「授業に球技大会の練習に、テスト勉強とか辛すぎる。テストはテスト、球技大会は球技大会で良いじゃん」

 バレー経験者がほとんどであることが幸か不幸か、一年生にも同学年にも負けたくないという熱が結菜のクラスのバレーボールチームには漂っていた。未経験である茉優だったが、さすがは元バスケ部、練習量にはついて来られるらしい。それでも、昼休みとは打って変わって、疲れ切った顔をしていた。

 体育館の更衣室で着替えて、外に出るとすでにとっぷりと暮れていた。少しでも一人になりたくなくて、結菜は同じ方面のチームメイトと歩いて帰ることにした。それでも駅になれば、行き先ごとにホームに分かれてしまう。

 ここから家の最寄り駅まで数駅。最寄り駅からは歩いて二十分。走ればもう少し短くなるけど、バレーボールをした後のランニングは辛い。
 電車がホームに入ってきた。ベンチからゆっくり立ち上がって、ホームに向かって歩く。

 とん。

 誰かに背中を押された。
 疲れていた足はふらつき、バランスを崩した。
 しまったと思ったときには、ホームから体が落ち始めていた。

 やけに電車がゆっくりと見える。運転手が驚いて見ているのまではっきりと見えた。
 それと同時にこれまでの思い出が走馬灯のように頭の中で流れた。

 死。

 それが、結菜の頭に最後に出てきた言葉だった。
 きゅっと目を瞑って、体を縮こまらせる。痛いだろうな、痛いに決まっている。これから感じるかわからない痛みを覚悟した。

「結っ」

 こんな時でも、あのバリトンの声が聞こえた。
 覚悟していた痛みが一向に来ないことに違和感を覚えた。そろそろと目を開けると、ホームから放り出されていたはずの結菜が、ホームで横たわっていた。何が起きたのかと横たわったまま、辺りを見回すとすぐ隣に少し顔が青白くなっていた三善先生がいた。

「あれ?」
「あれ、じゃねぇわ、バカ」

 呆れた声と共に出てきた大きなため息はどこか震えていた。

「お前はつくづく当たりを引きすぎだろ」

 三善先生が顎で示した方を見たら、いるはずのチームメイトはおろか、他の乗客ですら一人もいなかった。

 ホームの灯りがジジジっと音を立てて点滅している。だが、ライトはいつも見ている白色ではなく、うっすらと青みがかっていた。黄泉の世界を思わせるような幻想的なはずなのに、怖さしか感じなかった。

「なに、ここ……」
「お前が勝手にフラフラ吸い込まれて来たんだろうが」

 キレイに整えられていた髪を三善先生はぐしゃぐしゃに搔き乱した。

「こりゃヤバいんと違う? 幽霊電車みたいなもんやろ、これ」

 のんびりとした足取りで宮道先生が改札口の方から来た。両手をポケットに入れて歩いている姿は近くのコンビニまで来た大学生のように見える。

「また、めんどくさいもん出てきたなぁ、三善」
「……とっとと結解を張れ。あとは俺がやる」
「うわぁ、こわ、その顔。ヤクザの若頭みたいやん」

 言ったよ、この人、素直に。

 結菜が隠していた考えをいともあっさりと言い放った宮道先生に目が釘付けとなった。悪びれた様子もなく、あっけらかんとした表情そのまま、宮道先生は右手から一枚の白い札を取り出して顔の前に構えた。

「結界」

 金色に輝いた札は、素早く溶けて、足元から鳥かごを作るかのように結菜たち三人を覆った。さっきより幾分呼吸がしやすくなった気がした。

「宮道、ここを頼むぞ」

 コートを宮道先生に預けた三善先生は左肩をぐるっと回して立ち上がった。結界を抜けた後ろ姿は幾千もの戦場を潜り抜けてきた猛者に見えなくもない。細身だからか、普段はそんな連想はしないのに、今はやけに背中が広く見える。

 ホームに止まっている電車がゆっくりと扉を開けた。

 スーツを着た男の人、ワンピース姿の女の人、クマのぬいぐるみを抱えた女の子。一人また一人と電車から出てきた。誰も彼もが青白い肌と落ち窪んだ目で、とても生きている人には見えない。おまけに全員首やら腕やらをあらぬ方向に回しながら歩いている。

 どう見ても、妖でしょ、アレ。
 ただし、数が多すぎる。すぐに両手で数えきれない数になって、結界の周りを囲んだ。いくら何でも、この数を一人で相手にするなんて。

「先生っ」
「あかん、あかん。あんまり前でんといて。結菜ちゃんまで巻き込まれるで」
「でもっ」
「大丈夫や。あいつはああ見えてもチームでのトップの実力を持っているんや」

 肩をぐるっと回した三善先生は、人差し指と中指をまっすぐに伸ばして、真横にひと振りした。

「滅」

 何の感情も乗っていない声が発せられたと同時に、視界の端から順に妖が消滅していく。圧巻としか言いようがない。
 だが、消滅したところから次々に妖がまた増えた。これじゃキリがない。一通り祓ったところだったのに、景色はちっとも変わらなかった。一体どこからこんなに妖が湧いて出てくるの。

 「めんどくせぇな。まぁ、確かにじじぃどもがウルセェわけだ」

 大きなため息と共に零れてきた愚痴。ガシガシと頭を掻いた三善先生は右手を高く挙げた。手の形はさっきと変わらない。
 何も変わっていない。そのはずなのに、いつも以上に威圧感を醸し出していた。一歩も動くことを許さないその圧力に結菜は自分の体をギュッと抱きしめた。

「絶」

 ぽつりと言った三善先生の言葉が、声を張ったわけでもないのにホーム全体に響き渡った。
 さっきとは違い横一線に消滅せずに、一瞬で全ての妖が弾けた。びちゃびちゃと液体が結界に降り注ぐ。

 妖の血液も赤いんだな。

 場違いな感想が頭に浮かんだ。視界が血で遮られて、三善先生の様子が分からない。張り付くように結界ギリギリに駆け寄り、じっと外を見た。
 血液が下に落ちていくにしたがって、徐々に視界がクリアになってきた。
 見つけたのは、真っ赤な血で染まったコートを着た三善先生だった。

「せ、先生?」

 結菜の声が届いたのか、三善先生はゆっくりと振り向いた。頭から血を被ってしまったのか、顔にも血がついていた。

「久しぶりに見たなぁ、あの姿」

 宮道先生の声が震えていた。

「え?」
「あれがあいつの本当の姿や、結菜ちゃん」

 宮道先生に言われてもピンとこなかった。
 結菜が知っているのは、人が良さそうな化学の教師で、人目がない時にはヤがつくようなお仕事をしている悪態をつく男だ。
 こんな人じゃない。
 こんな、血に塗れた人じゃない。

「宮道、後は頼んだ」

 ふらりと足取りが怪しいながらも、三善先生は改札の向こう側に消えていった。

「先生、待って」
「結菜ちゃん、君はここまでや」

 急に宮道先生の手が結菜の視界を多い、耳元で優しく囁いた。
 その瞬間、結菜の意識はブラックアウトした。