大和の国が栄華を極めていた時代。
 きらびやかな都から離れた山奥に、鬼の一族である天ヶ谷(あまがや)家の屋敷があった。

 残忍で強い鬼の力を持つ天ヶ谷家は、他の鬼からも恐れられている。
 鬼を力の中でも珍しい千里眼や瞬間移動を使い、国中の人間を惑わせ、魂を食らうのだ。

 鬼からも人からも恐れられる一族。それが天ヶ谷家。
 ――そのはずだった。


◇◇◇

「椿! いつまでみっともない姿を晒しているつもりなの?」

 パチン。
 乾いた音が広い部屋に鳴り響く。椿は痛みで目を開けると、自分が横たわっていることに気づいた。
 どうやら気絶していたようだ。
 痛む頬に手を当てるとぬるりとした感触が指を伝う。叩かれた時に爪で割かれたのかもしれない。

 ぼんやりとした頭で声の方を見上げると、母が立っていた。

「人を喰わぬから、こんな優しい修行で気を失うのよ。はぁ……次期当主がこんな醜態をさらすようでは、我が家はお終いね」

 椿の母は美しい顔を般若のように歪めて椿を見下ろしている。

「申し訳ありません……」

 小さく掠れた椿の声は、母の目をますます吊り上がらせた。

「そんな言葉が聞きたいのではないわ。貴女には鬼たちをまとめる威厳が必要なんですから。私が憎ければ、私を殺すくらいの気概を見せなさい!」


 天ヶ谷家の次期当主は人を喰らわぬ異端。
 それが他の鬼に知られれば、我が家の権威は地に落ちるだろう。椿にはそれがよく分かっていた。

 けれど、どうしても人を喰らうことが出来なかったのだ。

(だって……私達と同じ姿をして、同じ言葉を話すのに。角がないだけで喰らってしまうだなんて……出来ないっ!)


 鬼は通常、齢十五を超えると角が生えてくる。それが人を喰らうことが出来る証でもあった。
 椿にも三年前、白くて美しい角が生えた。ちょうど十五の誕生日の時だった。

 その時椿は初めて人を見たのだ。
 書物でしか知り得なかった人の姿を見た時、椿の心臓は止まりそうだった。

(本で見た家畜のような姿と全然違う。人は私たちと同じ姿をしているの? ……それなのに殺して喰らうの?)

 母が最初に喰らえと命じた人は、椿と同い年くらいの少女だったのだ。
 千里眼で見た彼女は、よく笑い、家族思いの可愛らしい子だった。

(でも喰らわなければ。生きるために)

 罪悪感や嫌悪感を振り切って彼女の枕元に降り立った時、椿の心臓は壊れてしまいそうなほど高鳴っていた。

 なんて美味しそうなの……早く喰らいたい。
 嫌! この子、生きているのよ。喰らっては駄目!

 相反する二つの気持ちを抑えきれず、椿は逃げ帰ってしまったのだ。
 家に帰った椿を見て、母は心底落胆した表情をしていた。

 躾には厳しい母だったが、それ以降、さらに厳しくなっていった。

「半端な同情など捨てなさい。持っていても全く意味のない感情よ」

 けれど、どんなに厳しく叱られても、どんなに苦痛を与えれらても、椿は意識を変えることが出来なかった。
 餓死寸前まで我慢して、亡くなる直前の老人を見つけては、命をいただくことで何とか生き延びてきた。

 死期の近い人を喰らっても、身体は大して満たされない。
 椿は次第にやせ細り、鬼の力すらも失いかけていた。

(誰かの寿命を奪って生きるくらいなら、いっそ死んでしまいたい)

 椿は、早く自分の生が尽きることを祈っていた。