「蘭丸、よく言った。おかげで迷いが取れた」
どんな時代にどんな状況で生まれようとも、この世を生き抜かなければならないことに変わりはない。
俺はただ自分の人生を生きるのみだ。
「明後日の茶会の準備はどうなっている?」
「万事滞りなく」
「して、光秀は明日にはここへ来るのか?」
「さように申しておりました」
「そうか」
迷っている暇はない。
俺はいま自分の出来ることを出来る限りやるしかない。
「密命を与える。誰に知られることもないよう、光秀を俺の所に連れて参れ」
「かしこまりました」
蘭丸が部屋を出て行く。
運命を決める朝を迎えた。
要塞のように重々しく荘厳な庭園の向こうに目覚めたばかりの太陽が昇る。
まるで生まれ変わった気分だ。
だがそれは他の誰のものでもない、俺自身の人生だ。
この先何度、こんな朝を迎えることが出来るだろう。
そんなことを思いながらも、もそもそと布団から起き上がる。
俺が死ぬまであと一日。
初めてここで目覚めた時と同じように、年端もいかぬ幼い小姓が世話を焼きにきた。
彼らは小さな手で着物を運び、ちゃんと着替えを手伝ってくれる。
ここにいる彼らは全て、俺のためにいるんだ。
仕上げの帯がキュッと締められた。
差し出された扇を受け取ろうとした時、タイミングがずれ床に落とす。
「も、申し訳ございません!」
その瞬間、渡し損ねた小姓だけでなく、その場にいた坊主全員が即座にひれ伏した。
「よい。それを拾ってくれ。恐れることは何もない。ご苦労だった」
ガタガタと震えていた子供の顔に、ぱっと安堵と喜びの表情が広がる。
俺が微笑みかけると、今度はにこにことはしゃぎ始めた。
「信長さま。明日の茶会の支度を、検分なさいますか?」
そういえば、茶会ってアレだよな?
いわゆる茶道ってヤツだよな?
茶会の作法なんて、知らねぇぞ。
信長って、確かお茶好きだったんだよな。
これはこれでマズい。
「蘭丸。茶会での作法を俺に……。いや、何でもない」
そうだ。
信長は破天荒な人物だったんだ。
俺がその信長なら、作法もクソもないじゃないか。
ドンと構えているだけでいい。
明日死ぬかもしれない人間だ。
恐れることは何もない。
「ははは。明日はよい一日になりそうじゃの」
「はい。一同楽しみにしております」
作法習慣伝統なんてものは、クソ食らえだ。
俺が新しいルールになるなら、それもいいじゃないか。
もし生き延びれば、この時代の常識も慣習も、俺に都合よく全部変えてやる。
茶席に用意されていた飾り付けや間仕切りのようなものも、坊主に命じて全部取っ払ってやった。
俺主催のパーティーだ。
やりたいように出来なくてどうする。
常識か非常識かなんて、その場での多数派であるかないかの違いだけだ。
俺はこれからまさに、自分の運命を決める決断をしようとしている。
物事を選び決定していくことの出来ない誰かに、自分の身を任せるつもりはない。
他にもあれこれと指示を出し、あれやこれやも全てやり直させる。
「こんなことにすら考えも及ばぬとは、ただただ呆れるな」
「信長さまの英知は、凡人の及ばぬところにございます」
坊主たちが揃ってひれ伏す。
それは違う。
この時代の他の多くの人間の考える常識とやらが、理解出来ないだけだ。
時がたてば、俺もただのつまらないどこにでもよくいる奴の一人にすぎない。
「殿。お耳をよろしいでしょうか」
蘭丸が俺の足元に膝をつき、その美しい首元を眼下に晒す。
「何事だ」
「昨夜よりお呼び立てしていたものが、奥に参っております」
光秀だ!
俺は華やかに茶会の準備が進む庭園と部屋の様子を見渡した。
この栄華も幸福も、全てはそこにかかっている。
「案内いたせ」
俺は蘭丸に連れられ、光秀の待つ場所へと向かった。



