彼女は、さながら童話のプリンセスのような輝きをもって現れた。落合(おちあい)莉子(りこ)は、幼い頃に絵本の中で憧れた愛らしさをそのままに宿した彼女に目を奪われた。

 有川東(ありかわひがし)高校の入学式の日、二人の新入生が大きな話題になった。落合莉子と、舘原(たてはら)美依菜(みいな)。同じクラスに所属する彼女たちは、ともに美しかった。

 莉子は、居心地の悪さを感じながら、教室の指定の席に座って、このあとのスケジュールの確認をしている。
「ねぇ、あの子でしょ。落合さん。顔小さ! 脚長っ! モデルさんみたいにきれい」
 ほかのクラスからやってきたらしい女子の声は、莉子のもとまで届く。これまでもそういった賛辞を受けてきてはいるが、たいていが悪意を含むので、あまり気分の良いものではない。それに、今回は特に気後れしてしまう。
 その理由は、同じクラスの舘原美依菜にあった。
 舘原美依菜は、莉子がこれまで会った女の子の中で、最も可愛らしい人物だった。
 少女漫画のように大きな瞳を彩る長いまつ毛に、ぷっくりとした唇。肌は透明感にあふれ、顎と口は小さい。背中まで伸びた長い亜麻色の髪は、一筋の乱れも感じられない。紺のジャケットのブレザースタイルに映える首元の赤いリボンが、よく似合う。
 自分より圧倒的に美しい女の子がいる前で褒められるのは、よりいやな気分になる。
 自分より後ろの席に座る美依菜をそっと盗み見る。美依菜も落ち着かない様子で、配られたプリントに目を落としたり、ペンケースをいじったりしている。
 それも仕方のないことだと、莉子は思う。ほかにも十分に聞こえていた。
「落合さんも舘原さんも可愛すぎる」
「落合さんはきれい系、モデル系って感じで、舘原さんは可愛い系、アイドル系って感じ」
「俺は舘原さん派だな。守ってあげたくなる」
「いや、落合さんだろ。黒髪ショートが似合いすぎ。高嶺の花って感じで最高」
「どういう美容やメイクしたら、あんなに顔が整うの」
「あれは天性だよ。小手先でどうにかならないって」
 入学式と最初のホームルームが終わり、クラスごとの写真撮影を待つ短時間が、やたら長く感じる。羨望と憧憬と、ほんの少しの嫉妬が混ざった視線と、無遠慮な言葉たちが投げつけられるのは非常に不愉快だ。莉子に聞こえているのだから、美依菜にも聞こえているだろう。
 ガタン、と音がした。振り向くと美依菜が立ち上がっていた。美依菜は、そのまままっすぐ莉子のもとへと大股で歩いてくると、莉子の細い手首に長い指を回した。
「行こっ!」
 莉子が驚いて顔を上げると、美依菜は優雅に微笑んでいた。その華奢な指からは想像できない力強さで引かれ、莉子は転びかけながら、走り出した美依菜の後を追った。

 入学初日でどこがどこともわからないまま二人で走り、いくつかある校舎の裏手に出た。簡素なベンチがあり、美依菜はそこに腰を下ろした。方が上下している。
「もう! いやになる! なんなのよ! 勝手に品評会みたいにして!」
 美依菜は鈴が転がるような声で、地団駄を踏んだ。
「ごめんね、いきなり連れてきて」
 美依菜は上目遣いで莉子に言う。色素の薄い瞳が、日差しを受けて輝いた。莉子は美依菜の隣に座る。ベンチはギシッときしみ、莉子は一瞬怯んたが、持ちこたえてくれそうだった。
「ううん、舘原さんだけいなくなって、一人残されるほうがいたたまれなかった」
「良かった。わたしも一人残されたら絶対にいやだから、落合さんも巻き込んじゃった」
 二人でクスクスと笑い合う。クラスから浮いている者どうしだからこそ、相手の気持ちがわかった。
「でも、舘原さん、すごく可愛いから、皆の気持ちもわかるよ」
 莉子は素直に心の内を述べる。
「えー、落合さんのがきれいだと思うけどな。ねぇ、基礎化粧品、どこの使ってるの? 肌のキメ細かさが理想なんだけど」
「えっと……あ、スマホを教室に置いてきちゃった。あとで教えるよ。連絡先交換してもらって良い?」
 莉子は遠慮がちに聞く。
 ──莉子は美人だから、わたしたちの気持ちはわからないよ。
 ──落合さんって男の子に囲まれていれば良いんじゃないの?
 これまで、女子たちに言われてきたことがリフレインする。中学までは友達が少なかった。嫉妬が変貌した嘲りは、莉子の心を容赦なく突き刺してきた。莉子は、自分の姿が好きではなかった。
 美依菜と仲良くなれるだろうか。
 しかし、その不安はすぐに砂浜に書いた文字のように掻き消されることとなる。
「もちろんだよ! 仲良くしようね!」
 美依菜は、莉子の両手を握って、ダリアのように華やかな笑顔を向けた。莉子はその笑顔に見惚れる。
「そろそろ写真撮影の時間かな。いやだけど、戻ろうか」
 美依菜は莉子の手を離して立ち上がる。そして、周りを見渡した。
「ていうか、ここどこだろう。教室に戻れるかな」
「わからない。とりあえず、表に出てみよう」
「そうだね」
 莉子も立ち上がる。二人で歩き出した。
「ねぇ、莉子って呼んで良い?」
「もちろん。美依菜で良い?」
「うん! 友達ができて嬉しいな」
 美依菜は、莉子の隣でずっと笑顔でいる。
 友達。莉子にとっても嬉しい言葉だった。

「はい、じゃあ部活の説明はこれくらいで、あとはパートの希望を出してね」
 四月も中旬になり、徐々に高校生活に慣れてきた頃、莉子と美依菜は音楽室にいた。オーケストラ部の入部説明会が行われている。
 体験入部の時期にいくつかの部活をめぐり、二人が選んだのはオーケストラ部だった。同じ部活にしようと約束したわけではないが、二人とも、部活の雰囲気や活動内容が気に入ったのがオーケストラ部で一致した。
 入部説明会をしてくれた人物は、二年生で部長の波多野(はたの)浩也(ひろや)と名乗った。パートは、トランペット。三年生は、受験に備えて引退しているので、部活は二年生が率いている。
 新入部員は二十九人。女子が多いが、男子もいる。部長も男子だ。有川東高校には公立校には比較的珍しくオーケストラ部があり、人気の部活と聞いていた。
 隣に座る美依菜が、莉子に顔を寄せる。手元には、パートの希望を書き入れて提出する用紙があった。
「ね、莉子。どのパート希望にする?」
「弦楽器かな。チェロが好きだった」
 体験入部の際に、気になる楽器を触らせてもらっている。莉子は、弦楽器の艷やかな音に憧れた。
「わたしも弦楽が良いんだけど、バイオリンかな。第一希望が必ず通るわけじゃないから、どうなるかわからないけれど」
「パートの人数調整の関係で、希望者が多いパートは、経験者優先で、あとはじゃんけんで決めるって言っていたね」
「第一希望に決まると良いね」
 美依菜は肩をすくめて笑った。
 最近では、二人の美貌をめぐる騒動は落ち着いてきている。美依菜は誰にでも笑顔で接するので、友達が多いが、莉子を一番大切にしていることは明らかだった。

