わたくしを迎えた蘿月様が最初に行ったことは、草に埋もれたわたくしの魂の墓を綺麗にすることでした。やっと姿を取り戻しつつある屋敷のその裏に三人分の墓があって、その隣にぽつんと目立つ大きさの石だけが置かれています。そこは周りを草に囲まれている割には綺麗で、もうずっと長く放置されている場所には見えなかったのですが、どうやら、躑躅さんが時折――時折といっても、人間の感覚よりもずっと長い、五十年や百年置きだったのですが――様子を見に来ていたようで、墓には落ち葉は積もれども、倒れたり傷がついたりはしていないのでした。
さくや、さよ、すず。彼が呟く声に倣って、わたくしも三人の名を呼びます。蘿月様を守り神の姿に留めてくれた三人。わたくしの魂。その身体。会ったことのない三人であるのに関わらず、三人が蘿月様にお仕えする姿が目に浮かぶようでした。
「四人人も、神に仕える家に生まれたのだ。だから俺が見つけて、迎えるのに、苦労はかからなかった」
「わたくしだけ、でしたのね」
蘿月様は、静かに頷きました。
わたくしはまだ十四ではありますが、江戸の頃、今もあるのだとは思いますが、遊郭にいた女の中にはわたくしと同い年でありながらも身体を売ることが多かったそうで、よくもまあ、志貴様がわたくしの初経を待ってから行為を迫ろうとしたものだ、と思いましたが、身体の変化の後に穢すことに強い意味があるようなので、助かったから良いと思うことにしていました。
一度蘿月様と交わってしまえば、他の者に穢されてもかんなぎの力を喪うことはないそうなので、わたくしは彼に頭を下げて、早く抱いて欲しいと言ったのですが、彼にやんわりと止められました。まずは身体を回復させようと。この神社は結界を張ってあるし、出かけるときはひとりにさせないから、心配しなくて良いと。彼はそう優しく、わたくしを安心させるために微笑みましたが、わたくしの中で、志貴様にあの恐ろしい目で身体を穢されそうになったということが、まだ強い恐怖として瞼にこびりついていましたので、きっと、わたくしの瘦せ細った身体がいくらか健康に見えるようになった頃に、また彼に頼みこむのだろうと思いました。ただ、彼もそれは分かっているようで、わたくしを拒もうとすることはなく、彼の眠る布団にわたくしが入り込んだ時も、決して揶揄うことも追い出すこともなく、ただそっと、瞼を撫でてくれるのでした。
「俺は志貴を殺そうと思う」
彼が小さく呟いたのは、墓の掃除が終わり、一息ついていた頃でした。落ち葉を乗せた涼しい風が境内からこちらまで吹き抜け、山に切り立った崖に跳ね返るようにして、わたくしの頬を撫で、彼の髪を揺らします。
どうやら志貴様が扱う呪術は、鬼やら死霊やら、人ならざるものの力を食べて得たものである都合で、彼がお祓いをすると、一見、悪いものが消えたようには見えるのですが、今度は志貴様が放った悪いものの力がお祓いに頼った人の身体を蝕むのだそうで、何年後かにまた志貴様の元に頼るようになったり、他の人に災いが降りかかったりするのだそうです。彼はそうして、何度も人々が志貴様を頼る環境を作ることでお金を得ているのだと、彼は言いました。だからドレスを買うほどのお金があったのだと、ようやく納得し、信者の方に申し訳なく思いましたが、わたくしが欲しいと望んだものではありませんので、わたくしに非はないと、自分に言い聞かせる他ありません。
「志貴に愛着はあるか」
彼が慎重に訪ねてきて、わたくしは曖昧に笑みを浮かべました。少々困る質問です。
「愛着、と聞かれると、悩みますね。確かに、殴られも蹴られもしましたし、怖い思いもしましたが。機嫌さえ損ねなければ、生家よりは良い場所でしたので」
愛着というよりも、恩、でしょうか。そう答えると、彼はほっとしたようにも、困ったようにも見える表情を浮かべました。なんて心の綺麗な方なのでしょう、そう思いました。
「ですが、そうですね、わたくしが彼を赦してしまうと、前世のわたくしが、あまりにも報われないので。どうぞ、蘿月様のしたいようになさってください」
こんな綺麗な方に、決断をゆだねてしまうのは、気の毒であるのでしょう。五百年の時の中、彼に復讐を仕掛けようとする機会はきっとあったはずなのに、もっとも、彼が武力を持っていたのかはわたくしは思い出せないのですが、とにかく、彼は己の復讐のために力を使うことはできないようです。そんな彼が、わたくしを守るため、わたくしが受けた屈辱を晴らすために、力を使おうとしているのは、少々悲しくもあり、わたくしは気の毒な信者たちを思い浮かべました。
