「椿……」
振り返ると、神妙な顔をした刹那様が椿を見つめていた。
「刹那様」
椿は刹那の元まで歩いていくと、その場で跪いた。
「どうか……どうか、その剣で私を祓ってください」
鬼と鬼祓い。
もとより一緒に暮らすなど不可能だったのだ。
(知られずに逝くはずだったのに……でも、せめて貴方の手で……)
白百合は目を閉じて最期の時を待った。
けれども、いっこうに最期の時は訪れなかった。
「顔を上げてくれ、椿」
柔らかい声にそっと顔を上げると、困ったような、安心しているような、不思議な表情の刹那が椿を見つめていた。
「やっと見つけたのに、祓うわけないだろう?」
「でも……」
「知っているか? その昔、鬼は亡くなった人々を極楽へと案内する役割だった」
しゃがみ込んで視線を合わせた刹那は、椿のよく知っている言葉を口にした。
驚いて目を見開くと、刹那は目を細めて微笑んだ。
「どうしてそれを……? 以前お会いした方が同じことを言っていました」
そう言うと、刹那はこくんと頷いた。
「それは俺の師匠の言葉だ。椿があの人を極楽へ送ったのだろう? 俺はそれを見ていた。……師匠の最期の願いを叶えてくれてありがとう」
頭を下げられて椿は混乱した。
(人を喰らうところを見られていた? なぜ止めなかったの!?)
「な、な、なぜ……ど、どうして……」
「椿は師匠の恩人だ。道端で椿を助けた時から、鬼だと分かっていた。黙っていてすまない」
次々と明るみになる真実に、椿は言葉を失った。
口をパクパクとさせる椿をみて、刹那は続けた。
「あの日、俺は師匠の看病のためにあの寺にいたんだ。朝のおつとめから戻らない師匠を見に行ったら、ちょうど椿と話しているのが聞こえたんだ。師匠は優秀な鬼祓いだったけれど、鬼の役割も知っている人だった。『鬼祓いとは、迷える鬼を元の世に戻す仕事』だって、いつもそう言っていた」
「でも……じゃ、じゃあ、その場で祓ってくだされば良かったのに」
椿こそ、まさに「迷える鬼」なのではないか。鬼の力が使えなかったのだから。
だが、どうやら違うらしい。
「椿は他の鬼とは違う。それは見ればすぐに分かった。俺たちには祓うべき対象が分かるんだ。……それに、師匠が手を出さない相手ってことは、どうせ俺が立ち向かっても勝てない」
「そんなまさかっ!」
「現に、たくさん人を喰らっていた妹より強かっただろう?」
刹那の言葉に口ごもる。
(あれは……自分でもどうやったのか分からないのに……)
黙り込んでいると、刹那が椿の手を取った。
「椿を助けたのは、師匠の恩返しがしたかったからなんだ。街の人を喰らう鬼が椿の妹だったのは予想外だった。結果的に椿を追い詰めてしまったな。すまない」
再び頭を下げられて、椿は慌てて首を振った。
「刹那様は悪くありませんっ! 悪いのは、あの子と私なのですから……」
「椿は悪くない。誰も喰らっていないのだから。それどころか、鬼を消し去ってくれた」
「でもっ……私は鬼なのです」
刹那やその師匠が椿を赦しても、人々は赦さないだろう。
鬼は鬼。人を喰らう化け物なのだから。
(刹那様に、街の人に、迷惑をかけるくらいなら、死んだ方がいい)
そう思うのに、刹那の手を振りほどけなかった。
――刹那のことを好いているのだ。
椿は自分の気持ちを自覚した。
(祓ってと願う相手を好いているだなんて……今気づくなんて、私って間抜けね。どこまで刹那様に迷惑をかければ良いのかしら……)
じわりと涙が滲みそうになるのを必死でこらえる。
呼吸を整えて刹那の手を放そうとした。
すると、刹那が握っている手にギュッと力を込めた。
「椿、君が何者でも構わない。どうか一緒にいてほしい」
「えっ……?」
「最初は師匠の恩人だと思っていた。けれど椿と暮らすうちに、いつか離ればなれになるのが耐えられなかった。椿の角が伸びて悩んでいるのは分かっていたが、手放してやれなかった。……好きなんだ。俺と一緒にいてくれないだろうか?」
真っ直ぐ向けられた翡翠色の瞳が椿を貫いた。
嘘偽りのない美しい瞳。
椿は最初からこの瞳が好きだった。
「構わないのですか? は、祓うべき相手なのですよ?」
絞り出した声は弱々しく震えている。
刹那は手に力を込めたまま真剣な眼差しで頷いた。
「椿が心の底から望むなら、俺が祓おう。だが、違うのなら祓わない。生きたいと、少しでも思ってくれるのなら、俺が椿を守ろう」
刹那の力強い言葉に引き込まれる。
「い、生きたいです。刹那様とともに……」
そう言うや否や、椿は刹那に抱きしめられた。
「椿のこともちゃんと調べて、人の世で暮らせるようにしてみせる」
「わ、私も刹那様のお仕事の力になりますっ」
「愛している、椿」
椿は静かに涙を流した。
「私も愛しております」
二人はしばらく抱き合っていたが、互いに顔を見合わせるとそっと唇を合わせた。
【完】
振り返ると、神妙な顔をした刹那様が椿を見つめていた。
「刹那様」
椿は刹那の元まで歩いていくと、その場で跪いた。
「どうか……どうか、その剣で私を祓ってください」
鬼と鬼祓い。
もとより一緒に暮らすなど不可能だったのだ。
(知られずに逝くはずだったのに……でも、せめて貴方の手で……)
白百合は目を閉じて最期の時を待った。
けれども、いっこうに最期の時は訪れなかった。
「顔を上げてくれ、椿」
柔らかい声にそっと顔を上げると、困ったような、安心しているような、不思議な表情の刹那が椿を見つめていた。
「やっと見つけたのに、祓うわけないだろう?」
「でも……」
「知っているか? その昔、鬼は亡くなった人々を極楽へと案内する役割だった」
しゃがみ込んで視線を合わせた刹那は、椿のよく知っている言葉を口にした。
驚いて目を見開くと、刹那は目を細めて微笑んだ。
「どうしてそれを……? 以前お会いした方が同じことを言っていました」
そう言うと、刹那はこくんと頷いた。
「それは俺の師匠の言葉だ。椿があの人を極楽へ送ったのだろう? 俺はそれを見ていた。……師匠の最期の願いを叶えてくれてありがとう」
頭を下げられて椿は混乱した。
(人を喰らうところを見られていた? なぜ止めなかったの!?)