 独特の姿勢になかなか慣れなかった。弦を押さえず弾く、開放弦すらうまく鳴らない。莉子は学校貸し出しのチェロを抱えて、ため息をついた。
 パートが決定してから三日。莉子も美依菜も第一希望の楽器を勝ち取った。チェロもバイオリンも人気のパートだったため、調整のためにじゃんけんになったが、幸運にも二人は勝利を手にした。
 結果として、莉子はチェロに苦戦している。
「慣れない……」
 パート練習は、各教室を借りて行っている。チェロのパート練習が行われているのは、二年C組。チェロは、二年生の先輩二人と、新入生二人の四人構成だ。
 莉子のパート同期は、瀬古(せこ)(のぞみ)という同じクラスの女子だ。お団子ヘアがトレードマークで、八重歯が可愛らしい。スマートフォンにつけたピンクのうさぎのぬいぐるみがお気に入りだと嬉しそうに話していた。
 希と並んで、開放弦の練習から始める。弓を持つ右手も、普段は使わない筋肉を使っている感覚がして、うまく手の形を作れない。
 希が言う。
「莉子ちゃん、前から見るときれいにできていると思うけどな。初心者のわたしが言うのもおかしいけれど」
「ありがとう。あとで先輩にも見てもらおう」
 莉子は、チェロパートメンバーの穏やかな雰囲気が好きだ。少し離れて楽譜練習をしている二年生たちもおっとりとしているタイプで、希もそうだ。皆、莉子を良くも悪くも特別扱いしなかった。少人数ではあるが、落ち着いた雰囲気だ。
 希と同じ速度で開放弦を弾いていく。音を合わせるのは楽しくて、莉子は、これから様々な曲で合奏ができることに、心を躍らせていた。
 帰りは美依菜と駅まで歩く。美依菜は学校から借りているバイオリンを家に持ち帰って練習しているため、スクールバッグを肩にかけ、バイオリンケースを背負っている。
 チェロも持ち帰ろうと思えばできるのだが、帰宅ラッシュの電車に、チェロのように大きい楽器を乗せる勇気もなく、莉子は諦めていた。
「バイオリン、構えから難しいよ」
 美依菜が弱音を吐く。
「チェロもだよ。弓の持ち方が難しいよね」
「わかる! でも、きれいな音が出せると嬉しいよね」
「先輩たちも優しいし、良い部活に入れて良かったよ」
 女子高生のおしゃべりは止まらない。美依菜が頷く。
「バイオリンはチェロよりも大所帯で、経験者の先輩もいるけど、やっぱり石見(いしみ)先輩はダントツ」
 美依菜が人差し指を立てた。莉子は、入部説明会のときに紹介された、その先輩を思い出す。名前は、石見燈馬(とうま)
「コンマスの先輩だね」
「そう!」
 コンマスとは、コンサートマスターの略で、ファーストバイオリンの首席奏者のことだ。オーケストラ全体を指揮する立場でもある。
「一年生はまだ合奏練習には参加できないからよく知らないけれど、部長の波多野先輩とも仲が良いんだよね」
「そうそう。コンマスはオケ全体のことを把握していないといけないから、部長との連携は必須なんだって」
 美依菜は第一バイオリンパートだ。石見の直下に入っていることから、憧れが強いのだろうと莉子は思った。
「良い先輩に恵まれて良かったね。チェロも雰囲気良いよ」
「そうなんだ! 顧問の先生もすごい人だよね」
角田(かくた)先生だね。男の音楽の先生って初めて見たけど、芸大のピアノ科卒なんだって。チェロの先輩が言っていた」
「角田先生が指揮をするんだよね。合奏、楽しみだなー。来週は楽譜もらえるもんね」
「まだ全然弾けないから焦る!」
 春の夕暮れに、高く笑い声が吸い込まれていく。

 莉子は、チェロのパート練習場である二年C組の教室で、チェロを抱え、譜面立てに乗った楽譜とにらめっこをしていた。
「ここで休符が二拍あって、それから八分音符をダウンで……」
 ぶつぶつと呟きながら追っていく。
 二年生の練習に合流して一週間。二年生たちのレベルに全くついていけず、多くの一年生がつまずいていた。指揮者で顧問の角田は、「慌てる必要はない」と鷹揚に笑っていたが、莉子の気は焦る。
 連日、莉子は居残り練習をしていた。希もやりたいと言っていたが、希は家の都合で、居残りの時間が取れないそうだ。莉子は一人、茜色に染まる教室で楽譜と向き合う。
 教室の扉がスライドする音がした。ここは二年生の教室のため、そのクラスの生徒が忘れ物を取りに来ることなどもよくあった。
「あれ、まだ練習しているの?」
 入ってきたのは、バイオリンケースを背負ったコンサートマスターの石見燈馬だった。
「あ、先輩。お疲れ様です」
 莉子は、チェロを支えて立ち上がる。石見と話すのは初めてだ。
 石見のバイオリンの実力は、合奏を聴けばすぐにわかった。明らかに石見のバイオリンがよく鳴っている。その艷やかな音色は、オーケストラの合奏を壊さないながらも目立つ。
「いいよ、立たなくて。ごめんね、邪魔して。俺は帰るところなんだけど、教室にテキスト忘れちゃったから取りにきただけ」
「先輩、C組なんですね。あ、話すの初めてですよね。わたし、一年B組の落合莉子です」
 石見は整った顔立ちで微笑んだ。
「知ってる。入学式のとき、ファーストバイオリンの舘原さんと一緒にすごい話題になっていたから」
 莉子は、あの騒動を思い出して苦い顔になる。
「やめてくださいよ」
「ははは、ごめん」
 石見は気さくに受け答えをする。莉子は緊張が解けていくのを感じた。
「石見先輩は、バイオリン経験者なんですよね」
「そうだね。三歳くらいからやっているかな」
 莉子は、大きく息を吐く。
「やっぱり積み重ねが違いますよね。わたしは初心者だから、合奏でも全然ついていけなくて」
「ほとんどの一年生がそうだよ。今の二年生も入部したての頃は、落合さんたちと変わらない様子だったんだから、心配することはないよ」
 そう言われると、焦燥感が少しやわらぐ。
「どこがわからないの?」
 石見が譜面台を覗き込む。
「え……あ、全体的にできていないんですけれど、一番はここの入り方で」
「ああ、ここ。ちょっと待ってて」
 石見は、バイオリンケースからバイオリンを取り出して、手早く準備をする。
「え! すみません! そんな!」
「良いよ。頑張ってる後輩のためだから。スコア譜はある?」
 スコア譜とは、全パートの旋律が載っている楽譜のことだ。
「はい。普段はあまり使いませんが」
 莉子はスコア譜を取り出して、石見に渡す。石見は、スコア譜をパラパラとめくると、該当のページを開いて、譜面台に置いた。
「オーケストラはほかの楽器の音を聴いたほうが弾けるときも多い。ここは、チェロの休符の間にセカンドバイオリンが出るんだ。ほら、これ」
 石見が指すところを見ると、確かにそのとおりになっている。
「その旋律がこう」
 石見が弾く。
「これを聴くと、チェロは出やすいと思う。ほら、やってみて」
「は、はい!」
 石見の音に合わせると、莉子はすんなりと旋律を弾き始められた。
「できた……!」
「ね? 今度からセカンドの音をしっかり聴いてみて」
「ありがとうございます! 石見先輩はファーストなのに、セカンドもすぐに弾けるんですね」
 石見は照れくさそうに笑う。
「全体を把握した方が弾きやすいんだ。俺はコンマスだし、一通りは確認するよ」
 莉子は、石見の真摯な姿勢に感動する。
「すごいです」
 石見はバイオリンをしまいながら言う。
「一年生たちは皆、頑張っているからね。俺たち二年生も頑張らないと。わからないことがあったら二年生に気兼ねなく聞いてね。俺も手伝うし」
「……ありがとうございます!」
 石見は手を振って帰っていった。
 莉子は、教わったばかりの感覚を忘れないように、繰り返し練習した。

