社して半年。
彼は私よりも仕事量を抱えているのに、なぜ私は中途半端な量で残業をしているのか。
情けなさと虚しさに、バカみたいにエナジードリンクで頑張ってます感を出す。
なんとなく程度には力をくれるから、やめるにやめられないパワー注入だった。
とはいえ、終電は逃したくない。
帰れないのはさすがに捨て過ぎてると、会社を出てコンビニでノンアルコールビールを買う。
ノンアルコールとはいえ、エナジードリンクで一度ハイになった身だ。気分で何でも出来そうな浮き足立つ感覚に陥っていた。
『•*¨*•.¸¸♬︎•*¨*•.¸¸ドアが閉まります。ご注意ください』
「あー!! 待って!! 待っーー」
『プシュー、バタン……』
ガタンゴトン、ガタンゴトン……。
やらかした。
間に合うだろうと余裕をかまし、結局はダッシュして階段を降りきらないうちに電車は行ってしまった。
ヤケクソに残業して、終電を逃すとはバカみたいだ。
自分を憐れむわざとらしさに涙も出てこない。
改札から出て途方に暮れた私はスマートフォン片手に、今晩過ごす場所を検索していた。
「……あー。漫喫、どこかあったかなぁ?」
「高橋さん?」
ほんのり頬を赤らめた彼がいた。
なぜ、ここに彼がいるのだろうと首を傾げると、彼は困ったように後ろ首をかいた。
「佐藤さんと飲んでて」
私と違い、まっとうに社会人として上司と飲みニケーションをしていたようだ。
今は飲みニケーションをしたくない若者が増えているらしいが、やはりまだまだ酒の力は強い。
打ち解けたり、仕事の話をする上でお酒はちょっと背中を押してくれる。
私のように自暴自棄にも背中を押してくるので注意が必要ではあるが。
「あー、どうしよかっなぁ。佐藤さん、ちゃんと乗れたかな」
人のことを心配して、このいい子ちゃんめ。
八方美人か? いや、根からのしごできか?
「高橋さんはどうしますか?」
「えっ?」
「いや、電車逃しちゃったから。歩いて帰ります?」
「あー……いや、距離的にキツイかなぁ」
「ですよね。僕もさっきの逃したら乗り換えも無理だったんで、さすがに歩くのは厳しいです」
共感というものか?
自分も同じだと、親近感を湧かせようとしているのか。
そう簡単に心は開かない。
私は仕事抱えながらもソツなくこなし、皆さんのおかげですと綺麗に取り繕う彼が嫌いだ。
私だって一生懸命やってるのに。
少しでも担当案件で成果をあげようと必死なのに。
キャパが小さいというだけで人は冷たくなる。
頑張っても、それ以上に抱える人の前では惨めなもの。
ソツなくこなせない私は「頑張ってるんだろうけどねぇ……?」と、視線で語られて終わりなポジションだ。
終電を逃した理由だって、所詮は頑張りが空回りしての残業だ。
どうしてこうも上手くいかない。
――情熱がないからか?
ならばいっそ、何もかも手放したい。
趣味もない。男もいない。仕事も本当はどうだっていい。
人生の諦め理由に、仕事を忙しくする。
彼は結婚予定のある女性がいるのか?
一生懸命に見える姿はハッタリか。
何のために生きている?
「あのさ、始発まで飲まない?」
何を気をおかしくしたのやら。
私はヘッチャラな顔をして、めんどくさい先輩臭を漂わせて彼を誘っていた。
断ってくれればいいのに、彼はこんな時まで気の良い奴だ。
居酒屋に入って、個室でお通しをつまみながら運ばれてきたビールを一気に喉に注いだ。
「結構飲むんですね」
「んー……そういう日もあるよ。とりあえず水島くんと初の飲みにカンパーイ」
自分でも苦笑いもののハイテンション。
気落ちしていても明るく振る舞わないと、誰かが不審に見てくる。
やる気がないように見られては、モグラ叩きのように一斉に叩かれるのでちょっとは熱血アピール。――そうして潰れていった人は数知れず。
「いや、正直ふざけんなって思いますよ。俺、まだ入社して半年しか経ってないんですよ」
これは彼の本心か。
八方美人だと言い張る彼だが、こうした愚痴さえ私には八方美人に見える。
「佐藤さん、水島くんがいないとキツイでしょ。なんか常に『水島くーん、助けてー』と嘆いてるじゃん」
「中間管理職も大変ですよね」
「上の圧、キツそう」
「俺、役職には着きたくないですねー。佐藤さんみたいに上に気にいられてやっていくのはエグそうで」
嫌がるわりに彼の生き方は上司の佐藤に似ていた。
可愛がられた方が得だと本能で理解しており、調整するのもお手のものなのだろう。
彼は彼でよく残業をしているが、それが周りの同情をかう絶妙なバランスになっていた。
どこまで引き出せる?
