結菜の心の内を察したかのような声に、結菜が振り向くと息一つ上がっていない夜叉丸がいた。その手には鞘から抜かれたままの刀があった。

 今だ。

 さっと構えたが、何を察したかすぐに飛び退った。

「素人だね、君は。でも、ひじょーに興味深い」

 口角をあげて笑っているのに、どこか目は冷めたまま夜叉丸は結菜を見ていた。

「試しに、やってみたらどうだい? ボクはここにいるから」

 煽られているのは、わかっている。出来ないことをやってみろとせせら笑っているのには違いない。
 先生たちの止める声が聞こえているが、結菜は止めなかった。素早く照準を合わせた。

「結界」

 キィンと甲高い金属音が鳴った。イメージ通りの半球の結界ができた。

「ふぅん。なるほど、なるほど。よくできたね。でも」

 ガシャン。
 夜叉丸が軽くノックしただけで、結界は崩壊した。

「……なんで」
「スピードも、術の展開も申し分なし。ただ、強度が足りなさすぎる。真似た相手が悪すぎたね。この程度の結界は瞬間的な攻撃防御にしかならない。つまり、弱者が作り出す結界に他ならない」

 丁寧な解説で、結菜は自分の力の無さを改めて突きつけられた。

「あー、違う違う。君は悪くないよ。君の師が悪いだけ。所詮はその程度の師というだけだよ。ボクを倒せない程度の師、だからね」
「せ、先生を悪く言わないで」
「でも、その呪力量は確かに垂涎ものだから、ボクが手取り足取り教えてあげれば、師よりも強くなることは間違いないよ。例えば」

 自分の意思とは全く関係なく、結菜の腕が動いた。照準は三善先生。
 何をさせるつもりなのか、わからない。
 だが、口が勝手に開き、喉から声が勝手に出てきた。

「結界」

 半球の結界でも、鳥籠の結界でもない。
 真四角のシンプルな形状の結界が三善先生を覆った。見た目にもわかる。頑丈そうな厚さを持っている結界は、簡単に壊されやしないだろう。

「たとえビルが倒壊しても、結界は崩れないだろうね。そして、滅せよと唱えれば、中で破裂が起きても、外には被害が出ない」
 夜叉丸が結菜に何をさせようとしているのか、わかった。

 ――逃げて

 そう言いたいのに、声が出ない。

「ああ、今はボクが掌握しているからね。ごめんね、逃がしたいよね」

 三善先生が何かを結界の中で言っているのに、聞こえない。

「人をおもちゃにするなんて、余裕があるんやね」

 余裕のない声が夜叉丸の方から聴こえて、振り向いた。
 物陰に隠れていた宮道先生が夜叉丸の背後についていた。首に白い札をぴたりと合わせて、今にも喉を掻っ切ろうとしていた。

「今、君の出番はないよ」

 だが、次の瞬間に、宮道先生は膝から崩れ落ちていた。ボタボタと腹から血が溢れ出ていた。

「宮道先生っ」

 駆け寄ろうとしたが、鳥籠の結界があった。邪魔だ。何回も叩いてみたが、手のひらばかりが痛くなるだけで、壊れない。

「ああ、失敗してしまったね。君もまた弱者だ。つまらない」

 宮道先生を突き刺したであろう刀は血で汚れていた。夜叉丸は刃先をきっちり宮道先生の喉に当てた。

「つまらないから、いらない」

 刃先が宮道先生の首筋を切った。先生の足元に血だまりが勢いよく広がっていく。体を支える力が残っていないのか、膝立ちしていた宮道先生が事前に倒れた。顔は見えないし、体は動いていない。打ち捨てられた人形のように見えた。

「せ、先生?」
「ああ、ごめんね。いけ好かない男が間に入ったばかりに。ボクと君の会話を邪魔するから、壊しちゃった」
「え?」
「さて、もう一人も邪魔だね」

 一歩、また一歩と結菜の横を通り過ぎた夜叉丸は結界で覆われている三善先生に近づいて行った。
 何をするつもりなのかは、わかっていた。
 この人、先生を殺すつもりだ。

「やめてっ」

 悲鳴にも似た湿った声で結菜は言った。
 素直に足を止めた夜叉丸が結菜を見て首を傾げた。

「なんでだい? 邪魔だろ、ボクと君の会話には」

 ああ、こいつは妖だ。
 今までで会ってきた妖とはレベルが違うが、人ではない何かだと言うことはよく理解した。その証拠に、真っ黒な瞳は何も映していない。ただ、己の欲望のままに動いているだけだ。
 今は欲望をこちらに向かせないと。

「わ、私とお話をしたいんでしょ?」