街から少し離れた川まで来ると、椿は辺りを見渡した。

「白百合、いるのでしょう?」

 人気のない橋に向かって声をかけると、そこに竜巻が現れた。そして中からゆったりと白百合が歩いて出てきた。
 しばらく見ない間に、彼女は随分と変わっていた。美しさはそのままに、少女らしい可憐さが消え、艶かな気品漂う女性へと変貌していたのだ。
 母を彷彿とさせる容姿は、まさに天ヶ谷家当主に相応しかった。

 白百合は椿と目が合うと、嬉しそうに目を細めた。

「呼んでくれるなんて嬉しいわ、お姉様。もう白百合のこと、お忘れになったのかと心配していましたの」
「忘れるわけないじゃない。あんな事をしておいて……」

 椿は落ち着き払って白百合を睨みつける。すると白百合はクスクスと笑いだした。

「あんな事? それは夢にお邪魔したことかしら? それとも……百合の花のこと?」
「やっぱり全部、白百合がやったのね……」
「うふふっ、そんな怖い顔なさらないで。お姉様が全然白百合のことを呼んでくれないのが悪いのよ。でも、今日呼んでくれたから許してあげる」

 白百合が右手を上げると、椿の身体には一切力が入らなくなった。
 ガクンと膝をつくと、身体が意思に反して勝手に動き出す。まるで跪くかのような姿勢を取らされた。

 椿は何とか顔を上げて白百合を見つめる。

「……私を喰らう気? 街の人々と同じように」
「まさか! お姉様はトクベツだもの。ちゃーんと痛くないように喰らってあげる」

 白百合が一歩、また一歩と橋を渡って近づいてくる。至極楽しそうに笑みを浮かべている彼女は、この世のものとは思えぬ美しさだ。……それなのに、どこか物足りなさを感じる表情をしていた。

 目の前まできた白百合は、椿の頭に手を伸ばした。

(喰われる)

 椿はギュッと目を閉じた。
 だが、頭に触れられることはなかった。

「キャッ! どうして角が生えているの!? 一度折れた角は戻らないはずなのに……お姉様、まだ鬼なの……?」

 角に気づいた白百合がじりじりと後ずさる。
 鬼は鬼を喰らうことは出来ない。どうやら白百合は椿を喰らうことに拘っているようだ。

(だったら……)

 椿はありったけの力を振り絞って立ち上がると、自分の角をゆっくりと撫でてみせた。

「実はそうなの。もう少ししたら以前と同じ長さになりそうよ」

 椿が余裕そうに微笑んでみせると、白百合の表情がサッと消え失せた。

「……どうして」
「さあ? 気がついたら伸びていたの。爪とか髪の毛みたいね」
「どうしてよ!! 私がお姉様を喰らうはずだったのに……。人の世で困り果てて私に縋るお姉様を、私がお助けして、それで……私のことを必要としたお姉様を喰らえば、永遠に一緒にいられたのにっ!」

 椿が冷静になるにつれて、白百合は取り乱し始めた。椿は彼女を刺激しないようにそっと近づいた。

「そんなことしなくても、一緒に暮らしていたでしょう? 私が昔のように白百合のもとへ行くわ。それで、もう一度角を折ればいいじゃない。だから、この街の人々にはもう手を出さないで」

 祈るように願いを口にする。
 白百合の銀色の瞳が僅かに揺らいだ。

「お姉様が戻って来てくれる……? ほ、本当? ……で、でもっ駄目! それって人のためでしょう? 私は、お姉様に自分の意思で……私を選んで欲しかったの! こんなんじゃあ……もう嫌っ!! 喰らえないなら……死んでもらうわ!」

 白百合は狂ったように暴れ始めた。母を殺した時と同じ目をしている。

(今度こそ殺される。私は白百合を説得できなかった)

 椿が諦めにも似た気持ちで彼女を眺めていると、突然目の前に閃光が走った。