「これ以上、人々を苦しめてもいけませんから」
彼は困ったように笑い、そうだな、と言いました。
これまでの人生の中で、お義母様やほたるたちを恨んだことは、ないとは言いませんが、人を恨み、不幸を願い続けるのも苦しいもので、わたくしは結局、自分が我慢することを選びました。我慢するほうが、楽でした。きっと彼も同じなのでしょう。わたくしたちには、復讐を選び取る強さはなく、ただ、その存在が消えることで、相手が楽になるのなら、そうしたいと思うばかりでした。そして、それ以上には、志貴様が討伐されるのを拒む理由もありませんでした。
「どのみち、志貴は、放っておけばまた五百年後もお前を捕えるだろう。俺はそれが我慢ならない。俺のために、許してくれ」
「はい」
「お前の生家も、お前が望むのなら、相応の罰を与えることが出来るが」
「いいえ。彼らは、自分たちの行いのために、いずれ破滅の道を歩むでしょう。蘿月様が手を下すまでもありません」
「分かった」
わたくしに舶来の品の値打ちは分かりませんが、萩原の家からの支援金がなくなれば、彼らが借金に喘ぐのは明白です。わたくしを虐げながらも、わたくしのために金銭を得ていた彼らの末路には、相応しいのでしょう。わたくしの心に潜む醜いものは、もっと罰を願っているようでしたが、わたくしの心の脆い部分は、わたくしが望んだ罰に苦しむことも分かっていたので、それ以上は要りませんでした。
「躑躅にも言い聞かせておく。あれは復讐をしても気にならんやつだからな」
「ええ、そうしていただけると。きっとお父様も弟も、色仕掛けには弱いでしょうから」
呟くと、彼はそっと笑みを浮かべました。
「実は、二百年前に刀を打たせていたのだが。打たせて以降、俺がなかなか動けなくなってしまってな。まだ取りに行けていないのだ」
「その刀は、もしかして」
「志貴を殺すための刀だ。我ら人ならざる者の中でも、特に道具を作ることに優れている者でな。探しにいくのだが、一緒に来るか?」
「もしや、新婚旅行、ですか」
わたくしの少々ずれた答えに、彼はぷっと噴き出しました。よほどおかしかったようで、しばらく彼は身体を振るわせて笑っていて、わたくしはだんだん恥ずかしくなってきたのですが、やがて彼は「そうだな、新婚旅行だな」と言うのでした。
さくや、さよ、すず。彼が呟く声に倣って、わたくしも三人の名を呼びます。蘿月様を守り神の姿に留めてくれた三人。わたくしの魂。その身体。会ったことのない三人であるのに関わらず、三人が蘿月様にお仕えする姿が目に浮かぶようでした。
「四人人も、神に仕える家に生まれたのだ。だから俺が見つけて、迎えるのに、苦労はかからなかった」
「わたくしだけ、でしたのね」
蘿月様は、静かに頷きました。
わたくしはまだ十四ではありますが、江戸の頃、今もあるのだとは思いますが、遊郭にいた女の中にはわたくしと同い年でありながらも身体を売ることが多かったそうで、よくもまあ、志貴様がわたくしの初経を待ってから行為を迫ろうとしたものだ、と思いましたが、身体の変化の後に穢すことに強い意味があるようなので、助かったから良いと思うことにしていました。
一度蘿月様と交わってしまえば、他の者に穢されてもかんなぎの力を喪うことはないそうなので、わたくしは彼に頭を下げて、早く抱いて欲しいと言ったのですが、彼にやんわりと止められました。まずは身体を回復させようと。この神社は結界を張ってあるし、出かけるときはひとりにさせないから、心配しなくて良いと。彼はそう優しく、わたくしを安心させるために微笑みましたが、わたくしの中で、志貴様にあの恐ろしい目で身体を穢されそうになったということが、まだ強い恐怖として瞼にこびりついていましたので、きっと、わたくしの瘦せ細った身体がいくらか健康に見えるようになった頃に、また彼に頼みこむのだろうと思いました。ただ、彼もそれは分かっているようで、わたくしを拒もうとすることはなく、彼の眠る布団にわたくしが入り込んだ時も、決して揶揄うことも追い出すこともなく、ただそっと、瞼を撫でてくれるのでした。
「俺は志貴を殺そうと思う」
