鴛宮影玄が堂上沙夜を娶ったという事実を堂上家にもたらしたのは、たった一枚の紙切れだった。
「あ、あり得ないわ!」
 堂上家の書斎に、美朝の金切り声が響く。書斎机に文書を叩きつけ、美朝は父親に詰め寄った。
「父様、こんな事をお許しになるつもり!? だいたい花嫁選定の儀もなしにお姉様が選ばれるなんてずるいわ! 一体どんな手を使ったっていうのよ。今すぐお姉様を取り返しにいきましょう!」
 けれど、いつもなら絶対的に美朝の味方をしてくれるはずの父は、歯切れ悪くこう答えた。
「鴛宮家と繋がりができるなら、堂上家としても万々歳というかだな……。それに、婚姻届はすでに提出されている。今更できる事はないんだ」
 そうして書斎を追い出されて、美朝は足音も荒く自室へ戻った。
(信っじられないわ! この私が頼んでいるのに!)
 文机に両手をついて、ギリギリと歯軋りする。美朝にとって、沙夜が幸福になるという事実は、たまらなく許し難かった。
(だって、私とお姉様は——)
 双子の巫女は、ふたりでひとつ。
 それを痛切に感じ取ったのは、今から十年前。
 そもそも昔から、美朝はあの双子の姉が嫌いでしょうがなかった。だってそうだろう。双子だからという理由で、美朝にはいつも沙夜と同じ物が与えられていた。美朝が一人っ子ならきっと全部を独り占めできていたはずなのに、両親からの愛も、贈り物も、何もかもが半分になってしまう。
 そのくせ、沙夜には婚約者がいた。美朝にはいないのに、沙夜にだけ亨が与えられた。実はこっそり聞いた事がある。亨は沙夜と美朝、どちらを選んでもよいと言われ、沙夜を選んだのだと。沙夜の方が素直で愛らしく、何事にも一生懸命で可愛いからと。
 ふざけた話だ。
 美朝の方が絶対に優れているし、愛されるべきだ。何が素直だ。美朝と沙夜は同じ顔をしている。どっちを選んだって同じ話だ。なぜそれが分からないのだろう。
 沙夜が〈月禍の娘〉になったのは、そんな時のことだ。
 沙夜を可愛がっていたはずの亨はあっという間に沙夜を見捨て、今度は美朝を婚約者に選んだ。そうだ。それこそが正しい選択だ。
 いまいち突き抜けなかった霊力も、沙夜が月禍の娘になってからは純度を増した。美朝の力は誰からも歓迎され、今や〈日輪の巫女〉としてどこへ行っても注目の的。
 双子の巫女は、ふたりでひとつ。
 そういう事だったのか、と美朝は納得した。美朝と沙夜は表裏一体。能力だけではない。沙夜が不幸であればあるほど、美朝の幸福は大きくなってゆく。そういうものなのだ。沙夜が凡庸なら、美朝はいつまでも特別でいられる。
 ならば、美朝がやる事は一つだった。できる限り沙夜を不幸にする。姉から何もかもを奪い、限界まで痛めつけて苦しめる。沙夜が苦しむ姿を見るのは気分がよかった。その後に自分の幸福が約束されているようなものだから。
(それなのにお姉様が幸福になったら、私はどうなるのよ!)
 苛々と爪を噛む。昔、淑女らしくないからやめなさいと母に諭された悪癖だった。だが母はもういない。だって母は——。
「……ああ、そうすればいいのね」
 口から爪を離し、美朝はぽんと両手を打った。なんだ、簡単な事だったのだ。
「うふふ、あの女がどれほど罪深いのか、鴛宮様はご存知ないのだわ。だから私が教えて差し上げなくっちゃ。そうすればきっと、鴛宮様は正しい行いをした私を選んでくださるはず。うふ、うふふふふ」
 部屋の外から、使用人が亨の訪問を知らせてくる。美朝はニヤリと笑みを深めた。あの婚約者が今でも時々、沙夜を目で追っている事には気づいていた。それにほんの少し、鴛宮影玄への劣等感を刺激してやれば容易く動いてくれるだろう。鴛宮影玄の妻を奪うのは、なかなか魅力的な仕事に違いない。
「鴛宮様の花嫁だなんて、お姉様には荷が重いわ。お可哀想に、私が代わってあげましょう。私たちはふたりでひとつだもの。助け合うって、こういうことよね? それにまだ切り札はあるわ」
 かたわらの長持を開け、中を覗き込む。そこに収められた小さな壺を、美朝は愛おしく撫で上げた。