いっそ酔ったフリをしてズバズバと探ろうか?
勢いも大事だと私はほくそ笑むと、次はハイボールを喉に流し込んで彼の薬指を指した。
「彼女いないの? 水島くんのまわりも結婚ラッシュじゃない?」
「あー……いないっすね。周りはなんてゆーか、結婚はしてくけど大体学生時代の相手とそのままって感じで」
やはりそんなものか、と同じ状況に鼻で笑った。
「高橋さんは? 女性に聞くのは失礼ですかね……。でもなんか聞いてみたいってか」
「あー、うん。いないよ。さすがに危機感はあるけど」
どうしろと言うのか。
マッチングアプリをするほどは必死になりたくない。
彼氏がほしいと口では言うが、必要かと問われれば言葉を濁したくなる。
周りか結婚してるから。
一人でも充実してるから。
ただ仕事を言い訳に時間を過ごす私は哀れなアラサーだ。
こんな大人になるつもりはなかったと感傷的になり、ジョッキを強く机に置いた。
中身が揺れて、お通しの上にかかってしまうも気にしていられなかった。
「……どうすればいいのよ」
「高橋さん……?」
「結婚もしない! それどころか彼氏いませんよ! でも別に推し活忙しいわけじゃないし! 推しってさぁ、何見てもハマんないっていうか!」
「ちょ、高橋さん落ちついて……」
「全然つまんない! 仕事もやだ! 頑張っても意味ないのに、頑張っちゃう自分も嫌だ!!」
他人に期待する自分。
自覚すれば己の弱さに打ちひしがれそうだ。
前を向いて歩きたくても、前を歩く理由がないから私は機械のように仕事をこなしていた。
代替えのきく、私でなくてもいい私。
代わりのない生き物になりたいのならば、誰かの特別になるしかない。誰が私を特別にしてくれる?
世の中は自分で特別にするんだよと、ハートフルな言葉で刺してくる。
それが出来ないから私は依存する。
たいして欲しくもないものを得る彼に、嫉妬して狂っていた。
「……水島くんさ、彼女いないなら私と付き合おーよ」
「えっ?」
やけを起こす私は酔っているのか。
心の奥底にあった本音を口にしているのか。
自覚症状のないまま、恥知らずになっていく。
「水島くん、かっこいいし。年齢も一緒だし。なんかわかることも多いしさぁ」
「本気で言ってます?」
彼の表情が険しくなる。
あ、マズイと思った頃にはすでに手遅れで。
彼は机を叩くも、悔しそうに眉をひそめて私のおでこに手刀を当ててきた。
「いたっ! いたい、何を!?」
「あんた全然俺のこと好きじゃないだろ!」
「は、はァ!?」
「バカにしないでくださいよ! それくらいわかります!」
激怒する彼に触発され、私はカッとなって立ちあがる。
「バカにしてるのはどっちよ!? 私なんかとは付き合えない……だったら普通に断りなさいよ!」
「あーはいはい、ごめんなさい。若干引いてマース。付き合えません」
「うっわ、口ワル。最悪」
「ほら、全然好きじゃない」
ヒュっと喉の奥に息が引っ込んだ。
呼吸が止まって数秒、頭を横殴りにされたみたいな痛みに椅子に腰かけた。
とたんに視界が水の膜に覆われる。
「……ってるよ」
ポロリと目尻からこぼれ落ちた雫は止まらない。
慌てて紙ナプキンをとると、アイシャドウが溶けるのも気にせずに拭っていく。
わかっていた。私は彼を好きじゃない。
ただの同僚で、私より仕事が出来るだけのは人。
ないものねだりで嫉妬してしまうだけの、みんなに認めてもらえるスペックの持ち主だ。
私が欲しかったのは彼ではなく、有能な彼のスペックだった。
仕事の出来る彼と、同じ悩みを共有して、恋愛に発展して寿退社。
まったく夢見たこともないくせに、彼とのロマンスを作っていた。
