「今日の化学は自習やから、代わりにオレが来ました」
化学の授業時間になっても、三善先生は教室に入って来なかった。代わりに来たのは、宮道先生だった。
「三善先生はどーしたんですか?」
「風邪?」
「寝坊かな?」
小さな声であちこちから疑問の声が上がった。ざわめくクラスメイト達を前に、宮道先生は軽く手を叩いて集中を自分に戻した。クラス全員の目線が自身に戻ったのを確認してから、先生は口を開いた。
「体調不良としか俺も聞いてへんよー。さ、自習しぃや。テストも近いし、しっかりやるんやでぇ」
クラスの中をぐるっと歩きながら、宮道先生は生徒に声をかけていく。
「古文でわからなかったところがあれば、訊きいてや。この時間をしっかり有効活用するんやで」
結菜の隣を通り過ぎる間際、結菜の机の上に紙片が置かれた。ぱっと顔を上げると、宮道先生が片頬だけあげた。教科書を立てて、周りからなるべく見えないように結菜は紙片を開いた。
――放課後、駐車場に来られたし
なに、この果たし状的な文面。パチパチと瞬きをはっきりして、何度も読み返すが、それ以上のことは何も書かれていなかった。
悠然と歩く宮道先生を横目でちらりと見ると、いつもと変わりない感じだった。これが、大人というモノか。
その日の授業を全て受け終えて、いつも通りの球技大会に向けた練習を終えるなり、結菜はそそくさと宮道先生が指定した駐車場に向かった。校舎を出ると、すっかり暗くなっていた。春も近づいているのに、暗くなるのは相変わらず早い。
パッパとクラクションが鳴った方を振り向くと、軽自動車の中でハンドルにもたれかかりながら宮道先生が手を振っていた。周りに誰もいないことを確認してから、結菜は軽自動車に駆け寄った。
「おつかれさん。さ、いこっか」
「あ、あの、三善先生はどうされたんですか?」
「まぁまぁ、それも道中話したるから」
焦る結菜をなだめるように言った宮道先生は、ゆっくりと車を動かし始めた。駐車場は校門近くにあるおかげで、他の人の目に触れないまま無事に学校の敷地から脱出できた。
車内の暖房が効き始めると、顔を隠すように巻いていたマフラーをほどいた。
「三善は」
結菜が黙っていると、宮道先生はゆっくりとした口調で話し始めてくれた。
「昨日は無茶しすぎたんや、あいつ。いくら幽霊列車に遭遇したからって言っても、あそこまでやる必要はなかった」
「そう、なんですか?」
「あんな量を対処する前に逃げ切ることだってできたはずや」
ちらりと宮道先生の顔を見ると、飄々とした様子はなく、少しだけ厳しい顔をして前を見ていた。
「あんなバカなことをしたんや、体にだって反動がでる」
「反動って何が起きたんでしょうか?」
「会ってみればわかるし、あいつも喜ぶやろうな」
くくっと肩を震わせて、笑った宮道先生はさっきまでの厳しい表情がすぐに引っ込んだ。
車はゆっくりと進み、住宅街に入って行った。戸建てが多い住宅街ではぽつりぽつりと家の灯りがついている。やがて平屋の家屋の敷地に車が入った。
ぼんやりと玄関にライトがついていた。暗くてはっきりはわからないけど、モダン的な造りだった。扉は木製の引き戸で、宮道先生は懐から出した鍵を差し、扉を開けた。
「か、勝手に入って大丈夫なんですか?」
「んー。これは秘密やけど、俺はルームメイトなんや」
茶目っ気を含んだウィンクをしてから、戻ったで、と家の中に声をかける。だが、家の中は真っ暗で、静かだった。返事も返って来ない。
「おーい、生きとるかー」
玄関から一番遠い部屋の前に辿り着くと、宮道先生は声をかけるなり、引き戸を開けた。窓の近くに文机があり、押し入れと文机の間の壁はみっしりと本棚が詰め込まれていた。本棚と対になる壁側にはベッドが置かれていた。寝込んでいると聞いていたが、部屋はキレイに掃除されているし、服も脱ぎっぱなしにしていない。
「生きとるかー?」
問答無用で部屋の明かりを宮道先生がつけたところで、ようやくうめき声が聞こえた。
つらそうなうめき声を聞き、結菜は部屋の中に入ろうとしたが、ごつんと何かにぶつかった。額を押さえながら、前を見ても特段何も変わった様子がない。
一体何が。
「おいおい、こんな時まで結界張らんでええやろ」
呆れた顔で宮道先生がスラックスの後ろポケットから、一枚の白い札を取り出した。
「解除」
淡い光の粒が札に代わり、辺りを漂う。何かに当たったのか、一粒一粒はじけていく。全てが弾け終わると、宮道先生が部屋の中に入って行く。
「もう結界を解除したから、入れるで」
宮道先生に手招きをされて、結菜が一歩部屋に入った。さっきな見えない壁はなく、すんなりと部屋に入ることができた。
「お前なぁ、辛い時くらい術使うのを止めろよ」