彼が小さく呟いたのは、墓の掃除が終わり、一息ついていた頃でした。落ち葉を乗せた涼しい風が境内からこちらまで吹き抜け、山に切り立った崖に跳ね返るようにして、わたくしの頬を撫で、彼の髪を揺らします。
どうやら志貴様が扱う呪術は、鬼やら死霊やら、人ならざるものの力を食べて得たものである都合で、彼がお祓いをすると、一見、悪いものが消えたようには見えるのですが、今度は志貴様が放った悪いものの力がお祓いに頼った人の身体を蝕むのだそうで、何年後かにまた志貴様の元に頼るようになったり、他の人に災いが降りかかったりするのだそうです。彼はそうして、何度も人々が志貴様を頼る環境を作ることでお金を得ているのだと、彼は言いました。だからドレスを買うほどのお金があったのだと、ようやく納得し、信者の方に申し訳なく思いましたが、わたくしが欲しいと望んだものではありませんので、わたくしに非はないと、自分に言い聞かせる他ありません。
「志貴に愛着はあるか」
彼が慎重に訪ねてきて、わたくしは曖昧に笑みを浮かべました。少々困る質問です。
「愛着、と聞かれると、悩みますね。確かに、殴られも蹴られもしましたし、怖い思いもしましたが。機嫌さえ損ねなければ、生家よりは良い場所でしたので」
愛着というよりも、恩、でしょうか。そう答えると、彼はほっとしたようにも、困ったようにも見える表情を浮かべました。なんて心の綺麗な方なのでしょう、そう思いました。
「ですが、そうですね、わたくしが彼を赦してしまうと、前世のわたくしが、あまりにも報われないので。どうぞ、蘿月様のしたいようになさってください」
こんな綺麗な方に、決断をゆだねてしまうのは、気の毒であるのでしょう。五百年の時の中、彼に復讐を仕掛けようとする機会はきっとあったはずなのに、もっとも、彼が武力を持っていたのかはわたくしは思い出せないのですが、とにかく、彼は己の復讐のために力を使うことはできないようです。そんな彼が、わたくしを守るため、わたくしが受けた屈辱を晴らすために、力を使おうとしているのは、少々悲しくもあり、わたくしは気の毒な信者たちを思い浮かべました。
「これ以上、人々を苦しめてもいけませんから」
彼は困ったように笑い、そうだな、と言いました。
これまでの人生の中で、お義母様やほたるたちを恨んだことは、ないとは言いませんが、人を恨み、不幸を願い続けるのも苦しいもので、わたくしは結局、自分が我慢することを選びました。我慢するほうが、楽でした。きっと彼も同じなのでしょう。わたくしたちには、復讐を選び取る強さはなく、ただ、その存在が消えることで、相手が楽になるのなら、そうしたいと思うばかりでした。そして、それ以上には、志貴様が討伐されるのを拒む理由もありませんでした。
「どのみち、志貴は、放っておけばまた五百年後もお前を捕えるだろう。俺はそれが我慢ならない。俺のために、許してくれ」
「はい」
「お前の生家も、お前が望むのなら、相応の罰を与えることが出来るが」
「いいえ。彼らは、自分たちの行いのために、いずれ破滅の道を歩むでしょう。蘿月様が手を下すまでもありません」
「分かった」
わたくしに舶来の品の値打ちは分かりませんが、萩原の家からの支援金がなくなれば、彼らが借金に喘ぐのは明白です。わたくしを虐げながらも、わたくしのために金銭を得ていた彼らの末路には、相応しいのでしょう。わたくしの心に潜む醜いものは、もっと罰を願っているようでしたが、わたくしの心の脆い部分は、わたくしが望んだ罰に苦しむことも分かっていたので、それ以上は要りませんでした。
「躑躅にも言い聞かせておく。あれは復讐をしても気にならんやつだからな」
「ええ、そうしていただけると。きっとお父様も弟も、色仕掛けには弱いでしょうから」
呟くと、彼はそっと笑みを浮かべました。
「実は、二百年前に刀を打たせていたのだが。打たせて以降、俺がなかなか動けなくなってしまってな。まだ取りに行けていないのだ」
「その刀は、もしかして」
「志貴を殺すための刀だ。我ら人ならざる者の中でも、特に道具を作ることに優れている者でな。探しにいくのだが、一緒に来るか?」
「もしや、新婚旅行、ですか」
わたくしの少々ずれた答えに、彼はぷっと噴き出しました。よほどおかしかったようで、しばらく彼は身体を振るわせて笑っていて、わたくしはだんだん恥ずかしくなってきたのですが、やがて彼は「そうだな、新婚旅行だな」と言うのでした。



