宮道真守――宮道先生の朝は早い。
起床は五時より少し前。日課の瞑想と筋トレ、ランニングを済ませ、汗を流すと、台所の前に立つ。
黒いエプロンを身に着け、冷蔵庫を開けた。
「相変わらず、なんもない中身やなぁ」
独り言が思わず口をついて出た。
宮道が異動辞令を受けて、三善先生――三善柊が一人で住んでいる貸家に転がり込んできたのは数日前だった。来たばかりの日にはこんなに立派な冷蔵庫があるのに、何故か冷蔵庫の中にはビールと水しか入っていなかった。正直自分以外の成人男性の一人暮らしがこんなに低レベルだとは思わなかった。
術者協会京都本部の独身寮では食堂が完備されていたし、宮道自身料理が苦手ではないので、食堂が休みの土日は自炊をしていた。だから、ここまで何もない冷蔵庫というのは珍しく映った。
「卵、ベーコン……食パンもあったな」
頭の中でメニューを組み立てて、早速作り始めた。
ベーコンはカリッと焼き、オムレツをふわとろに仕上げると、ちょうどトースターが焼き終えたと物申したようにベルが鳴った。
朝は牛乳と相場が決まっている。冷蔵庫から牛乳を取り出すと、思いのほか軽かった。昨日の朝はそれなりに重かったのに、一日でこれだけ減るだろうか。
「もしかして」
思い当たる節があった。
リビングを出て、突き当りの部屋の扉を問答無用で開けた。
「三善、お前牛乳空にしたまま冷蔵庫に入れたな?」
まだ部屋の中が真っ暗で、部屋の主が寝ているのは知っていた。起きるのは出勤する十五分前と決めているようで、割とギリギリまで寝ていることが多い。
「三善、起きぃや」
無視を決め込んでいる三善に向かって、ややドスを利かせた声で言ってみたが、相手はピクリとも動かない。余程熟睡しているのだろうか。
「おい、なんとか」
部屋の中に突入しようとしたところで、三善が結界を張っていたせいで、もろにぶつかってしまった。
「なんやねん、ほんまに……っ」
額を押さえて、思わず蹲った。
三善には変な習慣がある。
基本的に寝ている時も結界を張り続けているのだ。結界を一つ張り続けることすら、呪力は消耗するし、体力も削られる。新人時代に本人に聞いたことがあるが、それも修行だと言っていた。そんな修業方法は聞いたことがない。試しに宮道は真似をしてみたが、一日で音を上げた。
一体どれだけの修業をすれば、それだけの呪力量が身に着けることができるんだ。
そう思わせるほど、三善は才能の塊を持っている。
的確な結界を素早く張り、正確に妖を滅する。派手さは全くないが、その身一つで戦う姿は、すぐに同期の中でもトップになり、いつの間にか術者協会全体でもトップクラスの実力者としての頭角を現し始めていた。
新人は本部をはじめとした各地域にある支部へ配属され、そこで数年警備を担当することになっていた。宮道も例外なく、本部の警備部に配属された。
だが、三善だけは違っていた。
術者協会公安局。
新人の中でも異例の抜擢だった。
羨ましいと同時に悔しかった。宮道自身が三善に劣っていると思ったことはない。それなのに術者のエース格が揃っている部署に最初から配属される可能性はないはずだと高をくくっていたのだと、後になって気づいた。
「三善ぃ、自分なにしてんや」
額をさすりながら、声を大きくして中に呼び掛けた。
「……うるせぇなぁ」
「うるさい違うわ。そっちこそ何してくれんてんや。牛乳空やったぞ」
「あー……昨日飲み干した」
「それなら言うてや。俺、昨日買い物行くから無くなったもん言いやって言うたやん」
もぞもぞと布団の中から、眠気眼を擦りながら三善が出てきた。
「忘れてた」
申し訳なさゼロ。悪びれた様子もなく、はっきりと言い切れるな。ある意味呆れて何も言えない。
「忘れんなや。てか、朝飯作ったで」
「……わかった」