「……うるせぇ」
化学の授業時間になっても、三善先生は教室に入って来なかった。代わりに来たのは、宮道先生だった。
「三善先生はどーしたんですか?」
「風邪?」
「寝坊かな?」
小さな声であちこちから疑問の声が上がった。ざわめくクラスメイト達を前に、宮道先生は軽く手を叩いて集中を自分に戻した。クラス全員の目線が自身に戻ったのを確認してから、先生は口を開いた。
「体調不良としか俺も聞いてへんよー。さ、自習しぃや。テストも近いし、しっかりやるんやでぇ」
クラスの中をぐるっと歩きながら、宮道先生は生徒に声をかけていく。
「古文でわからなかったところがあれば、訊きいてや。この時間をしっかり有効活用するんやで」
結菜の隣を通り過ぎる間際、結菜の机の上に紙片が置かれた。ぱっと顔を上げると、宮道先生が片頬だけあげた。教科書を立てて、周りからなるべく見えないように結菜は紙片を開いた。
――放課後、駐車場に来られたし
なに、この果たし状的な文面。パチパチと瞬きをはっきりして、何度も読み返すが、それ以上のことは何も書かれていなかった。
悠然と歩く宮道先生を横目でちらりと見ると、いつもと変わりない感じだった。これが、大人というモノか。
その日の授業を全て受け終えて、いつも通りの球技大会に向けた練習を終えるなり、結菜はそそくさと宮道先生が指定した駐車場に向かった。校舎を出ると、すっかり暗くなっていた。春も近づいているのに、暗くなるのは相変わらず早い。
パッパとクラクションが鳴った方を振り向くと、軽自動車の中でハンドルにもたれかかりながら宮道先生が手を振っていた。周りに誰もいないことを確認してから、結菜は軽自動車に駆け寄った。
「おつかれさん。さ、いこっか」
「あ、あの、三善先生はどうされたんですか?」
「まぁまぁ、それも道中話したるから」
焦る結菜をなだめるように言った宮道先生は、ゆっくりと車を動かし始めた。駐車場は校門近くにあるおかげで、他の人の目に触れないまま無事に学校の敷地から脱出できた。
車内の暖房が効き始めると、顔を隠すように巻いていたマフラーをほどいた。
「三善は」
結菜が黙っていると、宮道先生はゆっくりとした口調で話し始めてくれた。
「昨日は無茶しすぎたんや、あいつ。いくら幽霊列車に遭遇したからって言っても、あそこまでやる必要はなかった」
「そう、なんですか?」
「あんな量を対処する前に逃げ切ることだってできたはずや」
ちらりと宮道先生の顔を見ると、飄々とした様子はなく、少しだけ厳しい顔をして前を見ていた。
「あんなバカなことをしたんや、体にだって反動がでる」
「反動って何が起きたんでしょうか?」
「会ってみればわかるし、あいつも喜ぶやろうな」
くくっと肩を震わせて、笑った宮道先生はさっきまでの厳しい表情がすぐに引っ込んだ。
車はゆっくりと進み、住宅街に入って行った。戸建てが多い住宅街ではぽつりぽつりと家の灯りがついている。やがて平屋の家屋の敷地に車が入った。
ぼんやりと玄関にライトがついていた。暗くてはっきりはわからないけど、モダン的な造りだった。扉は木製の引き戸で、宮道先生は懐から出した鍵を差し、扉を開けた。
「か、勝手に入って大丈夫なんですか?」
「んー。これは秘密やけど、俺はルームメイトなんや」
茶目っ気を含んだウィンクをしてから、戻ったで、と家の中に声をかける。だが、家の中は真っ暗で、静かだった。返事も返って来ない。
「おーい、生きとるかー」
玄関から一番遠い部屋の前に辿り着くと、宮道先生は声をかけるなり、引き戸を開けた。窓の近くに文机があり、押し入れと文机の間の壁はみっしりと本棚が詰め込まれていた。本棚と対になる壁側にはベッドが置かれていた。寝込んでいると聞いていたが、部屋はキレイに掃除されているし、服も脱ぎっぱなしにしていない。
「生きとるかー?」
問答無用で部屋の明かりを宮道先生がつけたところで、ようやくうめき声が聞こえた。
つらそうなうめき声を聞き、結菜は部屋の中に入ろうとしたが、ごつんと何かにぶつかった。額を押さえながら、前を見ても特段何も変わった様子がない。
一体何が。
「おいおい、こんな時まで結界張らんでええやろ」
呆れた顔で宮道先生がスラックスの後ろポケットから、一枚の白い札を取り出した。
「解除」
淡い光の粒が札に代わり、辺りを漂う。何かに当たったのか、一粒一粒はじけていく。全てが弾け終わると、宮道先生が部屋の中に入って行く。
「もう結界を解除したから、入れるで」
宮道先生に手招きをされて、結菜が一歩部屋に入った。さっきな見えない壁はなく、すんなりと部屋に入ることができた。
「お前なぁ、辛い時くらい術使うのを止めろよ」
「……うるせぇ」



