合奏室の端に、男子が二人立っていた。背の高い方は金色の髪にピンクのインナーカラーが入っている。
不良にしか見えなくて、私は思わず立ち止まってしまった。
「ちょっと鈴音! 待たせてるんだから早く!」
「えっ、だってあの人不良じゃない……?」
「金髪だからって不良とは限らないでしょ」
そう言いながらも朱莉も少し戸惑っているみたいで、顔をこわばらせている。
でもあの人ただの金髪じゃなくて、髪の内側はピンクだよ。と私が言うと、「やっぱりピンクだよね? 見間違いかと思った」と朱莉はつぶやいた。
相楽は進学校だし、勝手なイメージだけど髪を染めている人がいるなんて思わなかった。しかも金にピンク。いくらなんでも派手すぎる。
私たちが入り口付近で足を止めていることに気づき、男子二人がぺこりと頭を下げた。気づかれてしまったら、隠れているわけにもいかない。しぶしぶ二人の前に出ていくと、爽やかな笑顔の黒髪男子が声をかけてくれた。
「どうも、相楽高校吹奏楽部二年。部長で金管のリーダーをやってる水沢颯斗です。俺はトランペット担当。これからうちの部員がお世話になります」
人当たりの良さそうな笑みを浮かべながら、水沢くんが頭を下げる。それから水沢くんは、金髪ピンク頭の男を見上げて紹介してくれた。
「こっちの派手な髪のやつが、木管リーダーの羽島」
「テナーの羽島翼です」
水沢くんに比べてシンプルな自己紹介。シンプルといえば聞こえはいいけど、正直あんまり感じは良くなかった。髪色も派手だし、態度もツンとしているので、ちょっと怖いとさえ思ってしまう。
朱莉が人懐っこい笑顔で自己紹介をすれば、今度は私の番になってしまう。四人しかいないこの場で、私だけ名乗らないのも変な話だ。
これから合同練習のたびに顔を合わせることになるので、あまり悪い印象は抱かれたくない。そんな気持ちで無理矢理笑顔を作って、私は口を開いた。
「如月鈴音です。一応木管のセクションリーダーと……コンマスも兼任してます。あんまり頼りにはならないと思うんですけど、よろしくお願いします」
ぺこ、と頭を下げると、水沢くんが「そんなことないよ、よろしく」と笑ってくれた。切れ長の目が、笑うとやわらかさを帯びる。ちょっとかっこいい。
水沢くんの笑顔に私が見惚れていると、羽島くんが一歩どころか三歩ほど私の方に歩み寄ってくる。背が高いからか、目の前に立たれるとかなり圧が強い。
思わず一歩後退りをして、なんですか? と私は訊ねた。羽島くんは「二年? コンマスってことはクラ?」と訊いてきた。
「う、うん。そう、ですけど……」
質問に答えながら、さっきの自己紹介で担当楽器を言い忘れたことに私は気がついた。
改めて「クラリネット二年の如月です」と言い直すと、羽島くんはぎゅっと唇を噛んだ。
名乗っただけなのに変な反応をされて不安になる。もしかして悪い噂でも流れているのかもしれない。そんな考えがよぎった私に、羽島くんはもう一度問いかけた。
「クラって、何人いるんすか」
「え、クラパートは七人です」
「二年は?」
「クラの二年って意味なら四人ですね」
なにその質問。
首を傾げながら答えたけれど、羽島くんの質問はまだ続く。
「じゃあ三年は? 引退したクラの三年。何人すか」
本格的になんなのその質問と言いたくなる問いかけだった。
今も在籍している一年生と二年生の数を訊くならまだ分かる。自分の担当しているサックスではなくて、クラリネットの人数を気にしているのはよく分からないけれど。それでも木管のリーダーとして各パートの人数を把握したいのかなと無理矢理納得することはできる。
でも引退した三年生、それもクラリネットパートに限って人数を知りたがる意味が思いつかなかった。隣にいる朱莉も、しきりに首を傾げている。
たぶん不審に思ったのが顔に出てしまったのだろう。水沢くんがフォローを入れるように口を開いた。
「ごめんね、こいつちょっと人探ししてるんだ」
「人探し…………」
「心配しなくてもあんたの連絡先とか訊いたりしねえから」
不満気な顔で、羽島くんが言う。
確かに女の子漁りをしようとしてるのかな、クラリネットを吹いてる女の子が好みなのかな。とは思ったけど。