 それ以降、莉子が居残り練習をしていると、石見が顔を出すようになった。莉子は石見にわからないところを訊き、石見が答える。
 それが日常になった五月の後半、莉子は石見に告白された。

「え! 石見先輩と付き合うことになったの!?」
 美依菜がまん丸に目を見開いて、持っていたフライドポテトをトレーの上に落とした。
「ちょっと! 声が大きい」
 莉子は、居残り練習後に美依菜と駅前のファーストフード店に来た。石見の告白をすぐに承諾した莉子は、この喜びを美依菜に報告したかったのだ。
「いつの間にそんなことに……」
 美依菜はやや呆然としている。
「石見先輩がチェロが練習しているC組所属だから、忘れ物を取りにきたときに教えてもらってから、ずっと面倒見てくれて。昨日、『付き合ってほしい』って」
 莉子は、顔が赤くなるのを感じる。尊敬する石見からの告白が嬉しくないわけがなかった。
「そうなんだ……」
 美依菜は言葉を探しているようだったが、ぱっと笑顔になり、身を乗り出した。
「とにかくおめでとう! 良かったね!」
 美依菜は祝福の言葉を贈る。莉子は素直に受け取った。
「ありがとう」
 莉子は幸せだ。彼氏ができて。それを祝ってくれる友達がいて。
 幸せだった。

 石見と莉子の交際の事実は、オーケストラ部にすぐに広がった。莉子は信頼する美依菜と希にしか報告していない。石見はそういうことを喧伝するタイプに見えなかったが、噂はどこから漏れるかわかるないと思った。
 石見との交際といっても、まだそんなに特別なことをしているわけではない。莉子は居残り練習を継続しているので帰る時間が合わず、同じく居残り練習をしている美依菜と一緒に帰っている。土日もまだスケジュールが合わず、デートに行くこともできていない。
 毎日、メッセージアプリで連絡はしているが、大きな変化はない。莉子にとっても初めての彼氏ではないし、焦るつもりもなかった。部活に行けば会える。
 六月に入り、梅雨の気配を感じる曇天の日、美依菜が教室で話しかけてきた。
「今日の合奏練習、小体育館でやるらしいよ」
「え、そうなの? 部活のグループメッセージには何も来ていないよね」
「波多野先輩の連絡し忘れかな? わたしはバイオリンの先輩に直接聞いた。音楽室の点検で、中に入れないんだって」
 莉子は眉毛を寄せる。
「それなら楽器を取りに入れないじゃない」
「楽器は音楽室前の廊下に一時的に出されるから、それを持って集合だって」
 莉子は納得する。
「わかった。ありがとう。助かったよ、美依菜」
 美依菜は手を小さく振って、自席に戻っていった。

 莉子は、担任の赤木(あかぎ)から雑用を頼まれ、部活に向かうのが遅れた。急いで音楽室に行くと、廊下にほとんどの楽器はもうなく、莉子はすぐに自分のチェロを見つけられる。
 チェロを背負って、小体育館を目指した。

 小体育館では、乾いた気持ちの良い音が響いていた。
「ほら! 回転足りない!」
「サーブ!」
 活動しているのは、卓球部だ。
 莉子は小体育館の入り口に立ち、戸惑う。今日は小体育館で練習ではなかったのか。
 卓球部の男子が莉子に気づく。
「あれ、どうしたの? 一年生? 何そのでかい荷物」
「あ、すみません。オーケストラ部の練習が今日は小体育館であるって聞いたんですけど……」
「え、そんなの聞いてないよ。今日は男子卓球部の活動日。あれ、もしかして、噂に聞いている、一年生の絶世の美女の片割れ?」
 男子部員の声に反応したほかの部員たちがわらわらと集まってきた。
「待って、めっちゃ可愛いじゃん。どうせ噂は盛ってるだろ、って思っていたのに、ガチじゃん」
「だから俺らも言ったじゃないですか! 先輩たち全然信じないんだから」
「うわ、やば……」
 部員の一人の手が莉子の肩に伸びる。莉子は身を引いたが、間に合わず掴まれた。
「ねぇ、オーケストラ部なんて辞めて、男子卓球部のマネージャーやらない?」
「それ、良いじゃん! あれ、もしかして石見と付き合ってる子?」
「あいつかよ。鼻につくんだよな、石見」
「石見なんてやめて俺らにしとけって。石見より良いと思うよ」
 ギャハハハ、と部員たちは大声で笑う。莉子は恐怖を感じた。掴まれた肩を振り払って、全力で小体育館から走る。後ろからまだ声がする。「おーい! なんで逃げるんだよ!」「気が向いたらいつでも来てねー!」「いや、キモいだろお前」
 莉子は、行く先もわからず、とにかく走った。

 部活はどこでやっているのか、わからない。音楽室の前に戻ってくる。鞄からスマートフォンを取り出し、美依菜に連絡を取ろうとしたとき、男子の声がした。
「いた!」
 部長の波多野だ。見慣れた顔に安堵する。右頬を温かい感触が落ちていった。
「え!? どうしたの。大丈夫? ごめんな、俺の伝達ミスで……」
「いえ……すみません、先輩は悪くないんです。ちょっとびっくりすることがあって……」
 莉子はうずくまる。背中のチェロが床に当たる。肩に温かい感触がした。顔を上げると、波多野もしゃがみこみ、遠慮がちに莉子の肩を撫でていた。
「何があったかわからないけれど、大丈夫か……?」
 カシャリ。音がした気がした。
 莉子はしゃがんだまま、周りを見渡す。しかし、おかしいことは何もない。
「どうしたの」
「いえ、気のせいです。ありがとうございます、大丈夫です」
 莉子は、涙をぬぐって立ち上がった。
「今日の練習はどこでやっているんですか?」
「視聴覚室だよ」
 美依菜に聞いていた話と違う。
「わたしは小体育館って聞いていて……」
「ごめん、俺がメッセージアプリに連絡忘れてたから、ちょっと混乱が生じちゃってる。さっき入れたから皆来たんだけど、落合さんだけ来なくて、欠席連絡もないから何かあったかと……」
 波多野は息を吐く。莉子は、手に持っていたスマートフォンに目を落とすと、画面に通知が出でいた。
「わかりました。探してくださってありがとうございます」
「歩ける? それとも今日、部活休む?」
「行きます」
「わかった」
 莉子は波多野と歩きだした。