周りに恥じることのない高スペック男子。
私は彼をアクセサリーにしようとしていたと気づき、生き恥にわんわんと泣き出した。
「頑張っても頑張っても、誰も認めてくれない! それどころか入社半年のアンタに全部持ってかれたわよ! 私の居場所なくなったじゃん!」
「……頑張ってたのは知ってますけど。一人になんでも集中する会社ってのもどうかと思いますよ」
「――わかってる! でもそれがないと私は何のために生きているか……! 頑張ってるのかわかんなくなる……」
誰よりも多く電話をとればおばちゃんたちの負担も減る。
そしたらコミュニケーションも上手くいくかも。
同期や後輩に最低限の対応もしてもらえず、初期対応から回されるクレームの電話。
取引先の人がNOを言えばたちまち崩れる業務内容。
必死に繋いでいるから問題はないが、時々私は自分をすり減らしているような気分になる。
まったく思ってないわけではないけれど、誇張していくしかないお世辞のような会話。
自分でも笑えてくる演技力を、相手は見透かしているのか浮かれているのか。
わからないことがあればわかる人に訊ねる。
初期対応が自分でも出来るように。
自分がそれに振り回されるのを嫌だと思ってるから、同じことはしない。
……だけどそうしていたら、私のキャパオーバー。
だから残業に繋がっている。
効率よく出来ていない。
自分で自分で……と、誰にも嫌われない方法で首を絞めていた。
「ずるい。私の欲しいもの、全部……」
「ウソ。全然欲しくねーだろ」
他人に言われないと、自分の中に落とし込めないことなんていくらでもある。
頭の中ではわかっていても、それを認めたら崖っぷちに立たされることを知っているから。
耳を塞ぐしかない。
盲目になれ。
努力は諦めなかった先に結果となる。
――それは、見たくないものを振り払って成し遂げた場合、努力になるのだろうか?
自分にとって都合のいいことだけを取り入れたら、ちゃんと欲しいものだけが残るのだろうか?
問いにしなくたってわかってるくせに、私は問いにしないと前に進めない。
励ます言葉、前へ進むための言葉。
それはある時、可視化して腑に落とすために存在する――。
「わかるよ。自分でやれば誰にも文句を言われない。疲れた色をみせつつ笑えば同情をかえる。……だけどミスしたら周りの不満は大きくなってこっちに返ってくるんだ」
「知ってる」
「常に崖っぷちですよね。俺もそんなものなので、まぁ後は登るしかないかぁ〜と、意地で上を見てます」
人は涙を耐えるとき、天を仰ぐ。
底を見るのが怖いから。
高い高い場所を見て、私はまだ大丈夫だと鼓舞するために。
「佐藤さんには恩があるので、返すまではやりきりますよ。でも恩のない場所になったらまぁ……ね」
思い返す。
私は今まで救われたことがあるか?
生きていく手段は得られた。
その点は感謝すべきことだろう。
でもそれしか、私は生きられないの?
何もない私は、結婚も趣味も、羨むばかりに生きるしかないのか。
皮肉にも、私は彼に恩を作ってしまった。
嫉妬した相手は、私にとって本当に羨むべきものを持っていないのだと辛辣を混ぜて刺してきた。
私が欲しいものは、彼も友人たちも誰も持っていない。
それを言語化できるほど、私は私のために生きていない。
「俺、ここで高橋さんを慰めることも出来ましたよ? 頑張ってますって。……そうやって可哀想に扱われて、嬉しいですか?」
「……嬉しくない」
「……まぁ、想像はしてましたが高橋さんの本音はわかりました。……試しに付き合ってみます?」
「やめて。私がみじめになる」
「だろうね」
バカみたいだ。
きっと明日になればまた昨日の私みたいになる。
