目が覚めると、視界に入ってきたのは自室の天井だった。電気はついていないが、窓の外を見ても暗い。
 
 慌ててベッドボードに置いてあるはずのスマホを探るが、見つからない。体を起こして、机の上を見ると、スクールバッグとスマホがきちんと置かれていた。スマホを手に取り、時間を確認すると、まだ朝の六時だった。
 自分の服装を見ると、パジャマだった。制服は丁寧にハンガーでかけられていた。

「……いつの間に帰ってきたんだっけ」

 眠気とも似た何かを頭から追い出すように、ぼんやりする頭を横に振った。だけど、思い出そうにも頭の中に霧がかかったみたいに思い出せない。
 軽く二回ノック音が聞こえた。返事をすると、ドアから兄・勇人が顔を出した。心配という言葉が顔に張り付いている。

「起きてたか」
「お兄、そんな顔の出し方、ちょっと怖いんだけど」
「悪い悪い」

 苦笑して勇人が部屋に入ってきた。大学生になった勇人は、祖父母に教えられ日下部家の跡取りとして修業もしている。京都での修行は幼少の時に済ませているらしく、結菜の物心がついたころには既に跡継ぎとしての準備を始めていた。

「体調はどうだ?」

 椅子をコロコロ引いてきて、背もたれを抱えるように勇人は座った。大学生と跡継ぎの二足の二足のわらじは慣れたようだが、今は少しばかり眠そうな顔をしている。

「平気」
「そっか。見たことが無い大変お若い術者に抱えられて帰ってきたから、何事かと思ったんだけど。癖毛と糸目の男、知ってるやつ?」

 探るような、確かめるような。目の奥に戸惑いという色を隠しながら、勇人はじっと結菜を見た。

「……その人は宮道先生って言って、学校に新しく来た古文の先生」
「宮道? 聞いたことないな」
「ずっと関西にいたって言っていた」
「本部の方か。そりゃわかんないな。それで、その人がどうして結菜を抱えて帰って来るんだ? 俺が出迎えたから良かったものの、俺以外だったら大騒ぎだぞ」
「だよね」
「主にお前に男の影が出てきたことに対して」

 想定していない方からの騒ぎにならずに良かったと、結菜は一人胸を撫でおろした。

「それで?」
「……幽霊列車に遭遇したから」
「なるほどね。ここ最近妙にざわついた感じがしていたから、家の結界を強化はしていたけど」

 勇人は日下部家の中では優秀な術者だ。祖父母が結界を維持するので精いっぱいな呪力量だとすると、勇人は新しく結界を張ることもできるし、結界を強化することもできる。

「悪かったな、気づけなくて」
「そんなことないよ。お兄も忙しいんだろうし」
「それでも、家族が巻き込まれるなんて考えなかった」

 背もたれに額をつけた勇人は声を小さくして言った。急に小さくなったように見えた勇人の姿を見て、結菜は心に秘めていたことを告げる。

「あのね、お兄、私も術者を目指そうかと思っている」

 勇人がぱっと顔を上げた。驚きと困惑が混ざった表情になっていた。

「……なんで」
「私にもなることができるなら、目指したいなって」
「わかった、ばあちゃん達には俺から話しておく。と言っても、京都修行に行くまでにはある程度形にはしておきたいな。でも俺じゃ教えられることが少ないしぁ」
「受けてもらえるかわからないけど、アテはあるよ」

 宮道先生が誘ってくれているから、嘘じゃない。本当は。

「お前を抱えてきた先生とやらはダメだぞ」
「え?」
「あいつはだめだ」
「なんで?」

 眉間に皺を寄せて勇人は珍しく反対してきたから、思わず声に棘が出た。余程冷たい言い方だったのか、勇人は気まずげに顔を椅子の背もたれに隠した。

「……あんなチャラチャラした感じのイケメンに妹を預けられない。腕がすごくても、アレはダメだ」

 思いもよらない理由に思わず目を丸くした。

「あんなチャラチャラしてるなら、これまで数多くの女性を泣かしてきているに違いないし、お前にも泣いてほしくないっ。お、教えると称して……っダメだ、ダメだっ。絶対、反対っ」

 何を想像していらっしゃるんでしょうか、お兄様。
 足をうるさくばたつかせて、悶えている勇人を結菜は冷たい目で見るしかなかった。

「とにかくっ。他をあたる。なけなしのツテで」
「……学校行く準備するから」
「え? あ、ああ、そんな時間かっ」

 我に返ったかのように俊敏に動いた勇人はそそくさと部屋を出て行った。ゆっくりと起き上がり、制服に手を伸ばす。
 宮道先生に教わることができないとしたら、誰に教われば良いんだろう。勇人のツテと言っても、貧弱すぎる。結菜の周りにいる術者と言えば。

 そこまで考えて、一人だけ浮かんだ。

 口が悪くて横暴だが、実力は目の前で見せつけられてきた。三善先生なら、問題はないに違いない。表向きは人畜無害そうな顔だし、イケメン度は足りないと茉優のお墨付きだし。

 制服に着替えた結菜は軽く両頬を叩いてから、スクールバッグを抱えて部屋を出た。