三善先生のヒミツにご注意を【2】

「それに、どないしてくれんの、この一張羅。せっかく新品を買うたのに」

 ふざけた物言いだが、とてもそうには聞こえない。血に染まったジャージを見せつける仕草は関西系の方に見えた。その手には黒い札。紙きれのはずなのに、結菜の目には磨き抜かれた日本刀の刃先のように見えた。

「夜叉丸、これがお前の最後だ」

 まっすぐ伸びた人差し指と中指はぴたりと夜叉丸の首を狙っていた。こちらは、似非インテリ系の方に見えた。丸眼鏡はどこかに吹き飛んだのか顔の上から消失していた。代わりに現れたのは、感情がない顔だった。

「先生……?」

 宮道先生は生きているのが不思議なほどの出血量だったはずだし、三善先生に至っては自爆していたはずだった。

「やるじゃない、お二人さん」

 結菜に伸ばしていた手と合わせて夜叉丸は両手で降参ポーズをした。外しようがない攻撃態勢に諦めてくれたのか。

「それ以上しゃべれば、滅する」

 およそ教師とは思えない言い方にようやく三善先生が生きている実感が湧いてきた。

「結構辛そうだね、三善も宮道も?」
「そんんわけあるか」
「威勢のいい奴は嫌いじゃないけど、いつまでもつの宮道は?」
「とりあえず、お前を捕縛してからだ」
「うんうん。三善もギリギリだね。この前幽霊列車でやられてからこっち、ずーっと索敵の術を解いてないもんね。それに、今は出血を止めるための術も、かな?」
「……黙れ」
「うーん、こわい。怖いから」

 ファアアンと電車の汽笛が聞こえた。
 ここは体育館。一体どこから電車の音が聞こえると言うの。
 近づいてくる駆動音に気づき結菜は辺りを見回すと、影の中からいつか見た列車が現れた。夜叉丸の真後ろで止まった電車はプシューッと音を鳴らして一つだけ扉が開いた。

「逃げるね?」

 夜叉丸が一歩後ろに下がると、あっという間にその姿は電車の中に入って行ってしまった。追う隙も与えず、電車は扉を閉め、すぐさま発車した。結菜たちは轟音と共に行ってしまった電車を見るだけしかできなかった。

「……あの幽霊列車も、あいつだったのか」
「みたいやな。ほんま、めんどうな奴やな」

 ようやく臨戦態勢を解除した二人は結菜をじっと見た。

「生きてるんですか?」
「せやで。見ればわかるやろ、結菜ちゃん?」

 確かに足はあるし、影もある。しゃべるし、動いている。
 生きている。本当に?

「いつまでも呆けているんじゃねえ」

 結菜の頭に優しく手が乗った。ぐしゃぐしゃとやや乱暴気味に頭を撫でられると、さっきとは違った涙があふれてきた。

「あ、三善、泣かした。やっぱりお前も生物として許されへんな」
「うっせぇな」
「自分、誤魔化しよったな」
「とりあえず、騒ぎがでかくなる前に引くぞ。教師の一人や二人が減ったところで球技大会に支障はねぇだろ」
「せやなぁ。あー、本部に報告するの、だるいわー」

 結菜の手を取り立ち上がらせてくれた宮道先生が肩をすくめた。

「結菜ちゃんも協力してくれへん?」
「え?」
「断るとか言うなよ。目撃者にして被害者だろ」

 断ることを許さないような目つきで睨まれれば、頷くしかない。だけど。

「この状況のまま、ここを放っておくんですか?」

 徐々に影の浸食が減ってきている。だけど、他の先生や生徒の姿はまだ見つけられない。茉優だってどこかにいるはずなのに。

「それは本部から派遣されてくる事後処理係に任しときゃいい。どうせ、球技大会は適当な記憶で塗り替えられるし」
「はい?」

 何を言っていらっしゃるんでしょうか、この先生は。
 目を何度かはっきり瞬きをしていると、宮道先生が困ったように眉を下げた。

「これだけの規模で妖が暴れたら、誰か氏らの記憶に残るかもしれへん。そんなときは、術者協会から現場修復兼事後処理として、巻き込まれた一般人の記憶修正もしてるんや」

 知らなかった。今まで妖関連で巻き込まれた時でさえ、結菜にはそんなことが裏で動いてることすら聞いたことが無かった。

「こんなことくらい覚えておけ。お前、術者になるんだろ?」

 三善先生の問いに結菜はすぐに応えられなかった。
 これからもあんな妖と対峙することになるのに、何の覚悟もなかった。

「先生、私は」
「……悪かった。急かせた真似をしたな」

 それ以上何も言うことなく、結菜たちは黙ったまま、駆け付けてきた術者協会の人たちにその場を引き渡した。駆け付けてきた中に勇人がいたので、結菜は彼に託され、先生たちに家に帰ってゆっくり休むように言われた。

 家に帰るまでの道も、家に帰って自分の部屋に入るまで兄は何があったかをしつこく訊いてきた。それはもう、ウザいくらいにしつこく。黙ったまま何とかやり過ごして、部屋に入るとすぐにベッドの上に横になった。
 瞼を閉じれば、今日のことやこれまでのことがまざまざと思い出せた。

 本当に術者になりたいのか。

 それだけが最後に残った。
 だけど、今日のことがあったからこそ、結菜は考え抜くことにした。