ぐしゃぐしゃと頭を掻きながら、三善は右手で横一線し、結界を消した。昨日も宮道よりも遅く帰ってきた。帰って来てからも部屋でパソコンに向かって教材研究しているのを知っている。
所詮、教師の仕事は表向きの仕事。そんなに本気でやる必要はない。
公安局の仕事は何かと掛け持ちをして、一般人との生活に溶け込む必要はある。だが、必要以上に溶け込む必要はない。
それ故に、宮道自身はほどほどに仕事割り切っている。ほどほどに仕事をし、ほどほどに生徒たちの相談に乗る。
仕事が終われば、術者協会から指示されている仕事をやらなくてはならない。妖関連の調査は夜にすることが多いから、睡眠を削られることも多い。
だからこそ、自分の体調管理が必須だ。
「そう言えば、結菜ちゃんて子、おもろいな」
朝食を挟んで話を振った。
宮道がいつ話を振っても特に反応することはなかったが、今日は違った。
日下部結菜の名前を出しただけで、トーストから目を外し、三善が目だけで宮道を見てきた。疑問という色が浮かんでいた。こうもわかりやすく反応するのが珍しい。
「どこが?」
「術者家系であんなに純粋な子は見たことないわ。ああいうのは、教えてて楽しいやん」
「……そうか? 面倒なだけだぞ」
「そこがええやん。自分で育てた女、みたいになるし」
ダンッ。
机に置いてあったケチャップが倒れた。
見たことが無いほどの眉間の皺の深さに、宮道は内心苦笑した。
意外と気に入っているな、と気づいたのは初日に結菜と三善のやり取りを見た時だった。これほど三善の表情が変わることもなかったし、素をあれほど出すと言うこともなかった。
仕事をする時は、徹底的に猫を被り、それを外すことはしてこなかった。
それが、たった一人の女子生徒で変わるとは。
「ほら、さっさと飯くうで。仕事や仕事」
機嫌が直る気配はないが、ここで機嫌を直す義理はない。面白いから、このままにしておくに限る。
起床は五時より少し前。日課の瞑想と筋トレ、ランニングを済ませ、汗を流すと、台所の前に立つ。
黒いエプロンを身に着け、冷蔵庫を開けた。
「相変わらず、なんもない中身やなぁ」
独り言が思わず口をついて出た。
宮道が異動辞令を受けて、三善先生――三善柊が一人で住んでいる貸家に転がり込んできたのは数日前だった。来たばかりの日にはこんなに立派な冷蔵庫があるのに、何故か冷蔵庫の中にはビールと水しか入っていなかった。正直自分以外の成人男性の一人暮らしがこんなに低レベルだとは思わなかった。
術者協会京都本部の独身寮では食堂が完備されていたし、宮道自身料理が苦手ではないので、食堂が休みの土日は自炊をしていた。だから、ここまで何もない冷蔵庫というのは珍しく映った。
「卵、ベーコン……食パンもあったな」
頭の中でメニューを組み立てて、早速作り始めた。
ベーコンはカリッと焼き、オムレツをふわとろに仕上げると、ちょうどトースターが焼き終えたと物申したようにベルが鳴った。
朝は牛乳と相場が決まっている。冷蔵庫から牛乳を取り出すと、思いのほか軽かった。昨日の朝はそれなりに重かったのに、一日でこれだけ減るだろうか。
「もしかして」
思い当たる節があった。
リビングを出て、突き当りの部屋の扉を問答無用で開けた。
「三善、お前牛乳空にしたまま冷蔵庫に入れたな?」
まだ部屋の中が真っ暗で、部屋の主が寝ているのは知っていた。起きるのは出勤する十五分前と決めているようで、割とギリギリまで寝ていることが多い。
「三善、起きぃや」
無視を決め込んでいる三善に向かって、ややドスを利かせた声で言ってみたが、相手はピクリとも動かない。余程熟睡しているのだろうか。
「おい、なんとか」
部屋の中に突入しようとしたところで、三善が結界を張っていたせいで、もろにぶつかってしまった。
「なんやねん、ほんまに……っ」