 視聴覚室では、合奏が行われていた。波多野とともにそっと入り、チェロの準備をする。
 チェロを持って自分の席に行くと、演奏が止まったタイミングで隣の希が耳打ちをした。
「どうしたの?」
「間違ったところに行っちゃった」
「そうなんだ」
 角田がチェロを指名して弾き方を指導する。莉子と希は姿勢をただした。

「莉子、どこに行っていたの?」
 部活の休憩時間に、美依菜が目を丸くしながらやってきた。莉子はわざとらしく美依菜をにらむ。
「美依菜が今日の部活は小体育館って言うから」
「え! 視聴覚室だよね? わたし、小体育館って言った?」
「言った」
 莉子は低い声を出す。美依菜は慌てて謝る。
「え! ごめん! 言い間違えちゃったのかな。本当にごめんね」
 莉子はしばらく無言で美依菜を見ると、突然ニッと笑った。
「良いよ。言い間違えなんてよくあるだろうし」
「あー良かった。本当にごめん」
 美依菜は胸元に細い指を当てて、深く呼吸をする。
「驚かせてごめん」
「わたしが悪いから良いけどさ、びっくりしたよ」
「莉子ちゃんってば」
 やり取りを見ていた希がクスクスと笑う。
「希ちゃんも連絡してくれれば良かったのに」
「まさかそんなことになっているなんて、思いもよらなかったんだよ」
「それもそうだよね」
 莉子は笑い出した。釣られて、美依菜と希も笑い出す。
 それに冷水をかけたのは、管楽器のほうから聞こえてきた声だった。
 ホルンとオーボエを持った二年生女子が、周りに聞こえるように話し始めた。
「場所を間違えるなんてあるの?」
「舘原さんのせいにしてたけど、落合さんが聞き間違えただけじゃない? 性格悪い」
 三人の笑い声は消える。莉子は二年生たちを見つめる。
「石見くんと付き合ってるから、特別扱いが許されるんじゃないの」
「最高じゃん」
 皮肉に満ちた最後の言葉は、明確に莉子を見ながら発せられた。ぶつけられた純粹な悪意に、莉子は怯む。美依菜と希も、何も言えずにいた。
「やめろよ。場所を間違えた程度で」
 間に入ったのは石見だった。
「わ、ナイトのお出ましだ」
「怖い怖い。『俺の可愛い彼女をいじめるやつは許さない』ってやつ? ヒーローとお姫様だね。さすが美形は違う」
 石見が二年生たちをにらみつけると、彼女たちはやっと黙った。
 気まずい沈黙が場を支配したとき、角田が戻ってきた。練習再開だ。角田は、ぎこちない雰囲気を感じ取って、不思議そうに首を傾げた。

 授業が始まる前の朝、廊下の掲示板に、一年生たちが集まっていた。
 莉子は、その様子が気になりながらも、教室に入る。
 美依菜が飛んできた。
「莉子! あれ、大丈夫なの!?」
「何の話?」
 美依菜の迫力に押されながら、莉子は訊く。美依菜の顔は真っ白だ。
「廊下の……掲示板の……!」
 莉子は自席に鞄を置くと、教室を出る。掲示板の近くに行くと、莉子に気づいた生徒たちが意地悪く笑いながら、道を開けた。
「落合さんって、そんなに成績良くないんだね」
「てか、悪いじゃん。マジで顔だけ?」
「顔が良くて良かったね。これでブスなら目も当てられない」
 左右から強烈な言葉が刺される。莉子は掲示板に寄る。
 そこには、昨日返却された英語の文法の小テストが張られていた。名前の欄は、「落合莉子」。点数は、三十二点。
 莉子は頭が真っ白になる。反射的に小テストを剥ぎ取った。
「だっせ」
「可愛いからって調子に乗るからじゃん?」
 高らかな嘲笑がわき起こる。
「莉子!」
 美依菜が莉子に手を伸ばす。二の腕を掴むと、その場から莉子を引きずり出した。
 美依菜は真っ直ぐに歩き続ける。入学式の日に二人で逃げた校舎裏にやってきた。
「大丈夫……じゃないよね……」
 莉子は唇が震えて話すことができない。自分の荒い呼吸音だけが聞こえる。
「とりあえず、座って……」
 美依菜に促され、古いベンチに腰掛ける。ようやく莉子は落ち着いてきた。それとともに、強い羞恥が体中を駆け巡る。莉子は、剥がした小テストを胸に抱きしめるように体を丸めた。
「酷いよね……。それ、昨日戻ってきたテストだよね。なんで張られていたんだろう」
 莉子はようやく声を出すことができた。
「わからない……。なくなっていたことにも気づかなかった……」
「名前が書いてあるんだから、もし拾ったとしても張り出す必要はないよね。誰かが盗んだか……たとえ拾ったとしても悪意があるよね……」
 美依菜は冷静に分析する。莉子は小さく首を振る。
「心当たりはない。でも、わたしをきらっている人がいるんだと思う……」
 美依菜は莉子の背中をさする。予鈴が鳴った。
「予鈴だ。どうする? 今日は帰る?」
「……ううん。戻る。こんなのに負けたくない」
 涙を浮かべて、歯を食いしばりながら、莉子は言う。美依菜は莉子の背中を軽く叩いた。
「わかった。無理しないようにね」
「ありがとう、美依菜」
 二人は立ち上がり、教室を目指した。

 その日から莉子は好奇の目で見られ続けた。点数などすぐに記憶から消えるかと思っていたが、莉子の考えが甘かった。
 張り出されたテストを写真に撮られ、《有川東高イチの美女、英語三十二点www》という文言と、莉子の盗撮写真とともにSNSにアップされたのだ。
 生徒たちのアカウントに拡散され、この事件はほぼ全校生徒の知るところとなる。
 美依菜が家の用事で部活を休んだ日、莉子は石見と帰ることになった。
「莉子、大丈夫か」
 石見は付き合いだしてから、「莉子」と呼ぶようになった。莉子も、二人きりのときは、石見に敬語を使わない。
「正直、ちょっと参ってるかな……。発信元のアカウントはうちの生徒なんだろうけど匿名だし、誰かわからないのは気味が悪いね」
「……親御さんに相談してみたか?」
 莉子は頬を搔く。
「ううん、親には迷惑や心配をかけたくなくて」
「そうか。……俺も何もできない。情けない」
「燈馬くんは悪くないよ」
 莉子は鞄を持ち直す。
「こんなことに負けないから、わたし」
 燈馬は微笑むと、莉子の肩を抱く。
「強いな、莉子は」
 莉子は力がわいてくるように感じた。

