さんざん買い食いしたのでそれほどお腹は空いていない。それは柊真も同じだったようで、結局夕飯はコンビニでおにぎりを買うことになった。
もともとコンビニおにぎりが好きな双葉としては願ってもない。だが、今日ばかりははしゃげなかった。
どのおにぎりにしよう、じゃなくて、この後、どんな顔をすればいいんだ、ばかりに頭を占められていたために。
ずらりと並ぶ三角を、ただただ視線でなぞることしかできない。選ぶ手が進まず、小さく拳を握った双葉の視界に、すっと手が入り込んできた。
手は、双葉がよく食べるツナマヨを取り、反対の手に提げた籠にそれを入れる。
「ツナマヨ、好きなの」
問いかけると、続いて鮭のおにぎりを掴んだ柊真が、ふるっとかぶりを振った。
「別に。梅とか、高菜かな。好きなの」
「渋」
確かに籠の中には梅と高菜のおにぎりが入っている。その横にツナマヨと鮭が並べて入れられた。
「二個で足りる? 他、食べたいの、ない?」
穏やかに訊かれる。そうされて気付いた。ツナマヨは双葉の分だ。鮭も。
「な、い」
ゆるゆると首を振る。柊真はその場を離れ、サラダコーナーでサラダを選んで籠に入れた。それと、温かいほうじ茶を二本。
淡々と会計を済ませる彼の横で慌てて財布を出そうとすると、軽い仕草で押し止められた。
「変な空気にしたお詫び」
「変なって」
変じゃない。大事な話だ。そう言おうとしてうなだれる。
だってまだなにを言っていいかわからない。
告白されてからずっと考えてはいるのだ。自分が柊真と同じ立場だったら……恋敵だった人を好きになってしまったら? 告白する流れになってしまったら? 自分はこんなに落ち着いていられるだろうか、と。
答えは否、だ。
相手がどこを見ているのか、見ていたのか、どれほどの重さで想っていたのか。恋敵だからこそわかる。恋敵の想い人、自分も好きだったその人がどんな人だったかも知り過ぎるほど知っているからこそ、敵わなさに打ちひしがれてしまう。受け止めるどころか、投げ出してしまいたくなる。望みのない恋に未だに立ち止まり続けている相手を責めすらしてしまうかもしれない。
けれど柊真は責めずに包もうとする。
思い出すのはあのときだ。柊真の家でホラー映画を観たあのとき。
――俺がそばにいるから。
あの言葉そのままに、今も彼はそばにいる……いて、くれる。
胸が深部からじわっと熱くなる。その双葉の肩を柊真の手が押す。
「行こ」
昨日同様ビジネスホテルだったけれど、今日のホテルは昨日よりも広かった。ツインベッドと二人掛けのソファーにテレビ、鏡台代わりのライティングデスクが整然と並んでいる。
「宿泊費、昨日より安いのに広い。得した」
柊真は穏やかに言う。それは、この旅の間、耳にし続けた、落ち着いた優しい声音だ。
けれど、旅の後半に聞かせてくれた、彼本来の感情の滲んだものとは微妙に違う。
多分……気を遣ってくれている声、だと思う。
「おにぎり、食べる?」
「あ、うん」
言葉短く言うと、柊真はそっと笑ってソファー前のテーブルの上におにぎりとほうじ茶を並べた。その手でリモコンを操作し、テレビを点ける。
「県越えてもやってる番組は変わらないな」
のんびりと言い、さらさらっとザッピングする。クイズ番組に来たところでリモコンを置いた彼は、梅のおにぎりを手に取ってビニールを剥いた。
「石鈴は海苔パリパリ派だよな」
「あ、うん。秋信も、だよな」
「うん」
横顔で笑んでおにぎりを口にする。ぱり、と良い音がしておにぎりが柊真の中へ吸い込まれていく。おにぎりをこんなときにも美味しそうに、というより、美味しそうに見えるように食べてくれる彼から双葉は必死に目を逸らした。
なんだか、情けなかった。
あえて明るくしてくれているのがめちゃくちゃわかるのに、なぜ自分は普通にできないのだろう。普通に素直になって……。
素直になって?