それでもはっきりと、『お前には興味ない』と言われるのはちょっと腹立たしい。
「三年の先輩は、二人でしたけど。もちろん先輩の連絡先も教えませんし、引退してるので羽島くんと顔を合わせることはないと思います」
にっこりと笑顔を浮かべて、私もやり返す。羽島くんはクラの先輩に興味があるのかもしれないけれど、怪しい他校の男に先輩を売ったりしない。
羽島くんと私の間に流れたピリピリした空気に、朱莉が慌てたように声を上げる。
「えーっと、人探しって? もしかしたら手伝えるかもしれないけど」
「ちょっと朱莉! だめだよ!」
さすがに本人を前に『この人怪しいんだから』と言うのは憚られて、ふんわりとした止め方になってしまった。私よりもよっぽどしっかりしているので、朱莉が勝手に部員の連絡先を教えたりするはずはない。それでも止めずにはいられなかった。
「いや、自分で探すんで。むしろ答え分かっても教えないでほしいというか」
「なにそれ?」
思ったままの感想が口から飛び出した。慌てて私は自分の口を押さえたけど、羽島くんの耳にはしっかり届いてしまった。眉を寄せて唇をとがらせた羽島くんは、気を悪くしてしまったらしい。ふい、と横を向いて、私の問いには答えない。
代わりに口を開いたのはまた水沢くんだった。
「ごめんね。羽島っていつも言葉が足りないんだ」
確かにそんな感じする……。と呟いてしまった私に、羽島くんからちくりとした言葉が飛んできた。
「お前は余計な一言が多そうだけど?」
すごい。初対面だというのに躊躇いなくケンカを売ってくる。
派手な髪で怖いと思ったはずなのに、私はこの数分のやり取りで羽島くんが怖くなくなっていた。
キッと羽島くんを見上げて、私は言い返す。
「なんなんですか? さっきから変な質問するくせに人探しは手伝わなくていいとか、意味わかんないですけど」
「羽島は自分で見つけ出したいんだよ」
「羽島くんの探してる人って?」
またもやフォローを入れた水沢くんに、朱莉が問いかける。今度は水沢くんは口を開かずに、自分で言えとばかりに羽島くんを見上げた。
答え知ってると思うけど絶対言うなよと私たちに念押しをして、羽島くんは渋々探し人について話し始めた。
「去年の西女の定演、聴きに行ったんすけど。二部で音楽劇やってたじゃん」
西女の定期演奏会での定番。一部はクラシック曲で、二部の前半は劇や演出、サウンド全て自分たちで創り上げる音楽劇。二部の後半が馴染みやすいポップミュージックだ。
昨年の音楽劇は、オーボエのこっちゃんが主役だった。私は役者としてではなく演奏担当でステージに立った。
あまり触れられたくない話題だったので、自然と目線が落ちていく。
さっきまで羽島を見上げてたのに、今の私は自分の足元を見ている。
真っ白なうさぎのスリッパは、耳がひょこりと折れてしまっていた。ぺしゃりと凹んだ私の心みたい。
後でなおそうだなんてぼんやり考えていると、羽島くんが言葉の続きを紡いだ。
「音楽劇の盛り上がるシーンで二、三回流れたクラリネットのソロ。あれを吹いてた人、探してるんすよ」
ドクン、と大きく心臓が音を立てる。
昨年の定期演奏会。
音楽劇の中でソロを吹いたのは私だけだ。
クラリネットと指定されているので、間違いないだろう。
うるさく主張し続ける心臓の音を聴きながら、私はスカートの裾を握りしめる。アイロンのかかったプリーツに皺がよるけれど、何かを掴んでいないと落ち着かなかった。
隣に立つ朱莉の顔が見られない。朱莉がどんな表情をしているのか、考えただけでも怖くて堪らなかった。
「誰がソロを吹いていたか、もちろん私たちには分かるけど。知ってどうするの?」
朱莉の声は心なしかさっきよりも暗い気がした。
たぶん朱莉だけでなくて、他の二年生に話を振っても、似たような反応が返ってくる。
「別に、どうもしないっすよ。ただ、知りたいだけだし」
羽島くんの飾り気ない言葉を最後に、この話題は切り上げられた。三人がこの後の練習について話し合っているのに、私は顔を上げられないまま、自分のスリッパをじっと見つめていた。