酔った時だけわかった気になって、またしかめっ面に生きるんだ。
それは軽い気持ちでも付き合えないわけだ。
客観視すればとてもとても重い。
八方美人な彼にはめんどくさいに尽きる生き物だった。
「「ははっ……!」」
笑えて泣けてきた。
彼の前で取り繕っても意味はない。
女を前面に出したら引かれるし、ヘラヘラしても良いことはない。
無様な私が露呈してしまったから、とことん引かれてもいいやと思えるくらいに気は楽になった。
私と彼は冷めた焼き鳥をかじり、三分の一になったグラスの中身を喉に通す。
フレッシュさをなくしたぬるめの薄味。
子どものときは、焼き鳥はタレ派だったとくだらないことを思い出した。
気づけば好みは変わる。
私が気づいてないだけで、新しい興味関心を持っているかもしれない。
たとえば、八方美人が生きやすい職場とそうでない会社。
本音でガチンコ対決!! みたいな会社もあるだろうし、リモート主義でフィルター必須な会社もあるだろう。
私が知らない道はたくさんある。
彼は恩を受けたことを基準に進んでみたら、崖を横移動しただけだったと気づく。
不器用なのは、それで「ごめんなさい、さようなら」が出来ないところ。
良い面しかみせないのは、結局嫌われたくない人間本能。
会社に難あれど、恩を受けた人には何かを返したい義理堅い人間だっただけだ。
自分本位だった私と、大きく違うのはそこだった。
私は彼に恩をもらったけど、今は何も返せない。
視野を広げてみたら、愚痴を聞く程度は出来るようになるかもしれない。
いずれにせよめんどくさいが、面倒くさくても私は彼に恩を残したくないのだ。
他人に嫌われることより、負けた気になるのが嫌なのかもしれない。
なのに敗北者の顔をしていれば、それは気分も良くない。
たしかに私は私のやり方で、勝ちを取りたかったのだから。
「転職……ってどう?」
「あー……俺は失敗してますから参考になりませんよ」
「じゃあ水島くんはしばらく頑張るってこと?」
「佐藤さんの手前もありますから、とりあえず二年くらいは」
「……いい子ちゃんぶってるね」
「そんなものです。俺、口悪いですから」
上には上がいた。
でもやっぱり負けたくないから、まずは同じ目線へ。
勝ったらその時、ほくそ笑むのもありだろう。
……そう、今は上と認める。それが私の精一杯だから。
「今は同僚ですが、転職したら飲み友達にはなれるかもしれませんね」
「なにそれ、口説いてるの?」
「そう口にするあたり、引きますわ」
「ムカつくわー。やっぱない」
これが恋愛になるのか。
友情エンドなのか。
はたまたライバルとしてスポ根のはじまりなのか。
終電を逃したささいな出来事が、未来を変えるのか。
それもこれからの私次第ってね。
「ねぇ、フライドポテト食べたい」
「いいですね。ポテトは定番」
「なかなかさぁ、会社の人にポテト食べたいって言いにくいんだよねぇ。子どもっぽいかなとか考えちゃう」
「ホッケとか頼むと上の人って喜びますよね」
「わかるー。あえておっさん女子になることもあるからね」
今晩は朝まで飲もうか。
エナジードリンクからのお酒は危険。
私の頭がぶっ飛んだからこその、終電乗り遅れスタートだ。
二度とやらねぇと、彼とポテトをつまみながら勝気に思うのだった。
「了」
晩婚化。第一子を産んだ年齢が高齢化。
そんなニュースをよく見るようになった。
たしかに私のまわりで結婚していない友人はいるし、SNSでもわらわらといる。
私も結婚予定はない。
それどころか彼氏もいたことない拗らせ女なわけでして。
そんな女がいわゆる晩婚を過ぎてしまう恐れを抱けば、どうなるのでしょう?