 からかわれても、馬鹿にされても、莉子は無視を通した。そのうち、莉子の無反応がつまらなくなったのか、テスト張り出しの件は忘れられていった。
 期末テストが終わり、気が緩む頃だった。テスト前の部活休止があったので、カンを忘れていないと良いと思いながら、莉子はチェロを二年C組に運ぶ。今日はパート練習の日だ。
 二年C組に入ると、希が駆け寄ってきた。
「莉子ちゃん、これ、莉子ちゃんのアカウントって本当?」
 莉子が自分のスマートフォンを見せる。そこには、SNSのアカウントが映っていた。アカウント名は《オチアイリコ@裏垢JK》。プロフィール欄にはこう書かれていた。
《えっちなことに興味津々のJK1/有川東高/DM待ってます》
 希の手からスマートフォンを奪い取る。アイコンは、莉子の顔写真だ。この写真には見覚えがある。入部したときに撮った、集合写真を切り取ったものだった。
 投稿欄を見る。下着姿や、きわどいコスプレの写真が何枚か投稿されている。いずれも顔は写っていないもので、首から下の写真だ。
 莉子にはまったく身に覚えがないので、おそらくネットにあるアダルトコンテンツから拾ってきた画像だろう。しかし、何も知らない人間がこれを見たら、莉子の体だと思うに違いない。
 各投稿には、五十件以上のコメントがつき、大量のいいねもついている。そのコメントは、想像を絶するほどに気持ち悪いものであることを容易に予測できたので、莉子は開かずにスマートフォンを希に返した。
「わたしのわけないじゃん……」
「そ、そうだよね。これ、話題になってて……」
「こんなのどうすれば良いの……」
 二年C組の教室の扉が勢いよく開く。
「莉子!」
 やってきたのは美依菜だ。
「見たんだけど! 何あれ!」
「わたしが知りたいよ……」
 莉子は弱々しく答える。希が莉子の手を握る。
「とりあえずわたしのアカウントから、なりすましでSNSの運用会社に報告するよ。報告数が多いと凍結できるかもしれないから、ほかのフォロワーにも呼びかけて……」
「そんなことしたらこのアカウントが拡散するじゃない!」
 美依菜が希を叱りつける。希はびくりと肩を震わせて、莉子の手を放した。
「あ……ごめん」
「ううん、美依菜ちゃんの言うとおりだね。どうしよう……」
 莉子はため息をついて、頭を抱えた。
「希ちゃん、呼びかけてくれる? わたしも自分のアカウントでそうする」
「え、莉子ちゃん。でも……」
「良いよ。もうどうせ拡散してる。手遅れだ」
「莉子……」
 美依菜が莉子の肩に手を添える。また、教室に人が入ってきた。石見だ。
「莉子! あのアカウントは……」
「なりすましですよ、先輩」
 美依菜が代わりに答える。希が立ち上がって、石見にすがる。
「先輩、どうにかできないんですか? このままじゃ莉子ちゃんが……」
 石見は苦虫を噛み潰したような表情で莉子を見る。
「大人に介入してもらうしか……」
 莉子は顔を跳ね上げた。
「いやです! 親には絶対に知られたくない!」
「そんなことを言っている場合じゃないだろう!」
「でも、いやです!」
 莉子の両目から涙があふれる。石見は椅子に座り込んでいる莉子を抱きしめる。
「わかった。ごめん。莉子の意志を尊重する」
 石見は莉子の後頭部を撫でながら言う。
「何もできなくて……ごめん」
 莉子は声を上げて泣いた。美依菜と希は、立ち尽くしていた。

 予想どおり、莉子のなりすましアカウントの件は、生徒たちの間ですぐに共有された。
 あまりに悪質な内容から、報告する者も多くいたのか、そのなりすましアカウントは、間もなく凍結された。しかし、なりすましアカウントはなりすましではなく、莉子が本当に裏アカウントを運用していたと噂する声も絶えず、莉子は再び、生徒たちの遊び道具にされた。
「ねぇ、一年の落合さん、ヤバくない?」
「あんなキモいことして、おっさん釣ってカネ巻き上げていたんだろ。詐欺じゃん」
「売春ってこと? えぐ」
「そんなふうには見えなかったのに、人は見かけによらないよね」
 なりすましのアカウントに書いていなかったことまで尾ひれがついて、噂は学校の中を静かに泳ぐ。噂の共有は、教師に見つからないよう、巧みに、密やかに行われた。
 莉子は学校を休まなかった。休めば両親に勘付かれる可能性があるからだ。
 毎日頭痛がしたが、鎮痛薬を飲んで、針のむしろに向かって登校した。
 美依菜は懸命に莉子を庇った。クラスの男子が根拠のない噂で莉子をからかったら、激怒した。しだいに、莉子に対する直接的ないやがらせは止んでいった。

 部活のあと、莉子は昇降口でペンケースを音楽室に忘れてきたことに気づいた。今日は、美依菜は用事があるとのことで、一緒に帰ってはいない。引き返して、音楽室に戻る。
 音楽室の扉を開こうとしたところで、中に誰かいることに気づいた。
「わたし、莉子も先輩も心配なんです」
 美依菜の声だった。
「俺も、ってどういう意味?」
 答えたのは、石見だ。莉子は扉を薄く開け、中を覗き見る。二人は窓際に立って、向かい合っている。莉子の存在には気づいていないようだ。
「莉子の身におかしいことばかりが起きています。テストが張り出されたり、なりすましの悪質なアカウントが作られたり……」
「だから?」
 石見はうんざりと言わんばかりの様子で答える。美依菜は石見に必死に訴えかける。
「こんなこと、いつか先生や親にもバレます! このままでは、先輩も巻き込まれるかもしれません」
「だから何なんだよ。そんなのわからないだろう」
 石見はだんだん苛ついてきたようだ。
「では、単刀直入に言います。莉子と別れたほうが良いんじゃないですか」
 石見が美依菜をにらむ。美依菜は怯まずに続ける。
「先輩は人気があるから、莉子と付き合っていることで、莉子は嫉妬されます。逆に、莉子も目立つ子です。莉子と付き合う先輩が、いつ嫉妬のターゲットになってもおかしくない」
 美依菜は一呼吸置く。
「先輩と莉子が付き合うことは、二人にとって良くないことだと思います。だから……」
「莉子と別れろ、って?」
 石見は冷淡に言う。美依菜はかまわず頷いた。石見は鼻で笑う。
「あいにく、俺は莉子と別れる気はない」
「莉子がこれ以上酷い目に遭うかもしれないのに?」
「何? その言い方。舘原さんが莉子を攻撃しているように聞こえるよ。そういえば、練習場所の変更を莉子に間違えて伝えたのは、舘原さんだったっけ」
「あれは本当にミスで、わたしは莉子を陥れるようなことしません!」
 美依菜の頬に朱が差す。
 莉子は、音がしないように音楽室の扉を閉めた。そして、走り出す。
 莉子は察してしまった。きっと、美依菜も石見のことが好きなのだ。だから、莉子と石見を別れさせるよう仕向けている。
 そうなると、これまでの数々のいやがらせも、美依菜の仕業なのだろうか。疑念が頭にヘドロのように貼り付き、剥がれない。
 昇降口まで戻ってきたとき、莉子の足元に雫が落ちる。両の瞳から流れ落ちる涙は、何の涙なのかわからない。
 美依菜が莉子を裏切っている証拠はない。しかし、どうしてもそう考えてしまう。いつも庇ってくれた美依菜に対して疑惑を抱くことへの罪悪感もあり、莉子の心は混乱していた。
「落合さん? どうしたの」
 名前を呼ばれ顔を上げると、オーケストラ部部長の波多野画立っていた。
「え! どうしたの。泣いてる? 大丈夫?」
 波多野は莉子のもとへと駆け寄る。トランペットのケースを持っていた。
「どうしたの……」
 オロオロと狼狽しながら、波多野は鞄からポケットティッシュを取り出し、莉子に差し出す。
「朝、駅前で配っていたやつで申し訳ないけど」
 莉子はティッシュを受け取って、涙を拭いた。
「ありがとうございます……。ちょっと、混乱してしまって……」
「混乱?」
「美依菜……ファーストバイオリンの舘原さんと石見先輩が……話していて……」
 波多野の顔が険しくなる。
「あいつ……自分の彼女を悲しませるとか、最低だな」
「……きっと、何か事情があるんだと思います」
「どんな事情があっても、大切な人を悲しませるのはだめだろう!」
 波多野は強く言い切る。そして、聞こえないほど小さな声でつぶやいた。
「俺なら、悲しませないのに……」
「え?」
「……いや、なんでもない。大丈夫? 帰れる? 駅まで一緒に行こうか」
 莉子は迷ったが、波多野の厚意に甘えることにした。
「すみません、お願いできますか」
「よし、じゃあ帰ろう。ね、落合さんって、普段はどんな音楽を聴くの? あ、先に靴を履き替えてくるね! 待ってて」
 波多野は少し離れた下駄箱に早足で向かった。