「風呂、俺、先入ってもいい?」
食事を終えたところで柊真がつと立ち上がる。物思いにふけっていた双葉は慌てて頷いた。
「ああ、どうぞ」
「ありがと。お先」
軽い笑みを閃かせ、柊真がバスルームに消えたところで詰めていた息を吐きだした。
のりの利いたシーツの上に仰向けに転がり、手で目を覆う。
「これ、もしかして、俺……」
もしかして、の続きを言葉にするのを躊躇う。でも。
水底から浮かび上がってくるような確信に胸をざわめかせたとき、かすかなバイブ音が耳を掠めた。のろのろと手を上げ、枕元に放り出していたスマホを引き寄せる。
表示されていた名前に、双葉は飛び起きた。
――神田則正
「なんで……」
戸惑った。出ようか、迷った。その自分に驚愕した。
今までだったらすぐさま電話に出たはずだ。胸を高鳴らせて、この一秒後に切れたらどうしよう、と飛びつくみたいにして応答ボタンを押していた。なのに、今、自分の指は躊躇っている。
どうして?
則正にはもう恋人がいるから? 声を聞いたら未練が募るから?
……そうじゃない。
――ふたりでいるときの石鈴の表情も声も全部。あれは俺だけに見せてくれたものだから。則正には絶対、渡したくない。
柊真がこの言葉を言ったとき、きゅうっと絞られるような痛みが体の奥から押し寄せてきた。それがなにか、あのときはよくわからなかったけれど、今はわかる。
双葉だってこの旅をふたりだけのものにしておきたかった。誰にも踏み荒らされたくなかった。
楽しかったから。ふたりで食べたものはみんな美味しくて、並んで見た海は鮮やかで、海の中、立ち尽くすふたつの岩、その岩の上で身を寄せ合う鳥の姿が尊くて。
繋いだ手は冷たかったけれど徐々に温もっていくのがうれしくて。どきどきして。でも、安心、して。
笑ってくれるとこちらまで、うれしくて。
だから……踏み入ろうとする人がたとえ則正でも、いいや、則正だからこそ、立ち入ってほしくなかった。
だって、則正は大切な人だから…………柊真にとって。
その則正に触れられたら、柊真がどこかへ行ってしまう気が、したから。
スマホは今も叫び続けている。二年間見つめ続けた彼の名前が、早く出ろ、と急かす。
一度目を閉じた。それでも途絶えてくれない音に覚悟を決め、双葉はスマホをそっと手に取った。
もともとコンビニおにぎりが好きな双葉としては願ってもない。だが、今日ばかりははしゃげなかった。
どのおにぎりにしよう、じゃなくて、この後、どんな顔をすればいいんだ、ばかりに頭を占められていたために。
ずらりと並ぶ三角を、ただただ視線でなぞることしかできない。選ぶ手が進まず、小さく拳を握った双葉の視界に、すっと手が入り込んできた。
手は、双葉がよく食べるツナマヨを取り、反対の手に提げた籠にそれを入れる。
「ツナマヨ、好きなの」
問いかけると、続いて鮭のおにぎりを掴んだ柊真が、ふるっとかぶりを振った。
「別に。梅とか、高菜かな。好きなの」
「渋」
確かに籠の中には梅と高菜のおにぎりが入っている。その横にツナマヨと鮭が並べて入れられた。
「二個で足りる? 他、食べたいの、ない?」
穏やかに訊かれる。そうされて気付いた。ツナマヨは双葉の分だ。鮭も。
「な、い」
ゆるゆると首を振る。柊真はその場を離れ、サラダコーナーでサラダを選んで籠に入れた。それと、温かいほうじ茶を二本。
淡々と会計を済ませる彼の横で慌てて財布を出そうとすると、軽い仕草で押し止められた。
「変な空気にしたお詫び」
「変なって」
変じゃない。大事な話だ。そう言おうとしてうなだれる。
だってまだなにを言っていいかわからない。
告白されてからずっと考えてはいるのだ。自分が柊真と同じ立場だったら……恋敵だった人を好きになってしまったら? 告白する流れになってしまったら? 自分はこんなに落ち着いていられるだろうか、と。
答えは否、だ。
相手がどこを見ているのか、見ていたのか、どれほどの重さで想っていたのか。恋敵だからこそわかる。恋敵の想い人、自分も好きだったその人がどんな人だったかも知り過ぎるほど知っているからこそ、敵わなさに打ちひしがれてしまう。受け止めるどころか、投げ出してしまいたくなる。望みのない恋に未だに立ち止まり続けている相手を責めすらしてしまうかもしれない。
