今日も元気に球技大会に向けた練習だった。手を抜かないどころか、日に日に熱量が上がっていく一方で、最後の方には誰もが座り込んで天井を見ていた。
それでも、ぼんやりしていられない。
結菜はチームメイトに別れを告げ、急いで着替えて、化学準備室に向かった。体育館から化学準備室までは、校舎内最長の距離になる。できるだけ早足で進んでいても、バレーボールをした後の足は鉛のように重く感じた。
軽くノックしてから、化学準備室に入ると三善先生が机に突っ伏して眠っていた。いつもかけている眼鏡をきちんと畳んで積んである本の上に置かれていた。
幼顔に見える寝顔は起きる気配がない。
困った。どうしようかな。まだ体調が万全じゃないだろうから、今日は放って帰ろうか。
化学準備室の扉に手をかけたところで、乱暴に扉が開いた。慌てて後ろに避けると三善先生が寝ていた椅子にぶつかった。ぐえっとカエルがつぶれたような声が後ろから聴こえてきて、恐る恐る振り返ると、寝起きで機嫌が悪いのか、寝ていたところトラブルで起きなきゃいけなくて機嫌が悪いのか判断がつかないほどの強面になっている三善先生と目が合った。
「おー、こわ。なんや、その顔は」
ケラケラと笑いながら扉を開けた相手が入ってきた。
「宮道、てめぇ……」
「ほんま、お前は寝起きが悪すぎるやろ」
扉をゆっくり閉めた宮道先生は、ポケットから白い札を取り出し、結界を素早く張った。
「これで、誰もここに入れんようにしたで」
「で、日下部。今日から基礎訓練を開始するが、実際お前はこれまで何を覚えてきた?」
唐突に始まった術者としての話に、結菜は慌てて記憶を掘り返す。
「ええっと、一通りの歴史と日下部家の結界の仕組み、くらいですかね」
「は? 自己防衛用の術や結界は?」
「お、覚えてないです。というか、そこまで強くないから覚えることもないと言われてきました」
結菜の言葉にひどく納得したような顔をする二人の先生に、結菜は首を傾げた。
「まぁ、いいか。とりあえず、結界を張ることからだ」
「結界?」
「自分の身を守ることからじゃないと、話になんねぇんだよ」
腕を組んで、椅子の背もたれに背中を預けた三善先生の顔は渋かった。横目で宮道先生も見てみるが、似たり寄ったりな表情をしていた。
「術者の少子高齢化が進みすぎている現状から考えると、誰かがすぐに助けに来てくれるわけじゃない。だから弱い術者ほど結界を覚えるのが最優先だ。つべこべ言わずに張ってみろ」
先生たちの圧が強すぎる視線に、結菜は目を泳がした。
知識としては知っているとしても、実際にやったことはない。祖父母にも兄にも才能やセンスのなさを言われていたし、覚える必要もないと何度も告げられた。
ええと、確か、結界と言うだけでできたはず。
胸の前で右手をぎゅっと握って、結菜は目を瞑った。
「け、結界」
何も起きなかった。やっぱり、自分にはできるわけなかった。
どこか期待していた自分の力に結菜はがっかりした。俯いた頭に誰かが優しく手を乗せて、撫でてくれた。顔を上げると、宮道先生が優しく笑っていた。
「大丈夫や、大丈夫。最初はそんなもんや」
「……そうなんですか?」
「そんなわけねぇだろうが。こんなのもできないようじゃ、こっちが迷惑なんだよ」
優しさと厳しさの間で結菜はどんな顔をして良いか悩んだ。視線を泳がせながら黙っていると、三善先生が鞄の中からくたびれた本を取り出した。
「とりあえず、これを頭に叩き込んで、ひたすら反復しろ」
目を細めて結菜を睨む先生がそこにいた。これはもう、頷く以外の選択肢が用意されていない。とはいっても、文庫本サイズだが、暑さは辞書並み。これを覚える余裕が、今はない。せめて学年末テストが終わってから。
「一週間でとりあえず覚えてこい」
何を言っているんでしょうか、この先生は。
四日連続の学年末テストを明後日に控えてるし、テストの翌日は仁義なき球技大会。
連日のテスト勉強に、毎日爆睡するほど体を酷使するほどの練習。その上、術者修行を加えることは到底無理だ。
「三善、それはきついんと違うか? 見てみ、結菜ちゃん固まってるやん」
「今でさえあぶねぇのに、これ以上危険に晒してどうするんだよ」
「言うてもなぁ。本業は勉学やろ」