額を押さえて、思わず蹲った。
三善には変な習慣がある。
基本的に寝ている時も結界を張り続けているのだ。結界を一つ張り続けることすら、呪力は消耗するし、体力も削られる。新人時代に本人に聞いたことがあるが、それも修行だと言っていた。そんな修業方法は聞いたことがない。試しに宮道は真似をしてみたが、一日で音を上げた。
一体どれだけの修業をすれば、それだけの呪力量が身に着けることができるんだ。
そう思わせるほど、三善は才能の塊を持っている。
的確な結界を素早く張り、正確に妖を滅する。派手さは全くないが、その身一つで戦う姿は、すぐに同期の中でもトップになり、いつの間にか術者協会全体でもトップクラスの実力者としての頭角を現し始めていた。
新人は本部をはじめとした各地域にある支部へ配属され、そこで数年警備を担当することになっていた。宮道も例外なく、本部の警備部に配属された。
だが、三善だけは違っていた。
術者協会公安局。
新人の中でも異例の抜擢だった。
羨ましいと同時に悔しかった。宮道自身が三善に劣っていると思ったことはない。それなのに術者のエース格が揃っている部署に最初から配属される可能性はないはずだと高をくくっていたのだと、後になって気づいた。
「三善ぃ、自分なにしてんや」
額をさすりながら、声を大きくして中に呼び掛けた。
「……うるせぇなぁ」
「うるさい違うわ。そっちこそ何してくれんてんや。牛乳空やったぞ」
「あー……昨日飲み干した」
「それなら言うてや。俺、昨日買い物行くから無くなったもん言いやって言うたやん」
もぞもぞと布団の中から、眠気眼を擦りながら三善が出てきた。
「忘れてた」
申し訳なさゼロ。悪びれた様子もなく、はっきりと言い切れるな。ある意味呆れて何も言えない。
「忘れんなや。てか、朝飯作ったで」
「……わかった」
ぐしゃぐしゃと頭を掻きながら、三善は右手で横一線し、結界を消した。昨日も宮道よりも遅く帰ってきた。帰って来てからも部屋でパソコンに向かって教材研究しているのを知っている。
所詮、教師の仕事は表向きの仕事。そんなに本気でやる必要はない。
公安局の仕事は何かと掛け持ちをして、一般人との生活に溶け込む必要はある。だが、必要以上に溶け込む必要はない。
それ故に、宮道自身はほどほどに仕事割り切っている。ほどほどに仕事をし、ほどほどに生徒たちの相談に乗る。
仕事が終われば、術者協会から指示されている仕事をやらなくてはならない。妖関連の調査は夜にすることが多いから、睡眠を削られることも多い。
だからこそ、自分の体調管理が必須だ。
「そう言えば、結菜ちゃんて子、おもろいな」
朝食を挟んで話を振った。
宮道がいつ話を振っても特に反応することはなかったが、今日は違った。
日下部結菜の名前を出しただけで、トーストから目を外し、三善が目だけで宮道を見てきた。疑問という色が浮かんでいた。こうもわかりやすく反応するのが珍しい。
「どこが?」
「術者家系であんなに純粋な子は見たことないわ。ああいうのは、教えてて楽しいやん」
「……そうか? 面倒なだけだぞ」
「そこがええやん。自分で育てた女、みたいになるし」
ダンッ。
机に置いてあったケチャップが倒れた。
見たことが無いほどの眉間の皺の深さに、宮道は内心苦笑した。
意外と気に入っているな、と気づいたのは初日に結菜と三善のやり取りを見た時だった。これほど三善の表情が変わることもなかったし、素をあれほど出すと言うこともなかった。
仕事をする時は、徹底的に猫を被り、それを外すことはしてこなかった。
それが、たった一人の女子生徒で変わるとは。
「ほら、さっさと飯くうで。仕事や仕事」
機嫌が直る気配はないが、ここで機嫌を直す義理はない。面白いから、このままにしておくに限る。