 波多野との帰り道は楽しかった。
 好きなアーティストの話やハマっている動画配信者など、他愛もない話ができることが嬉しかった。
 美依菜ともいつもこうして話していたはずなのに、それがとても遠く感じる。
 ──美依菜が、わたしを攻撃しているのだろうか。
 わきあがる疑問は、波多野との会話でふたをした。

 翌日、莉子が楽器を取りに音楽室に向かうと、中から罵声とともに仲裁の声も聞こえてきた。
 何事かと思い扉を開けると、石見と波多野が胸ぐらを掴み合っていた。
「だから! お前はなんで落合さんを悲しませているんだよ!」
「悲しませた覚えはねぇよ!」
「そんなわけあるか! 昨日、落合さん、泣いていたぞ!」
「なんでお前がそんなことを知っているんだ!」
 ほかの二年生たちは、二人を引き剥がそうと必死になっている。
 希が莉子の存在に気づき、スマートフォンをポケットにしまって駆けてきた。
「莉子ちゃん! 二人を止めて!」
 莉子は希の肩を押しやると、石見と波多野のもとへと急ぐ。
「何をやっているんですか!」
 莉子の登場に、二人はぴたりと止まった。互いに殴りかからんばかりの二人の目は充血している。
「莉子……」
「落合さん! こいつが!」
「迷惑です! やめてください!」
 莉子は、声の限り叫ぶ。石見と波多野は、掴みあっていた手を緩めた。周りの二年生が、その隙に二人を羽交い締めにして離す。
「本当に! 迷惑なんです! こんなことをしてもわたしへのいやがらせは止まらない! むしろ、わたしが部活で居場所をなくすってわからないんですか?」
 莉子に叱られた石見と波多野は沈黙する。莉子は、二人を置いて音楽室を出た。廊下で美依菜とすれ違う。
「え! 莉子、どうしたの? 部活は?」
 美依菜の問いに答えず、莉子は走り、学校を出た。駅まで着いたところで涙がこらえきれなくなった。
 ──なんでこんなに酷い目に遭うのだろう。
 莉子がいくら問うても、答えは出ない。ただ、涙となって地面に落ちて、アスファルトにしみを作るばかりだった。

 翌日も、莉子は学校に行く。足取りは重い。今日は何が起こるのだろうか。
 教室に入ると、視線が一斉に集まった。また何かあったのだと、莉子は察した。
 クラスメイトの女子の一人が莉子にスマートフォンの画面を見せた。SNSの画面だ。
「落合さん、これ……」
 アカウント名は《有川東高の暴露》。新しく作られた捨てアカウントらしく、投稿はほとんどない。その少ない投稿内容は、莉子が石見と付き合いながらも波多野と浮気をしているという告発だった。
 石見と手を繋いで帰る写真。
 部活の練習場所を間違えた日に、男子卓球部でからかわれたショックで泣いているところを波多野に慰められたときの写真。
 昇降口で波多野にポケットティッシュをもらって話している写真と、そのあと一緒に帰っている写真。
 石見と波多野の掴み合いの写真。
 すべて盗撮写真だった。
 加えて、凍結されたなりすましのアカウントのスクリーンショットまで投稿されている。すべて、いいねの数も拡散の数も、ぐんぐん伸びていた。
 莉子は気が遠くなりそうになる。思わずしゃがみ込む。
「莉子?」
 美依菜の声が降ってきた。莉子は顔を上げる。
「どうしたの、大丈夫?」
 美依菜の困りきった顔の奥に、何を隠しているのかわからなかった。美依菜は莉子に手を伸ばす。
 乾いた音がした。
 莉子は、美依菜の手を振り払ったのだ。
「え……。莉子……?」
「っ! ごめん!」
 莉子は立ち上がってその場から走って逃げる。
「莉子ちゃん!?」
 希とすれ違う。莉子はかまわず廊下を駆け抜けた。生徒たちから、心ない言葉が次々に投げつけられる。
「二年生を二人を手玉に取ってる子じゃん」
「ビッチかよ」
「顔だけの馬鹿のくせに」
「パパ活や売春、しているらしいよ」
「やば」
「退学ものじゃん」
「よく学校に来られるな。あ、馬鹿だからか」
 ここは、敵だらけだ。

 莉子は、家庭科室の前にうずくまっていた。一限が始まり、人のいない場所を探した結果、ここにたどり着いた。
 ついに授業をさぼってしまったことに、罪悪感と敗北感を覚える。一限をさぼった程度で保護者に連絡がいくことは考えにくい。しかし、今日も、今後も、どうして良いのかわからなかった。
「莉子ちゃん……。やっと見つけた……」
 莉子は慌てて顔を上げる。希が息を切らせて立っていた。
「希ちゃん……」
「心配したよ」
「でも、一限……」
「莉子ちゃんのほうが大切」
 希は莉子の隣に座った。首すじに汗が浮かんでいる。
「大丈夫……じゃないよね」
 莉子は唇を噛む。
「……希ちゃん、わたし、どうすれば良いと思う?」
 希は黙り込む。グラウンドから、体育教師の声が聞こえてくる。
「もう、親に相談したほうが良いのかな……」
 莉子は呟く。畳み掛けるような攻撃に、莉子の心は限界を迎えていた。元凶が誰かもわからない。正しくは心当たりはあるものの、その可能性を考えたくない。
「美依菜ちゃん」
「え!」
 顔を思い浮かべていたときにその名を呼ばれ、莉子の肩が跳ねる。
「美依菜ちゃん……なんじゃない?」
 希は眉間にしわを寄せて言う。
「美依菜ちゃん、石見先輩のことが好きだと思う」
「希ちゃんも……そう思う?」
 つい、莉子は聞いてしまった。希が、莉子と同じことを考えていたから。
「うん。それに、入学のときから莉子ちゃんと美依菜ちゃんはとっても可愛くて、話題になって……だから美依菜ちゃん、面白くなかったんじゃかいかな」
「そんな、美依菜みたいに可愛い子が」
「可愛い子だからだよ」
 希は続ける。
「きっと、中学までは美依菜ちゃんの天下だったんだと思う。それなのに、よりによって同じクラスに莉子ちゃんがいた。莉子ちゃんもすごくきれいで可愛いから、美依菜ちゃんだけが注目されなくなった」
「でも、美依菜は外見のことで周りから評価されることをあまり良く思っていないよ。入学式の日も、嫌気が差して、わたしを連れて逃げてくれた」
「そんなの、いくらでも演技できるよ」
 希の言葉に、莉子は口を閉ざす。
「しかも、美依菜ちゃんが好きになった石見先輩は、莉子ちゃんを選んだ。理由は十分だと思う」
 莉子は、音楽室の光景を思い出す。
 ──莉子と別れたほうが良いんじゃないですか。
「……わたし、美依菜が燈馬くん……石見先輩と話しているのを偶然見たの。石見先輩に、わたしと別れろって言ってた」
 希は息を吐く。
「確実じゃん……」
 希の推理と莉子の予測は絡み合い、真実味を増していく。
「美依菜、なのかな……」
「そういえば、なりすましアカウントができたとき、美依菜ちゃんは、わたしのフォロワーに報告してもらうことを反対したよね。あれは、アカウントを凍結されたくなかったからなのかな」
 美依菜を疑う理由ばかりが積み上がっていく。
「……しばらく、美依菜ちゃんを警戒したほうが良いと思う」
 希の警告に、莉子は同意せざるを得なかった。