二人の言い合いにいたたまれなくなり、結菜はぐっと唇を噛んだ。
「……やります」
それでも、ぼんやりしていられない。
結菜はチームメイトに別れを告げ、急いで着替えて、化学準備室に向かった。体育館から化学準備室までは、校舎内最長の距離になる。できるだけ早足で進んでいても、バレーボールをした後の足は鉛のように重く感じた。
軽くノックしてから、化学準備室に入ると三善先生が机に突っ伏して眠っていた。いつもかけている眼鏡をきちんと畳んで積んである本の上に置かれていた。
幼顔に見える寝顔は起きる気配がない。
困った。どうしようかな。まだ体調が万全じゃないだろうから、今日は放って帰ろうか。
化学準備室の扉に手をかけたところで、乱暴に扉が開いた。慌てて後ろに避けると三善先生が寝ていた椅子にぶつかった。ぐえっとカエルがつぶれたような声が後ろから聴こえてきて、恐る恐る振り返ると、寝起きで機嫌が悪いのか、寝ていたところトラブルで起きなきゃいけなくて機嫌が悪いのか判断がつかないほどの強面になっている三善先生と目が合った。
「おー、こわ。なんや、その顔は」
ケラケラと笑いながら扉を開けた相手が入ってきた。
「宮道、てめぇ……」
「ほんま、お前は寝起きが悪すぎるやろ」
扉をゆっくり閉めた宮道先生は、ポケットから白い札を取り出し、結界を素早く張った。
「これで、誰もここに入れんようにしたで」
「で、日下部。今日から基礎訓練を開始するが、実際お前はこれまで何を覚えてきた?」
唐突に始まった術者としての話に、結菜は慌てて記憶を掘り返す。
「ええっと、一通りの歴史と日下部家の結界の仕組み、くらいですかね」
「は? 自己防衛用の術や結界は?」
「お、覚えてないです。というか、そこまで強くないから覚えることもないと言われてきました」
結菜の言葉にひどく納得したような顔をする二人の先生に、結菜は首を傾げた。
「まぁ、いいか。とりあえず、結界を張ることからだ」
「結界?」
「自分の身を守ることからじゃないと、話になんねぇんだよ」
腕を組んで、椅子の背もたれに背中を預けた三善先生の顔は渋かった。横目で宮道先生も見てみるが、似たり寄ったりな表情をしていた。
「術者の少子高齢化が進みすぎている現状から考えると、誰かがすぐに助けに来てくれるわけじゃない。だから弱い術者ほど結界を覚えるのが最優先だ。つべこべ言わずに張ってみろ」
先生たちの圧が強すぎる視線に、結菜は目を泳がした。
知識としては知っているとしても、実際にやったことはない。祖父母にも兄にも才能やセンスのなさを言われていたし、覚える必要もないと何度も告げられた。
ええと、確か、結界と言うだけでできたはず。
胸の前で右手をぎゅっと握って、結菜は目を瞑った。
「け、結界」
何も起きなかった。やっぱり、自分にはできるわけなかった。
どこか期待していた自分の力に結菜はがっかりした。俯いた頭に誰かが優しく手を乗せて、撫でてくれた。顔を上げると、宮道先生が優しく笑っていた。
「大丈夫や、大丈夫。最初はそんなもんや」
「……そうなんですか?」
「そんなわけねぇだろうが。こんなのもできないようじゃ、こっちが迷惑なんだよ」
優しさと厳しさの間で結菜はどんな顔をして良いか悩んだ。視線を泳がせながら黙っていると、三善先生が鞄の中からくたびれた本を取り出した。
「とりあえず、これを頭に叩き込んで、ひたすら反復しろ」
目を細めて結菜を睨む先生がそこにいた。これはもう、頷く以外の選択肢が用意されていない。とはいっても、文庫本サイズだが、暑さは辞書並み。これを覚える余裕が、今はない。せめて学年末テストが終わってから。
「一週間でとりあえず覚えてこい」
何を言っているんでしょうか、この先生は。
四日連続の学年末テストを明後日に控えてるし、テストの翌日は仁義なき球技大会。
連日のテスト勉強に、毎日爆睡するほど体を酷使するほどの練習。その上、術者修行を加えることは到底無理だ。
「三善、それはきついんと違うか? 見てみ、結菜ちゃん固まってるやん」
「今でさえあぶねぇのに、これ以上危険に晒してどうするんだよ」
「言うてもなぁ。本業は勉学やろ」
二人の言い合いにいたたまれなくなり、結菜はぐっと唇を噛んだ。
「……やります」



