この帝都において、月は災いの象徴であった。
 月夜になると蝕魔と呼ばれる魔物が跋扈する。その正体は月から生まれた化生とされ、怯える人々を容赦なく喰らった。遠い昔には〈月華の姫〉と呼ばれる娘が月の女神と心を通わせたともいうが、化石と同じくらい古い話である。今では音だけ残って、月による災いを総称して月禍という。
 現在を生きる帝都の人々にとっての唯一の救いは、霊力の高い人間であれば斬り伏せられる事だ。そこで帝都では近衛討禍隊という精鋭を集めた帝の直属部隊を作った。夜な夜な蝕魔と戦い帝都を守る彼らは、帝都の憧れの的である。
 しかし帝都の人間にとって、月の光は等しく毒だった。
 長時間浴びていると月射病と呼ばれる病に罹り、肌から月光に汚染され、骨は朽ちて臓腑が腐り、やがて死に至る。
 これでは討禍隊が蝕魔と戦えない。
 そこで求められたのが、穢れを祓う巫女だった。
 彼女らは高い霊力でもって治癒を行い、討禍隊を浄めるのだ。こちらもまた、帝都では尊敬の目を集める崇高な存在だった。
 そんな中で、堂上家は以前より優秀な巫女を輩出する名家だ。
 特に十七年前生まれた双子——美朝と沙夜は霊力が高く、巫女の統括機関である月祓宮からの期待も高かった。
 父も母もそんな娘たちを誇りに思い、娘たちを慈しんで育てた。
 沙夜は今でも思い出す。あの優しい日々を。父の穏やかな笑顔と、母の優しい手を。あの頃は美朝とも仲良しで、沙夜はこの幸福が続くのだと信じて疑わなかった。
 しかし沙夜の運命は一変する。
 十年前、〈月禍の娘〉になってしまった時から。
 双子の巫女は、ふたりでひとつ。どちらかが優れた治癒の力を持つなら、もう片方は破滅の力を持つのが道理。
 ——そちらに選ばれたのは、沙夜の方だった。
 当時七歳の沙夜は、庭で美朝と遊んでいた。
 転んでしまった美朝を助け起こしてあげようとしただけだった。泣きそうな妹の手を何の気なく握って——気づけば、美朝が絶叫しながら地面をのたうち回っていた。
 沙夜はすぐに美朝と引き離された。月祓宮から老練の巫女が派遣され、沙夜を確認し、破滅を司る月禍の娘であると判定された。
 以降、沙夜に自由はなくなった。
 力を封じる手袋の着用を命じられ、使用人のごとく扱われる。美朝と隣同士だった部屋も、屋敷の奥にある狭い物置になった。食事は当然残り物で、出ない事もある。
 長じるにつれて、美朝との違いはどんどん際立っていった。美朝は治癒に優れた〈日輪の巫女〉として崇めたてられ、月祓宮では優れた成績を残し、社交界では引きもきらず声をかけられる。一方沙夜は、不吉な月禍の娘として誰からも忌まれ、使用人からさえも目も合わせてもらえない。
 ぞんざいな扱いは母が死んでからより加速し、今や沙夜は未来になんの希望も抱かず、死んだように日々を送るだけとなったのだった。