焦らなくていい。
独り身は増えてるし、大丈夫さ。
そんなことはわかってる。でもそれは綺麗事だ。
未来は独り身が当たり前じゃないかもしれない。
ニュースで「第一次ノーサンクスベビーブーム世代」と揶揄されるようになってるかも。
今、独り身を謳歌してる子はみんな趣味がある。
男がいなくても幸せな生き方をもっているから振り回されないんだ。
私みたいに会社と家の往復。
趣味もなく、ショート動画垂れ流しの人生を送れば、これから語る「ある終電の思い出」がいかに苦いものか、わかるでしょう――。
新卒入社した会社で、いつのまにか新人を名乗れなくなった頃。
いまだわからないことばかりだと根をあげたいが、みんな私を中堅認識しているからそれっぽい顔をしなくてはならない。
今さら転職となれど、役職があるわけでもないので給料が上がる見込みもない。
その活動さえ、気力が湧かぬ。
とりあえずどこの会社にも不足しがちな年齢であることが私の生存を許していた。
「改めまして、水島 郁斗です。営業一課として配属されます。よろしくお願いします」
気の進まない月曜日の、惰性で続く朝礼。
ボーッと後ろに立ち、『今日はあれこれ進めて、あれを終わらせて』と一日でやることを頭の中でリスト化し反芻する。
なんとなく聞き覚えのある声にハッと顔をあげると、時々見かけていた同い年の男性と目が合った。
ペコリと苦笑いで挨拶をされ、同じように返す。
そういえば取引先から引き抜いて、今日から同じ部署仲間になると上司が言っていた。
爽やかな笑顔にスマートな仕事ぶり。
彼はすぐに社内でおばちゃんたちの人気者になった。
引き抜かれたというのもあり、彼の仕事覚えは早いどころか次々と大きな仕事を任されている。
入ったばかりで有能すぎた彼は、逆におばちゃんたちの心配されてバランスよく仕事を手伝ってもらっていた。
正直、中堅とはいえ私は会社の人たちが苦手だ。
新卒で入った私よりも長い在籍年数のおばちゃんたちともうまくいっていない。
だからなんでも器用にこなし、いつのまにか私よりも仕事をこなしていく彼に嫉妬していた。
それくらいしか、私には生存理由がない。
仕事でも中途半端な立ち位置では、どこに生きればいいのか。
結婚に向かってそうそうに退職し、今では二人目を育てている友人。
仕事が楽しいとどんどん出世していくかと思えば、たくさんのコネクションを作ってフリーランスになる友人。
仕事は最低限、推し活に人生を注いで全国を飛び回る友人。
私には何もなかった。
せいぜい、残業して毎日疲れることが役割だ。
水島 郁斗が入社して半年。
彼は私よりも仕事量を抱えているのに、なぜ私は中途半端な量で残業をしているのか。
情けなさと虚しさに、バカみたいにエナジードリンクで頑張ってます感を出す。
なんとなく程度には力をくれるから、やめるにやめられないパワー注入だった。
とはいえ、終電は逃したくない。
帰れないのはさすがに捨て過ぎてると、会社を出てコンビニでノンアルコールビールを買う。
ノンアルコールとはいえ、エナジードリンクで一度ハイになった身だ。気分で何でも出来そうな浮き足立つ感覚に陥っていた。
『•*¨*•.¸¸♬︎•*¨*•.¸¸ドアが閉まります。ご注意ください』
「あー!! 待って!! 待っーー」
『プシュー、バタン……』
ガタンゴトン、ガタンゴトン……。
やらかした。
間に合うだろうと余裕をかまし、結局はダッシュして階段を降りきらないうちに電車は行ってしまった。
ヤケクソに残業して、終電を逃すとはバカみたいだ。
自分を憐れむわざとらしさに涙も出てこない。
改札から出て途方に暮れた私はスマートフォン片手に、今晩過ごす場所を検索していた。
「……あー。漫喫、どこかあったかなぁ?」
「高橋さん?」
ほんのり頬を赤らめた彼がいた。
なぜ、ここに彼がいるのだろうと首を傾げると、彼は困ったように後ろ首をかいた。
「佐藤さんと飲んでて」
私と違い、まっとうに社会人として上司と飲みニケーションをしていたようだ。
今は飲みニケーションをしたくない若者が増えているらしいが、やはりまだまだ酒の力は強い。
打ち解けたり、仕事の話をする上でお酒はちょっと背中を押してくれる。
私のように自暴自棄にも背中を押してくるので注意が必要ではあるが。
「あー、どうしよかっなぁ。佐藤さん、ちゃんと乗れたかな」
人のことを心配して、このいい子ちゃんめ。
八方美人か? いや、根からのしごできか?
「高橋さんはどうしますか?」
「えっ?」
「いや、電車逃しちゃったから。歩いて帰ります?」
「あー……いや、距離的にキツイかなぁ」
「ですよね。僕もさっきの逃したら乗り換えも無理だったんで、さすがに歩くのは厳しいです」
共感というものか?
自分も同じだと、親近感を湧かせようとしているのか。
そう簡単に心は開かない。
私は仕事抱えながらもソツなくこなし、皆さんのおかげですと綺麗に取り繕う彼が嫌いだ。
私だって一生懸命やってるのに。
少しでも担当案件で成果をあげようと必死なのに。
キャパが小さいというだけで人は冷たくなる。
頑張っても、それ以上に抱える人の前では惨めなもの。
ソツなくこなせない私は「頑張ってるんだろうけどねぇ……?」と、視線で語られて終わりなポジションだ。
終電を逃した理由だって、所詮は頑張りが空回りしての残業だ。
どうしてこうも上手くいかない。
――情熱がないからか?