 早退することも考えたが、莉子は二限目以降の授業に出ることにした。二限前の休み時間に、希とともに教室に戻る。
 視線が集中する。「どんな神経していたら戻ってこられるの?」「わたしなら無理」「もはや怖いんだけど」
 ヒソヒソという陰口が、そこかしこから聞こえてきた。
「莉子!」
 美依菜が走ってくる。
「どこに行っていたの。大丈夫?」
 莉子は、美依菜の横を無言ですり抜けた。
「え……」
 自席に戻り、二限の準備をする。莉子は、美依菜の視線を感じていた。

 昼休み。
 莉子はいつも美依菜と弁当を食べていたが、今日は希と食べた。希と、部活の新しい楽譜について話しながら食べる。
「ここの三十二分音符、難しすぎる。希ちゃん、弾けそう?」
「当分無理そう。ていうか、三十二分音符って、速すぎだよね」
 チェロの話を自分の教室で話すのは新鮮だ。
 こうしている間も、陰口はたたかれる。ほかのクラスから、スマートフォンを持って見にくる者や、莉子を盗撮しているらしき動きをしている者もいる。
 莉子には、何もできない。悔しさで心は張り裂けそうだが、それを表に出せば、負けだと思った。笑顔で希と楽しく過ごす。それが、犯人にも、便乗する生徒たちにも、一番の報復になると信じている。
「落合さん、ちょっと良いか」
 莉子が振り返ると、生徒指導の渡辺(わたなべ)が教室を覗いていた。
 ついに、教師にばれた。莉子は、白米を飲み込んだ。
「莉子ちゃん……」
 希が心配そうに言う。
「ついていこうか? わたし」
「大丈夫。ありがとう」
 莉子は小さく首を振って、弁当を片付けた。

 生徒指導室に案内された莉子は、机を挟んで対面に置かれた椅子に座る。
 向かい側には、莉子を呼びに来た渡辺と、莉子の担任の赤木が座っていた。赤木は小柄な若い女性教師で、大柄な男性の渡辺と並ぶと、より小さく見えた。
 渡辺がスマートフォンを取り出し、机に置いた。画面には、《有川東高の暴露》のアカウントが映されていた。
「このアカウントが生徒の間で出回っている。俺に通報しにきた生徒がいて、発覚した。これは、落合さんのことを暴露しているという意味で間違いないか」
 莉子は渡辺の言い回しに、カチンときた。棘のある声で返答する。
「わたしはそのアカウントの持ち主じゃないのでわかりません。ですが、わたしのことを言っているのだと思います」
 赤木が慌ててフォローする。
「落合さん、落ち着いて。わたしたちは、あなたを問い詰める気はないの。事実の確認が必要なだけ」
「事実ってなんですか。わたしが石見先輩と波多野先輩と二股しているとか、いやらしい画像を裏アカウントに上げているとか、パパ活や売春をしているとかですか」
 莉子は自分で言って、うんざりする。これはすべて、莉子の仕業とされているのだ。渡辺が緊張した面持ちで口を開く。
「……それらのことだ。事実、なのか」
「すべて事実ではありません」
 莉子は毅然と言い放った。
「わたしではない誰かが、なりすましのアカウントを作ったり、やってもいないことをでっち上げたりしているだけです。ただでさえ根拠のない噂に、尾ひれがついただけのものもあります」
 表情を変えず、あくまで冷静に言う。ここで感情的になれば、疑いを深められかねない。そう直感していた。
「では、落合さんは、一方的な被害者ということか」
「はい」
 莉子は大きく頷いた。渡辺と赤木は、顔を見合わせる。
「だとしたら、犯人がいるはずだ。心当たりはあるか?」
 莉子は、その名前を口にすることをためらった。
 美依菜は、ずっと莉子の味方でいてくれた。莉子から見ていたのが、ただの仮面だとは、思いたくなかった。
「……アップされた写真をしっかり見ても良いですか」
「ああ」
 渡辺は、スマートフォンを莉子に渡した。
 時間稼ぎに過ぎない。こんなものを見ても何も変わらないとわかっている。
 しかし、莉子は、ほかにどうすれば良いのかわからなかった。
「あれ……」
 それは、部活の練習場所を間違えたときに、波多野が迎えにきたときの写真だった。
 写真の左半分に、窓ガラスが写っている。曲がり角から隠れて撮ったのだろう。その角にあった窓が写真に写り込んでいた。
 窓ガラスに、うっすらとピンク色の何かが映っている。莉子は、その部分を拡大した。
 莉子はそれを見たことがあった。
「ピンクのうさぎのぬいぐるみ……」
 莉子は、血の気が引くのを感じた。
「先生」
「どうした。何か思い当たるのか」
 莉子は拡大した写真を指す。
「ここに、ピンク色のぬいぐるみが映っているのが見えますか」
 渡辺と赤木は、スマートフォンを凝視する。
「あ、ああ。確かに何かガラスに映っているな」
 渡辺が何度も頷く。
「これは、瀬古希さんのスマートフォンについているぬいぐるみです」
 渡辺と赤木の顔が目を丸くする。
「本当か!」
 莉子は時系列を思い出す。
 昇降口で波多野からポケットティッシュをもらったとき、美依菜は音楽室で石見と話していた。莉子が音楽室から離れてからすぐに昇降口に向かえば、波多野との写真を撮ることができた可能性もあるが、あのとき美依菜が莉子の存在に気づいている様子はなかった。
 何より、石見と波多野の掴み合いの写真がある。莉子は二人を止めてから音楽室を出て廊下を走っていくときに、美依菜とすれ違った。つまり、美依菜は、石見と波多野の掴み合いを見ていない。写真を撮れるわけがない。
 美依菜ではなかった。
 そして、写り込んだこのピンクのぬいぐるみ。
 すべて、瀬古希が仕組んだことだった。
 希の目的はわからない。しかし、莉子に美依菜が怪しいと吹き込んだのも、希だった。
 渡辺と赤木は頷き合う。
「瀬古さんを呼ぼう。落合さんは、戻ってくれて良い」
「わたしも当事者です。一緒に話を聞きます」
「気持ちはわかる。だか、すまない。それはできない。被害者と、加害者の疑惑がかかった生徒を並べて、話すことはできない」
 渡辺の言い分も理解できた。莉子は、引き下がった。