けれど柊真は責めずに包もうとする。
思い出すのはあのときだ。柊真の家でホラー映画を観たあのとき。
――俺がそばにいるから。
あの言葉そのままに、今も彼はそばにいる……いて、くれる。
胸が深部からじわっと熱くなる。その双葉の肩を柊真の手が押す。
「行こ」
昨日同様ビジネスホテルだったけれど、今日のホテルは昨日よりも広かった。ツインベッドと二人掛けのソファーにテレビ、鏡台代わりのライティングデスクが整然と並んでいる。
「宿泊費、昨日より安いのに広い。得した」
柊真は穏やかに言う。それは、この旅の間、耳にし続けた、落ち着いた優しい声音だ。
けれど、旅の後半に聞かせてくれた、彼本来の感情の滲んだものとは微妙に違う。
多分……気を遣ってくれている声、だと思う。
「おにぎり、食べる?」
「あ、うん」
言葉短く言うと、柊真はそっと笑ってソファー前のテーブルの上におにぎりとほうじ茶を並べた。その手でリモコンを操作し、テレビを点ける。
「県越えてもやってる番組は変わらないな」
のんびりと言い、さらさらっとザッピングする。クイズ番組に来たところでリモコンを置いた彼は、梅のおにぎりを手に取ってビニールを剥いた。
「石鈴は海苔パリパリ派だよな」
「あ、うん。秋信も、だよな」
「うん」
横顔で笑んでおにぎりを口にする。ぱり、と良い音がしておにぎりが柊真の中へ吸い込まれていく。おにぎりをこんなときにも美味しそうに、というより、美味しそうに見えるように食べてくれる彼から双葉は必死に目を逸らした。
なんだか、情けなかった。
あえて明るくしてくれているのがめちゃくちゃわかるのに、なぜ自分は普通にできないのだろう。普通に素直になって……。
素直になって?
「風呂、俺、先入ってもいい?」
食事を終えたところで柊真がつと立ち上がる。物思いにふけっていた双葉は慌てて頷いた。
「ああ、どうぞ」
「ありがと。お先」
軽い笑みを閃かせ、柊真がバスルームに消えたところで詰めていた息を吐きだした。
のりの利いたシーツの上に仰向けに転がり、手で目を覆う。
「これ、もしかして、俺……」
もしかして、の続きを言葉にするのを躊躇う。でも。
水底から浮かび上がってくるような確信に胸をざわめかせたとき、かすかなバイブ音が耳を掠めた。のろのろと手を上げ、枕元に放り出していたスマホを引き寄せる。
表示されていた名前に、双葉は飛び起きた。
――神田則正
「なんで……」
戸惑った。出ようか、迷った。その自分に驚愕した。
今までだったらすぐさま電話に出たはずだ。胸を高鳴らせて、この一秒後に切れたらどうしよう、と飛びつくみたいにして応答ボタンを押していた。なのに、今、自分の指は躊躇っている。
どうして?
則正にはもう恋人がいるから? 声を聞いたら未練が募るから?
……そうじゃない。
――ふたりでいるときの石鈴の表情も声も全部。あれは俺だけに見せてくれたものだから。則正には絶対、渡したくない。
柊真がこの言葉を言ったとき、きゅうっと絞られるような痛みが体の奥から押し寄せてきた。それがなにか、あのときはよくわからなかったけれど、今はわかる。
双葉だってこの旅をふたりだけのものにしておきたかった。誰にも踏み荒らされたくなかった。
楽しかったから。ふたりで食べたものはみんな美味しくて、並んで見た海は鮮やかで、海の中、立ち尽くすふたつの岩、その岩の上で身を寄せ合う鳥の姿が尊くて。
繋いだ手は冷たかったけれど徐々に温もっていくのがうれしくて。どきどきして。でも、安心、して。
笑ってくれるとこちらまで、うれしくて。
だから……踏み入ろうとする人がたとえ則正でも、いいや、則正だからこそ、立ち入ってほしくなかった。
だって、則正は大切な人だから…………柊真にとって。
その則正に触れられたら、柊真がどこかへ行ってしまう気が、したから。
スマホは今も叫び続けている。二年間見つめ続けた彼の名前が、早く出ろ、と急かす。
一度目を閉じた。それでも途絶えてくれない音に覚悟を決め、双葉はスマホをそっと手に取った。