ならばいっそ、何もかも手放したい。
趣味もない。男もいない。仕事も本当はどうだっていい。
人生の諦め理由に、仕事を忙しくする。
彼は結婚予定のある女性がいるのか?
一生懸命に見える姿はハッタリか。
何のために生きている?
「あのさ、始発まで飲まない?」
何を気をおかしくしたのやら。
私はヘッチャラな顔をして、めんどくさい先輩臭を漂わせて彼を誘っていた。
断ってくれればいいのに、彼はこんな時まで気の良い奴だ。
居酒屋に入って、個室でお通しをつまみながら運ばれてきたビールを一気に喉に注いだ。
「結構飲むんですね」
「んー……そういう日もあるよ。とりあえず水島くんと初の飲みにカンパーイ」
自分でも苦笑いもののハイテンション。
気落ちしていても明るく振る舞わないと、誰かが不審に見てくる。
やる気がないように見られては、モグラ叩きのように一斉に叩かれるのでちょっとは熱血アピール。――そうして潰れていった人は数知れず。
「いや、正直ふざけんなって思いますよ。俺、まだ入社して半年しか経ってないんですよ」
これは彼の本心か。
八方美人だと言い張る彼だが、こうした愚痴さえ私には八方美人に見える。
「佐藤さん、水島くんがいないとキツイでしょ。なんか常に『水島くーん、助けてー』と嘆いてるじゃん」
「中間管理職も大変ですよね」
「上の圧、キツそう」
「俺、役職には着きたくないですねー。佐藤さんみたいに上に気にいられてやっていくのはエグそうで」
嫌がるわりに彼の生き方は上司の佐藤に似ていた。
可愛がられた方が得だと本能で理解しており、調整するのもお手のものなのだろう。
彼は彼でよく残業をしているが、それが周りの同情をかう絶妙なバランスになっていた。
どこまで引き出せる?
いっそ酔ったフリをしてズバズバと探ろうか?
勢いも大事だと私はほくそ笑むと、次はハイボールを喉に流し込んで彼の薬指を指した。
「彼女いないの? 水島くんのまわりも結婚ラッシュじゃない?」
「あー……いないっすね。周りはなんてゆーか、結婚はしてくけど大体学生時代の相手とそのままって感じで」
やはりそんなものか、と同じ状況に鼻で笑った。
「高橋さんは? 女性に聞くのは失礼ですかね……。でもなんか聞いてみたいってか」
「あー、うん。いないよ。さすがに危機感はあるけど」
どうしろと言うのか。
マッチングアプリをするほどは必死になりたくない。
彼氏がほしいと口では言うが、必要かと問われれば言葉を濁したくなる。
周りか結婚してるから。
一人でも充実してるから。
ただ仕事を言い訳に時間を過ごす私は哀れなアラサーだ。
こんな大人になるつもりはなかったと感傷的になり、ジョッキを強く机に置いた。
中身が揺れて、お通しの上にかかってしまうも気にしていられなかった。
「……どうすればいいのよ」
「高橋さん……?」
「結婚もしない! それどころか彼氏いませんよ! でも別に推し活忙しいわけじゃないし! 推しってさぁ、何見てもハマんないっていうか!」
「ちょ、高橋さん落ちついて……」
「全然つまんない! 仕事もやだ! 頑張っても意味ないのに、頑張っちゃう自分も嫌だ!!」
他人に期待する自分。
自覚すれば己の弱さに打ちひしがれそうだ。
前を向いて歩きたくても、前を歩く理由がないから私は機械のように仕事をこなしていた。
代替えのきく、私でなくてもいい私。
代わりのない生き物になりたいのならば、誰かの特別になるしかない。誰が私を特別にしてくれる?