「な、な、なぜ……ど、どうして……」
「椿は師匠の恩人だ。道端で椿を助けた時から、鬼だと分かっていた。黙っていてすまない」
次々と明るみになる真実に、椿は言葉を失った。
口をパクパクとさせる椿をみて、刹那は続けた。
「あの日、俺は師匠の看病のためにあの寺にいたんだ。朝のおつとめから戻らない師匠を見に行ったら、ちょうど椿と話しているのが聞こえたんだ。師匠は優秀な鬼祓いだったけれど、鬼の役割も知っている人だった。『鬼祓いとは、迷える鬼を元の世に戻す仕事』だって、いつもそう言っていた」
「でも……じゃ、じゃあ、その場で祓ってくだされば良かったのに」
椿こそ、まさに「迷える鬼」なのではないか。鬼の力が使えなかったのだから。
だが、どうやら違うらしい。
「椿は他の鬼とは違う。それは見ればすぐに分かった。俺たちには祓うべき対象が分かるんだ。……それに、師匠が手を出さない相手ってことは、どうせ俺が立ち向かっても勝てない」
「そんなまさかっ!」
「現に、たくさん人を喰らっていた妹より強かっただろう?」
刹那の言葉に口ごもる。
(あれは……自分でもどうやったのか分からないのに……)
黙り込んでいると、刹那が椿の手を取った。
「椿を助けたのは、師匠の恩返しがしたかったからなんだ。街の人を喰らう鬼が椿の妹だったのは予想外だった。結果的に椿を追い詰めてしまったな。すまない」
再び頭を下げられて、椿は慌てて首を振った。
「刹那様は悪くありませんっ! 悪いのは、あの子と私なのですから……」
「椿は悪くない。誰も喰らっていないのだから。それどころか、鬼を消し去ってくれた」
「でもっ……私は鬼なのです」
刹那やその師匠が椿を赦しても、人々は赦さないだろう。
鬼は鬼。人を喰らう化け物なのだから。
(刹那様に、街の人に、迷惑をかけるくらいなら、死んだ方がいい)
そう思うのに、刹那の手を振りほどけなかった。
――刹那のことを好いているのだ。
椿は自分の気持ちを自覚した。
(祓ってと願う相手を好いているだなんて……今気づくなんて、私って間抜けね。どこまで刹那様に迷惑をかければ良いのかしら……)
じわりと涙が滲みそうになるのを必死でこらえる。
呼吸を整えて刹那の手を放そうとした。
すると、刹那が握っている手にギュッと力を込めた。
「椿、君が何者でも構わない。どうか一緒にいてほしい」
「えっ……?」
「最初は師匠の恩人だと思っていた。けれど椿と暮らすうちに、いつか離ればなれになるのが耐えられなかった。椿の角が伸びて悩んでいるのは分かっていたが、手放してやれなかった。……好きなんだ。俺と一緒にいてくれないだろうか?」
真っ直ぐ向けられた翡翠色の瞳が椿を貫いた。
嘘偽りのない美しい瞳。
椿は最初からこの瞳が好きだった。
「構わないのですか? は、祓うべき相手なのですよ?」
絞り出した声は弱々しく震えている。
刹那は手に力を込めたまま真剣な眼差しで頷いた。
「椿が心の底から望むなら、俺が祓おう。だが、違うのなら祓わない。生きたいと、少しでも思ってくれるのなら、俺が椿を守ろう」
刹那の力強い言葉に引き込まれる。
「い、生きたいです。刹那様とともに……」
そう言うや否や、椿は刹那に抱きしめられた。
「椿のこともちゃんと調べて、人の世で暮らせるようにしてみせる」
「わ、私も刹那様のお仕事の力になりますっ」
「愛している、椿」
椿は静かに涙を流した。
「私も愛しております」
二人はしばらく抱き合っていたが、互いに顔を見合わせるとそっと唇を合わせた。
【完】



