相楽高校の制服は紺色のブレザーだ。白いワイシャツに青いストライプのネクタイ。
 進学校だからか、それとも校風か。だらしなく制服を着崩している人はいない。

 派手に髪を染めている羽島くんですら、ちゃんとネクタイを締めている。ブレザーの代わりにベージュのカーディガンを着ているけれど。それでもカーディガンに校章をつけているあたり、意外と根は真面目なのかもしれない。


「相楽の人たち、全部で十九人? 覚えられるかな……」
「それを言ったら西女の方が多いじゃん」
「えー、頑張って覚えてくださいよぉ」

 相楽高校と西館女子高校。それぞれの吹奏楽部の部員が揃って、お昼を食べながら自己紹介をした。
 交流を深めるためにもまずは雑談から始めようということになる。初めての他校との交流に少し不安を覚えていたけれど、人懐っこい子たちが率先して話をしてくれるおかげで、場の雰囲気は悪くない。


 私はお母さんが作ってくれたお弁当のサンドイッチを小さくちぎりながら、ちびちびと口に運んでいた。
 積極的に話をして、早く相楽の人たちの顔と名前を覚えた方がいいんだとは思う。でもただでさえ苦手なお昼の時間に、さらにミッションを追加したくなかった。

 口に含んだサンドイッチがなかなか飲み込めなくて、ご飯のお供になっているストレートティーで流し込む。私が飲み込んだのを見守ってから、隣に座っていたフルートパートの沙優が小さな声で私に囁いた。

「ね、鈴音はタイプの人いた?」
「ええ……まだ分かんないよ」

 まだほとんどのメンバーは言葉を交わしてない。それどころか名前と顔が一致しているのは、先に顔を合わせた二人だけ。
 水沢くんと羽島くんの二人をちら、と見やり、私は小さくつぶやく。

「……でも、部長の水沢くんは、ちょっとかっこいいかも」

 あくまで第一印象だけど。
 爽やかだし。優しそうだし。部長ってことはたぶん責任感もあって、頼れるお兄さんタイプ。

 まだ分からないと言いながらも、しっかり水沢くんのことを分析しようとしている自分がいて、なんだか恥ずかしくなってくる。
 この話題はやめようよ、と言いかけたけれど、沙優は目を輝かせて話を続ける。

「あ、なんか分かる! 鈴音ってああいう真面目でしっかりしてるタイプ好きそうだよね!」
「や、本当にまだ分かんないよ。ほぼ喋ってないから……」
「私はねー、金髪の……羽島くん? かっこいいと思う!」

 沙優の言葉に驚いて、「えっ嘘でしょ」と素直な感想が漏れてしまった。
 見るからに不良なのに、ああいうタイプが好きな女の子もいるんだ。さすがに趣味が悪い気がするけど、と思いながら遠くに座る羽島くんを盗み見る。
 顔くらい大きなサイズのパンを食べている。パンデカすぎじゃない? でも男の子だからあれくらい簡単に食べられるのかな。相楽高校の部員の中でも、羽島くんは特別大きい方みたいだから、もしかしたらよく食べるのかもしれない。

 そんなことを考えながら観察していたら、羽島くんと目が合ってしまった。パンを頬張っていた羽島くんは、もくもくと口を動かして、紙パックの牛乳を一気飲みする。それからよく通る声で、私に呼びかけた。

「クラパート?」
「え、?」
「隣の」

 私が首を傾げていると、羽島くんは荷物を置いたまま立ち上がり、私と沙優のところまでやってきた。
 ためらいなく女子二人の輪に入ってくると、羽島くんは私と沙優を見比べてまた問いかけた。

「宮原さん、クラの人?」

 水沢くんの言っていた通り、羽島くんは言葉が足りない。
 先の質問が、『お前の隣に座ってる宮原さんっていう女子はクラリネットパートの人?』という意味だと気づき、私は首を横に振った。

「沙優はフルートです。自己紹介、聞いてなかったんですか」
「名前と顔しか覚えられんかったわ」

 楽器までは覚える余裕がなかった、と言う羽島くんは眉を寄せて口を尖らせている。悔しさを表しているのかもしれないけれど、ちょっと子どもみたいな表情だ。

 それよりも、西女の吹奏楽部は現在三十八人。それだけの人数がいるのに、名前と顔を覚えたのは相当すごい。

「すごいですね。私、まだ水沢くんと羽島くん以外覚えてないですよ」

 顔合わせのときにちょっとぴりぴりした空気にはなったものの、別にケンカがしたいわけじゃない。
 これから一緒に音楽を作っていくのだから、むしろ仲良くなった方がいいくらいだ。
 私も少しでも歩み寄ろうとして、会話を続けようとしたのが間違いだった。

「いや木管リーダーなんだし今日中に全員覚えるだろ。つーかコンマスなら誰よりも先に覚えた方がよくね?」

 がつんとくる言葉をぶつけられて、浮かべていた笑顔が強張った。

 木管のセクションリーダーもコンサートマスターも。
 私がやりたいって言い出したわけじゃない。むしろやりたくないって言ったけど、却下されたから渋々やってるだけなのに。

 結局他校の人が入ってきても変わらない。
 コンサートマスターなんだから。セクションリーダーなんだから。そう言って私に重い責任を押し付けて、みんなは自由に振る舞うだけ。

 つきん、と小さな痛みから始まったそれはだんだん波を帯びて大きくなってくる。私はぎゅっとカーディガンの袖を掴み、痛みに耐える。少し波が落ち着いたところでゆっくり息を吐き、食べかけのサンドイッチを全てお弁当箱に戻した。

「鈴音……もう食べないの?」

 心配する沙優の声に、小さく頷いて、私は立ち上がる。

「練習行くん?」

 意外にも私に問いかけてきたのは羽島くんだった。私は半分以上残ったお弁当をスクールバッグにしまい、振り返る。
 羽島くんは不思議なことに、眉を下げていた。お出かけする飼い主に置いていかれる大型犬の動画で、似たような表情を見たことがある気がする。

「如月」

 初めて羽島くんが私の名前を呼んだ。その声に少しだけ不安の色が混ざっている気がして、私は仕方なく口を開く。
 羽島くんが私を怒らせてしまったかも、と不安になったなら、それは勘違いだ。私は怒っていないし、食事を途中で切り上げるのもいつものことだから。

「……練習じゃないですよ。私、そんなにまじめじゃないので」

 自虐する言葉を残して、私は賑わう合奏室を後にした。

 相楽高校の部員も、西女の部員も、みんな楽しそう。まだ練習は始まっていないけれど、顔合わせとしては上々の結果に思える。

 ただ一人、私を除いて。