 土日を挟んで月曜日。
 希は、登校してこなかった。莉子は放課後に渡辺に呼ばれる。再び、渡辺と赤木を前に、生徒指導室の椅子に掛けた。
「瀬古さんがすべて認めた」
 渡辺は重々しく口を開いた。
「最初は否定していたが、このぬいぐるみの反射の件と、《暴露》のアカウントの開示請求をかければすぐに分かることを話したら、すべて自分がやったことだと言った」
 莉子は、震える手を押さえつけながら訊く。
「すべて、って具体的に何ですか」
「落合さんのテストを張り出したこと。落合さんのなりすましの裏アカウントを作ったこと。《有川東高の暴露》のアカウントで、落合さんを陥れようとしたこと、だ」
 練習場所を間違えたのは、単なる美依菜のミスだった。それ以外は、本当に「すべて」が希の仕業だったのだ。
「希ちゃんは……どうなるのですか」
 赤木が答える。
「まだ、瀬古さんの親御さんたちと協議中です。ついては、落合さんの親御さんとも話し合わないといけません」
「うちの親は、関係ありません」
 莉子の反論に、赤木は、ゆっくりと首を振る。
「今回の件は、主にSNSが使われた重大ないじめだと、学校側は認識しています。落合さんのなりすましや、嘘の暴露は、デジタルタトゥーとして残ってしまいます。今後のことは未定ですが、親御さんと話さなければなりません」
 莉子は渋々了承した。

 莉子が疲れ切って生徒指導室から出ると、廊下に美依菜が立っていた。
「美依菜……」
「解決したの?」
「うん」
 莉子は美依菜の手を取る。
「どうせ、近いうちに学校から説明があるだろうから、先に聞いてくれる?」
 美依菜は頷いた。

 入学式の日に逃げてきたベンチに、二人は並ぶ。
「希ちゃんが……」
 莉子からすべてを聞いた美依菜は、絶句した。
「家の都合で、部活が終わったら早く帰っていたんじゃないの?」
「それも嘘だったみたい。わたしの弱みを握れないか、常に探っていたんだって」
 渡辺と赤木から聞いたことをそのまま答える。
「怖っ。ストーカーだね」
 美依菜が自分の身を抱きしめるようにして、身震いした。
「ごめん、美依菜」
 莉子は立ち上がって頭を下げる。
「希ちゃんに言いくるめられて……わたし、美依菜のことを疑っていた」
 美依菜は、視線をさまよわせてから、言う。
「わたしも、希ちゃんから、『莉子ちゃんが美依菜ちゃんを根拠なく疑っている』って聞かされていたんだよね」
「ええ!」
 莉子は驚く。
「わたしと莉子を仲たがいさせたかったのかな。なんでそんなことがしたかったのか、全然わからないけど」
 莉子は、美依菜の隣に座る。ベンチがギシリときしんだ。
「何だったんだろうね、本当に」
「そのうち、明らかになるかな」
 莉子と美依菜は、どちらともなく手を繋いで空を見上げた。

 夏休みに入る直前、全校生徒に対し、各クラスでホームルームの時間が設けられ、いじめの事実の説明があった。いじめの加害者も、学校側は包み隠さず発表した。
 加えて、希の転校が伝えられた。希は、それまで登校していなかった。
 後日、保護者向けの説明会が開かれる旨も連絡された。
 結局、莉子は希と話す機会を得られなかった。チェロのパートの一年生は、莉子一人になった。

 その日の部活後、莉子は波多野に呼び出された。美依菜に断って、波多野とともに駅へと向かう。波多野は今日もトランペットケースを持っていた。
「ごめんね、落合さん」
「何がですか?」
 莉子は突然の謝罪の意味がわからず、聞き返す。
「俺が石見と喧嘩したのも、撮られて嘘の暴露のネタにされたんだろう」
「あれは……その、希ちゃんが悪いんです」
 まだ、莉子の中では希が犯人であることを消化しきれていなかった。何かの間違いであってほしい。そう思ってしまう。
「そうだけど……ある意味、隙を見せたっていうか……」
「どっちにしても、終わったことですよ。先輩」
 波多野が路地で立ち止まる。莉子も気づいて立ち止まった。
「ごめんね。石見とのことを邪魔したいわけじゃないんだ。でも、俺も落合さんのことが好きだった」
「先輩……」
「身勝手だけど、伝えることで区切りにさせて」
 莉子はぺこりと頭を下げた。
「わたしは石見先輩のことが好きです。ごめんなさい」
「うん、わかってる」
 波多野は歩き出す。
「石見と幸せにな」
 振り向き、そして、一人走り出した。
 莉子は、ちくりと胸が痛んだ。
 
 夏休みに入り、莉子も美依菜も部活漬けの日々を送っていた。
 部活のあと、美依菜と石見の三人で駅に向かう。
 石見が言いにくそうに話し始めた。
「……いじめの件、災難だったな。そんな軽い言葉で済むようなことじゃないけれど」
 保護者会の様子は、地元のワイドショーに流れるほどの話題となった。SNSを使った卑劣な手口に、説明会は紛糾したそうだ。
 二学期から、莉子が生徒たちにどう扱われるか、想像がつかない。夏休み前は、腫れ物に触るように、避けられていた。
 莉子はうつむきながら歩く。
「友達だと思っていたのにな……」
 美依菜が莉子の手を握った。
「壊れる友情ばかりじゃないと思いたいね」
「……うん」
 莉子は頷いた。そして、またうつむく。
「希ちゃんがあんなことをした理由、嫉妬としか教えてもらえていない。本人から話を聞きたかったな」
「確かにモヤモヤは残るよね。でも、どんな理由であれ、莉子は許す必要はないよ。SNSで拡散されたら、その情報はもう消すことはできない。わかっていて、希ちゃんはやったんだから」
「許すつもりはないよ。わたし、本当に追い詰められた。周り皆が敵に見えて……つらかったから」
 莉子の手を握る美依菜の指の力が強くなった。
「フォローしきれなくて、ごめん」
 莉子は小さく言った。「そんなことないよ」
 石見が言う。
「俺は、舘原さんが犯人かと思っていたよ。俺に莉子と別れろって言うし」
「あれは、本当に莉子と先輩を心配して言っていたんです!」
「だとしたら舘原さん、そうとう不器用だぞ」
 三人の笑い声が上がる。
「美依菜」
 莉子は繋いだ手を大きく振った。
「ずっと友達でいてね」
 美依菜が、いつか見たダリアのような笑顔で答える。
「もちろん!」

 金蘭の仮面は割れた。
 瀬古希の裏切りは、莉子の心に大きな傷を作った。
 莉子は、強烈な悪意を知った。
 美依菜と繋いだこの手が離れないことを、莉子は願わずにはいられなかった。

〈了〉