世の中は自分で特別にするんだよと、ハートフルな言葉で刺してくる。
それが出来ないから私は依存する。
たいして欲しくもないものを得る彼に、嫉妬して狂っていた。
「……水島くんさ、彼女いないなら私と付き合おーよ」
「えっ?」
やけを起こす私は酔っているのか。
心の奥底にあった本音を口にしているのか。
自覚症状のないまま、恥知らずになっていく。
「水島くん、かっこいいし。年齢も一緒だし。なんかわかることも多いしさぁ」
「本気で言ってます?」
彼の表情が険しくなる。
あ、マズイと思った頃にはすでに手遅れで。
彼は机を叩くも、悔しそうに眉をひそめて私のおでこに手刀を当ててきた。
「いたっ! いたい、何を!?」
「あんた全然俺のこと好きじゃないだろ!」
「は、はァ!?」
「バカにしないでくださいよ! それくらいわかります!」
激怒する彼に触発され、私はカッとなって立ちあがる。
「バカにしてるのはどっちよ!? 私なんかとは付き合えない……だったら普通に断りなさいよ!」
「あーはいはい、ごめんなさい。若干引いてマース。付き合えません」
「うっわ、口ワル。最悪」
「ほら、全然好きじゃない」
ヒュっと喉の奥に息が引っ込んだ。
呼吸が止まって数秒、頭を横殴りにされたみたいな痛みに椅子に腰かけた。
とたんに視界が水の膜に覆われる。
「……ってるよ」
ポロリと目尻からこぼれ落ちた雫は止まらない。
慌てて紙ナプキンをとると、アイシャドウが溶けるのも気にせずに拭っていく。
わかっていた。私は彼を好きじゃない。
ただの同僚で、私より仕事が出来るだけのは人。
ないものねだりで嫉妬してしまうだけの、みんなに認めてもらえるスペックの持ち主だ。
私が欲しかったのは彼ではなく、有能な彼のスペックだった。
仕事の出来る彼と、同じ悩みを共有して、恋愛に発展して寿退社。
まったく夢見たこともないくせに、彼とのロマンスを作っていた。
周りに恥じることのない高スペック男子。
私は彼をアクセサリーにしようとしていたと気づき、生き恥にわんわんと泣き出した。
「頑張っても頑張っても、誰も認めてくれない! それどころか入社半年のアンタに全部持ってかれたわよ! 私の居場所なくなったじゃん!」
「……頑張ってたのは知ってますけど。一人になんでも集中する会社ってのもどうかと思いますよ」
「――わかってる! でもそれがないと私は何のために生きているか……! 頑張ってるのかわかんなくなる……」
誰よりも多く電話をとればおばちゃんたちの負担も減る。
そしたらコミュニケーションも上手くいくかも。
同期や後輩に最低限の対応もしてもらえず、初期対応から回されるクレームの電話。
取引先の人がNOを言えばたちまち崩れる業務内容。
必死に繋いでいるから問題はないが、時々私は自分をすり減らしているような気分になる。
まったく思ってないわけではないけれど、誇張していくしかないお世辞のような会話。
自分でも笑えてくる演技力を、相手は見透かしているのか浮かれているのか。
わからないことがあればわかる人に訊ねる。
初期対応が自分でも出来るように。
自分がそれに振り回されるのを嫌だと思ってるから、同じことはしない。
……だけどそうしていたら、私のキャパオーバー。
だから残業に繋がっている。
効率よく出来ていない。
自分で自分で……と、誰にも嫌われない方法で首を絞めていた。
「ずるい。私の欲しいもの、全部……」
「ウソ。全然欲しくねーだろ」
他人に言われないと、自分の中に落とし込めないことなんていくらでもある。
頭の中ではわかっていても、それを認めたら崖っぷちに立たされることを知っているから。
耳を塞ぐしかない。
盲目になれ。
努力は諦めなかった先に結果となる。
――それは、見たくないものを振り払って成し遂げた場合、努力になるのだろうか?
自分にとって都合のいいことだけを取り入れたら、ちゃんと欲しいものだけが残るのだろうか?
問いにしなくたってわかってるくせに、私は問いにしないと前に進めない。
励ます言葉、前へ進むための言葉。
それはある時、可視化して腑に落とすために存在する――。
「わかるよ。自分でやれば誰にも文句を言われない。疲れた色をみせつつ笑えば同情をかえる。……だけどミスしたら周りの不満は大きくなってこっちに返ってくるんだ」
「知ってる」
「常に崖っぷちですよね。俺もそんなものなので、まぁ後は登るしかないかぁ〜と、意地で上を見てます」
人は涙を耐えるとき、天を仰ぐ。
底を見るのが怖いから。
高い高い場所を見て、私はまだ大丈夫だと鼓舞するために。
「佐藤さんには恩があるので、返すまではやりきりますよ。でも恩のない場所になったらまぁ……ね」
思い返す。
私は今まで救われたことがあるか?
