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その日は春らしいポカポカ陽気で、柔らかな春風が吹いていた。

私は遠くに、あの子の背中を見つける。

栗色の長い髪が風にふわりとなびいて、オフホワイトのワンピースはまるで花嫁衣装みたいで、ハッと息をのむほど綺麗だった。

突然だった彼女からの誘いになんて答えるか、実は少し迷った。

最近の私は蒼や壮真と距離を置くようにしていたから。

蒼の誘いも二回続けて断っていて、三回目も断るつもりだった。

でもスマホごしに届く彼女の声は妙に真剣で、「お願い」と懇願するように言われてしまって断りきれなかった。

正直、いよいよ壮真との交際報告なんじゃないかなって覚悟はしてた。

上手に笑えるかな、祝福できるかなって怯えながら向かったけど、そこに壮真の姿はない。蒼ひとりみたいだ。

「お待たせ、蒼」

私が声をかけると、蒼はキラキラしたまぶしい笑顔で迎えてくれた。

私が最近避けていることに気づいていないはずはないのに……蒼の強さと優しさがやっぱり大好きだ。

そう思うだけで涙が出そうになる。

「はい、プレゼント」

開口一番、彼女はそう言って私に花束をくれた。鮮やかなイエローのミモザの花束。

「えっ、今日は誕生日でもなんでもないよ?」

私の名前は春っぽいけど、真冬の生まれ。誕生日は一月だ。

「ミモザは春の花でしょ。陽菜の誕生日まで待ってたら贈れないじゃん」

私の好きな駅前の花屋で偶然見つけた。陽菜に似合うと思ったから。蒼は突然のプレゼントの理由をそんなふうに話してくれた。

ほんの少しの沈黙のあとで、聞き慣れた涼しげなアルトが響く。

「ねぇ、陽菜。ミモザの花言葉ってなに?」

まっすぐに私を見つめる琥珀のような瞳。その奥に息づく熱を私は初めて、でも、たしかに見た。

知っているものだ。壮真の瞳にも、私の瞳にも宿る色。

だけど、戸惑ってしまった。わからなくなってしまった。

「あぁ、うん。ミモザね、ミモザの花言葉は〝友情〟だよ」

また少し沈黙が落ちる。

目を伏せた、彼女の長い睫毛がかすかに震える。私はそれを見ないふり……し続けた。

「そっか。じゃあ私たちにぴったりだね」

蒼はすぐにいつもどおりの無邪気な笑みを取り戻し、そう言った。そして明るく続ける。

「呼び出しといて、なんだけどさ。私、このあと歯医者の予約があって」
「えぇ~、まったく蒼は勝手なんだから」
「慣れたものでしょ⁉」

いつもの私たちの会話。でも私の心臓はバクバクと妙な騒ぎ方をしていた。

こんなどうでもいい話がしたいわけじゃない。

もっと、今、蒼に言わなきゃいけないことがある気がするのに。

結局、それがなんなのかわからないまま私は蒼の背中を見送る。

でも、視界から彼女が消えた途端に急に不安に襲われた。

今、追いかけないと。永遠に蒼を失うような気がして。

私は走った。もつれる足を必死に蹴り出して。


ミモザの花言葉はひとつじゃない。ほかにもある。

私がそれを知らないわけがないってこと、蒼はわかってる。


今頃きっと、泣いてる。蒼は強くてかっこいいけど、臆病で繊細な一面もあるから。

ありったけの勇気を振り絞ってくれたはずなのに。

その思いを、私は踏みにじったのだ。

信号無視した車も悪いけど、多分私も悪かった。

焦るあまり、周囲にまったく注意を払っていなかったから。

ドカンという衝撃は一瞬の出来事で、なにが起きたのかよくわからない。

視界がぐるんと回転する。空からなにかが落ちてくる。

幸せの象徴みたいな黄色い花が、まるで私を守ろうとするみたいに。優しく、優しく、降り注いだ。


ーーあぁ、なんて綺麗なんだろう。


ミモザのもうひとつの花言葉は『秘めた愛』


ごめんね、蒼。結婚式にブーケを作る約束、守れなくなっちゃった。

どうか気に病まないでね。

この事故は、私が急に走り出したから起きたんだよ。蒼はなにひとつ悪くない。

ごめんね、蒼。

ミモザをもらったあの一瞬、私は〝普通〟から外れることが怖くなったの。

馬鹿だよね、後悔してもしきれない。

誰でもない世間の気持ちより、私たちの気持ちのほうがずっとずっと大事だったのに。

直接あなたに伝えることができなくてごめん。

蒼、大好きだよ。

蒼は私の……たったひとつの愛で、恋だった。