生きていく手段は得られた。
その点は感謝すべきことだろう。
でもそれしか、私は生きられないの?
何もない私は、結婚も趣味も、羨むばかりに生きるしかないのか。
皮肉にも、私は彼に恩を作ってしまった。
嫉妬した相手は、私にとって本当に羨むべきものを持っていないのだと辛辣を混ぜて刺してきた。
私が欲しいものは、彼も友人たちも誰も持っていない。
それを言語化できるほど、私は私のために生きていない。
「俺、ここで高橋さんを慰めることも出来ましたよ? 頑張ってますって。……そうやって可哀想に扱われて、嬉しいですか?」
「……嬉しくない」
「……まぁ、想像はしてましたが高橋さんの本音はわかりました。……試しに付き合ってみます?」
「やめて。私がみじめになる」
「だろうね」
バカみたいだ。
きっと明日になればまた昨日の私みたいになる。
酔った時だけわかった気になって、またしかめっ面に生きるんだ。
それは軽い気持ちでも付き合えないわけだ。
客観視すればとてもとても重い。
八方美人な彼にはめんどくさいに尽きる生き物だった。
「「ははっ……!」」
笑えて泣けてきた。
彼の前で取り繕っても意味はない。
女を前面に出したら引かれるし、ヘラヘラしても良いことはない。
無様な私が露呈してしまったから、とことん引かれてもいいやと思えるくらいに気は楽になった。
私と彼は冷めた焼き鳥をかじり、三分の一になったグラスの中身を喉に通す。
フレッシュさをなくしたぬるめの薄味。
子どものときは、焼き鳥はタレ派だったとくだらないことを思い出した。
気づけば好みは変わる。
私が気づいてないだけで、新しい興味関心を持っているかもしれない。
たとえば、八方美人が生きやすい職場とそうでない会社。
本音でガチンコ対決!! みたいな会社もあるだろうし、リモート主義でフィルター必須な会社もあるだろう。
私が知らない道はたくさんある。
彼は恩を受けたことを基準に進んでみたら、崖を横移動しただけだったと気づく。
不器用なのは、それで「ごめんなさい、さようなら」が出来ないところ。
良い面しかみせないのは、結局嫌われたくない人間本能。
会社に難あれど、恩を受けた人には何かを返したい義理堅い人間だっただけだ。
自分本位だった私と、大きく違うのはそこだった。
私は彼に恩をもらったけど、今は何も返せない。
視野を広げてみたら、愚痴を聞く程度は出来るようになるかもしれない。
いずれにせよめんどくさいが、面倒くさくても私は彼に恩を残したくないのだ。
他人に嫌われることより、負けた気になるのが嫌なのかもしれない。
なのに敗北者の顔をしていれば、それは気分も良くない。
たしかに私は私のやり方で、勝ちを取りたかったのだから。
「転職……ってどう?」
「あー……俺は失敗してますから参考になりませんよ」
「じゃあ水島くんはしばらく頑張るってこと?」
「佐藤さんの手前もありますから、とりあえず二年くらいは」
「……いい子ちゃんぶってるね」
「そんなものです。俺、口悪いですから」
上には上がいた。
でもやっぱり負けたくないから、まずは同じ目線へ。
勝ったらその時、ほくそ笑むのもありだろう。
……そう、今は上と認める。それが私の精一杯だから。
「今は同僚ですが、転職したら飲み友達にはなれるかもしれませんね」
「なにそれ、口説いてるの?」
「そう口にするあたり、引きますわ」
「ムカつくわー。やっぱない」
これが恋愛になるのか。
友情エンドなのか。
はたまたライバルとしてスポ根のはじまりなのか。
終電を逃したささいな出来事が、未来を変えるのか。
それもこれからの私次第ってね。
「ねぇ、フライドポテト食べたい」
「いいですね。ポテトは定番」
「なかなかさぁ、会社の人にポテト食べたいって言いにくいんだよねぇ。子どもっぽいかなとか考えちゃう」
「ホッケとか頼むと上の人って喜びますよね」
「わかるー。あえておっさん女子になることもあるからね」
今晩は朝まで飲もうか。
エナジードリンクからのお酒は危険。
私の頭がぶっ飛んだからこその、終電乗り遅れスタートだ。
二度とやらねぇと、彼とポテトをつまみながら勝気に思うのだった。
「了」



